第5話 マッサージこんにちは

 身寄りのない俺が教会で生活を始めて三日が経ちました。

 きっかけは単純なのです。


「高級宿の手配をすべきだろうが、エリオを一人にするのが心配でな」

「それなら落ち着くまで教会で生活するかい? 貧相で頼りないかもしれないけど、バァヤが色々と教えてあげられるかもしれないからねぇ」


 手厚いサービスが受けられるとしても、身の回りに見知らぬ人だらけの高級宿にぶち込まれるのは心細いし不安で仕方がない。選択の必要もなく、俺はバァヤさんからの提案を受け入れたのでした。


「エリオ、困った事があったらいつでも相談に乗るからな」

「ギルエッタさん、今日はお世話になりました」

「エリオさん、お部屋の準備をするから少々お待ちくださいね。……シスター! 一番奥の個室は……ああん? 良いんだよ大司教の私物なんて! テキトーな倉庫に投げ込んでおきな! アンタは着替えと湯浴みの準備をするんだよ! ったく、まだまだヒヨッコ気分が抜けないシスターたちだねぇ!」


 先ほどまでの穏やかな雰囲気とは、テキパキと指示を出すバァヤさん。シスターさんたちは慌てたように動き回っている。急に泊まるなんて言ってしまって、大変申し訳ございませんでした……。


 後になって知った事だが、この古めかしい教会は王都中央に目立つ大聖堂の支部とのことでした。見習いシスターの修練の為の場所らしく、ここの責任者であり指導官をしているバァヤさんは実はとっても偉い人のようなのです。


◇◇◇


 教会で生活を始めた俺の一日は、爽やかな目覚めから始まる。

 フカフカなベッドから起き上がれば、テーブルの上に着替えが置かれているのだ。壁にかけられている、異世界に転移してきた時に着ていた服とは品質が大違いだ。モゾモゾと着替えを済ませれば、違和感のない現地民に見えるかな?


「エリオさん、新鮮なミルクが手に入ったんですよ」

「あ、ありがとうございます」


 活力みなぎる朝食は、当たり前のように豪勢だ。

 いつの間に準備したのだろう、と思えるほどの量と品揃えの良さである。長テーブルに並ぶ料理はいつでも満漢全席だ! いや、冗談抜きにして。まだ三日とは言え同じメニューは一度もないし、味付けも飽きが来ない美味しさだ。


「エリオさん、この世界の男性はですね……」

「なるほどなるほど」


 朝食を済ませば、お勉強の時間である。

 社会常識や一般的マナー、簡単な世界情勢などは現代との違いに少し混乱してしまう。楽しかったのは魔物の話や魔法の話だ。異世界っぽくて実にワクワクする。


「エリオさん、昼食はご満足いただけましたか?」

「とても美味しいので食べすぎちゃいます。太らないようにしないと」

「シスター! エリオさんの健康を考えたメニューに変更なさい!」

「ひぇえ!」


 俺の考えなしの発言のせいでシスターさんが叱られるのは何度目だろう。そのたびそのたび、シスターさんには申し訳なさそうに頭を下げられるし、バァヤさんにも謝られてしまう。うーん、意思疎通が難しい!!


 昼食を終えると特にやる事がなくなってしまう。修練の為の教会とは言え、午後にもなるとチラホラと人が訪れる。バァヤさんにも立場があるだろうし、シスターさんにだって仕事があるはずだ。なので午後になると、俺は空気を読んで教会の近くをお散歩することにしているのだ。女性だらけの異世界に慣れるって意味もあるけどね、へへへ。


◇◇◇


「この世界で生きる男性陣、どうやって生活してるんだよ……」


 俺は公園のベンチに座っていた。この公園は、二日目の散歩で見つけた人気ひとけのない静かな公園なのである。自意識過剰と言われたら恥ずかしいけど、女性の視線を避けるように彷徨さまよい歩いていたら、この公園に到着したのである。ベンチと砂場しかない質素な場所だが、高台の上にあって街の様子が見下ろせる。何より誰もいないのが心地よい。


「うわぁ、あそこのアイスクリーム屋さんに人混みができてる。もう行けないね」


 初日に見つけたアイスクリーム屋。噴水広場のベンチに座っている時、閑古鳥かんこどりが鳴いていたから買い物の練習がてら立ち寄った思い出の場所だ。


『すいませーん、アイスください』

『はーい……ひゃっ?! お、男の人……?!?!』

『えーっと、爽やかな味のものはありますか?』

『はいっ、あのっ! えっと、一番人気の物をご用意しますので……!』


 店員さんはそう言うと、どったんばったん大騒ぎしながらアイスを作り始めるのでした。ボウルを落っことし、拾おうとしたらテーブルに頭をぶつけてしまう。注文が頭から吹き飛んだのか、とっても甘ったるそうな色のアイスがコーンに乗せられ、手渡す両手がぶるぶると震えていた始末だ。もしかして研修中の店員さんなのかな。緊張させちゃったら、なんか申し訳ない。


『えーっと、お金は……』


 腰に下げた小袋に手を突っ込む。このお金の入った小袋はギルエッタさんが別れぎわに「足りないかもしれないが、使ってくれ」と渡してくれたものだ。不思議な事に中身は全部金貨なんですけど、この世界の最低貨幣って金貨なわけ?


