第38話
――ドクロ杯の中身は空だった。
「…………」
花屋は紙コップを持ち上げたままの姿勢で固まっている。
「それだ、花屋君。そのドクロ杯をこちらへ寄越してくれないかな?」
彩羽がドクロ杯を指差して言う。
「…………」
しかし、花屋は石のように固まったまま、ピクリとも動かない。
「あれ? もしかして聞こえなかったのかな? もう一度言うよ。今、君が持っている杯を私にくれと言ったんだけど?」
「……ふふふ。あはははは。失礼。ちゃあんと聞こえていますよ、厚本先輩。あなたは本当に大した人だ。僕が思うにギャンブルにおいて最も大切なのは、どれだけ自分を信じられるか、自分の中の
「うふふ。面と向かってそんなに褒められると、ちょっと照れちゃうね」
「ただ、そんなあなただからこそ、最後の最後でコロリと騙されるだろうと確信していましたよ。厚本先輩、最後まで僕の言葉を疑ってくれて、本当にありがとう御座いました。お陰でこの勝負、どうやら僕の勝ちのようです」
「…………は?」
花屋の意味不明な発言に、彩羽はポカンと口を開けている。
彩羽だけではない。ギャンブル対決を取り仕切っている生徒会の躑躅森と馬酔木も、一様に呆れたような顔をしている。
「……あのね花屋君、君が敗北を認めたくない気持ちはわかるけどさ、幾ら何でもそれはちょっと見苦しいよ」
彩羽は困ったように肩を竦める。
「ふふふ。その言葉、そっくりそのままお返ししますよ、厚本先輩」
花屋はそう言って、紙コップの底を思い切り指で弾いた。
――すると、何も入っていなかった筈の紙コップから、ピンポン球が2つ落ちてきたではないか。
「……えッ。ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!?」
――今、一体何が起きたのか!?
わたしは紙コップから出現したピンポン球をまじまじと観察する。
よく見ると2つのピンポン球はどちらも潰れていて、形がひしゃげていた。
「……
躑躅森がそう叫んで膝を打つ。
「ええ、その通りです。馬酔木先輩のルール説明では紙コップの中にピンポン球以外のものを入れることは禁じられていましたが、ピンポン球を変形させてはならないというルールはありませんでした。また、毒入りの杯は必ずしも2つ用意しなくてもよいことも確認済みです」
「…………ッ!?」
そうか。ルール説明のときに、花屋が馬酔木に毒杯は必ず2つ用意する必要があるか質問したのは、既にこの手を考えていたからだったのだ。
花屋の秘策。それは相手の『チェック』を掻い潜り、一発で致死量に達する無味無臭の猛毒杯を用意することだった。
「とはいえ、この戦略最大のネックは如何にして猛毒杯を相手に引かせるかです。確率だけで言えば、5つの聖杯の内4つは安全となり、相手に毒を引かせることはかなり難しくなります。そこで、僕は敢えて猛毒杯にドクロのイラストを描き込みました。その上で、この杯には毒が入っているので絶対に選ばないでくださいとお願いまでした。すると、相手はどう考えるか。500万円を賭けた戦いで、僕が自ら不利になるような情報を言う筈ない。ドクロ杯は単なるブラフで、毒は別の杯に入れているのではないか? しかし万が一ドクロ杯に毒が入っていたとなると、わざわざ毒入りと警告されたにもかかわらず毒杯を取ってしまった形となり、選びづらい。かといって『チェック』を使って中を確かめて無毒だった場合も、『チェック』を消費された形となり、これも面白くない。相手はそのままズブズブと思考の沼に落ちていくことになります」
「…………」
先刻まで勝ち誇っていた彩羽は、今は見る影もない。顔面蒼白で、体中から冷や汗が噴き出している。
「早い話がこの『勝利の毒杯』というゲームは、あなたがドクロ杯を『チェック』しさえすれば、僕の勝ちが決まるゲームでした。一回目の聖杯を奪うターンでは、あなたは強靱な意志でドクロ杯を無視して、見事無毒の聖杯を引き当てました。この時点で、あなたは自らの勝利を確信したことでしょう。次で『チェック』した杯が毒入りならば、その杯さえ取らなければ毒杯を2つ取って死ぬことはない。無毒であれば、そのまま『チェック』した杯を奪えば勝ちが確定します。どの杯を『チェック』しても負けはないと考えた。そこであなたは、つい確かめたくなってしまったのです。自分の読みが正しかったのかのかどうか。それをどうしても確かめたくなった。それは、ギャンブラーにとっての渇きです。砂漠を旅する旅人が、水筒に僅かに残った水を飲むことを我慢できないように、それは決して抗えない欲求です。厚本先輩、あなたはその欲求に逆らえず、ドクロ杯を『チェック』してしまいました。それこそが、僕の用意した猛毒の罠であるとも知らずに」
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