『いっ、いえ! こちらはサービスとなっております!!』

『えっ、お金ありますけど……』

『いえっ、私からの気持ちだと思って受け取ってくだひゃい!!』


 注文を間違えたサービスなのかと思ってその時は気にせず受け取っちゃったけど、この世界を理解した今なら言える。聞き間違えじゃなかったら『初めて男の人とおしゃべりしちゃった……』って絶対に言ってた。

 俺が買い物を終えた後に賑わい始めたのも偶然かと思ったけど、そんな事は絶対にない。遠目からでも見える。アイスクリーム屋さんの隣に立っている””には【絶品! 男性も認める確かな味!】と目立つように書いてある。


「どうすりゃ良いんだ……」


 惨状に頭を抱えてしまう。本当の本当に、男性をとことん甘やかしてくれる世界らしい。最低限の労働も必要もなさそうだ。もしかして”ヒモ”こそが俺に求められる役割なのかもしれない。

 そうは言っても、俺は労働意欲が低いわけではない。異世界と知って冒険者ギルドが頭をよぎり、仲間たちとパーティを組んだ自分の姿を想像したのも当然だ。


「ぐ、ぐぬぬ……」


 教会での午後の生活。空気を読んで散歩に出かける前、俺は忙しそうにしているシスターさんや庭で雑草をむしっている子供たちのお手伝いをしようとした。もちろん教会でお世話になっている事への感謝の気持ちだ。返せるものが何もないから、せめて労働力として還元しようとしたのだ。


『お、おやめください!!』


 最初は俺が着ている服が汚れる事を恐れたのだと思ったが、実際はそうではなかった。シスターさんは俺の手が土で汚れ、擦り切れることを本気で恐れているようだった。なんなら俺の着ている服が汚れる事に対して、何の興味も無さそうなほどである。立派な仕立物したてものなのにね。なんだかおかしいや。


◇◇◇


 公園で黄昏たそがれていた俺だったが、日が暮れた頃になっても何の解決策は浮かばないままだった。あまり帰りが遅くなるとバァヤさんとシスターが度が過ぎるくらいに心配する事だろう。早足で帰路きろにつく。


「おかえりなさいエリオさん。夕食の準備はできていますよ」

「うわぁ、今日も豪勢だ!!」

「今日はエリオさんの日ですからね。当然ですよ」


 バァヤさんがニコニコとしながら答えてくれた。

 ギルエッタさんと食事をした時も”エリオの日”だった。「出会いに感謝って意味かな?」くらいにスルーしてしまったけど、次の日も”エリオの日”でした。昨日も”エリオの日”だったし、やっぱり今日も”エリオの日”だ。明日も”エリオの日”に違いない。明後日もその次も、”エリオの日”が爆誕し続けるのだろう。


「バァヤさん、俺でも働けそうな所ってどこかないですか?」

「エリオさんは働く必要なんてないんですよ。困った事があったら何でも言ってくださいねぇ。もう少し記憶が戻ったら、穏やかな生活をしていた事、きっと思い出しますよ。だから焦らず、のんびりしてくださいねぇ」


 漫画とかアニメだと、主人公を洗脳しようとする悪役が言いそうなセリフである。しかし、バァヤさんは違う。何の含みもない、善意100%の言葉なのだ。


「うーん、もう受け入れちゃおうかなぁ」


 ベッドにゴロリと寝転がり、天井を見つめる。

 価値観が違うのだ。『郷に入っては郷に従え』という言葉もある通り、俺はこの世界の人間として、女性の為に”ヒモ”みたいな生活をした方が良いのかもしれない。それでみんな喜ぶなら、それに越した事は無い。


「なぁ、お前もそう思うだろう?」

『きゅーん?』


 いつの間にか寝てしまったのだろう。目の前に広がるのは、見覚えのある草原だ。現世に居た頃、飼い犬のシバスケと走り回っていた思い出の場所だ。


『シバスケ、お前は元気にしてるのか?』

『きゃん、きゃん!』

『そっかそっか、寂しくなさそうで何よりだ』


 シバスケ、両親、友達、色々な事を思い出す。

 思い返せば専門学校を卒業し、試験の合格通知を手にしたタイミングで異世界に飛ばされてしまったのだ。まったく、とんでもないタイミングだ。国家資格を手にし、祖父の手伝いができるはずだったのに…………。


『修練は一日にしてならず』

「?!?!?!?!」


 勢いよくベッドから起き上がる。

 やべぇ! 異世界に来てから六日間、一度も練習トレーニングをしていない!

 

◇◇◇


 背筋に冷や汗が浮かぶ。全身に鳥肌が立ったような感覚だ。

 俺はなにをと考えていたんだろうか。異世界に飛んできてしまったら、逆もありえるのだ。勝手に帰れないと思い込んでいるだけで、真相は分からない。


 俺こと、喜島エリオの両親はセラピストをしている。

 母親は香りを使うメンタルヘルスコンディショナーであり、父親は事故のリハビリを専門とする理学療法士だ。相手の健康の為ににして働く両親を見て育った俺は、自然と同じ道に立とうと決意したのである。


 そんな俺の師匠は整骨、整体を生業なりわいとしている祖父である。小さい頃から見慣れた職場。手伝い(という名の雑用)をさせてもらいながら、色々と勉強をさせてもらったものだ。

 そうしてついに専門学校を卒業し、国家資格の受験に無事に合格したのである。意気揚々と資格を手にした俺は、気付いたら森の中で三日も彷徨さまよっていたのである。意味が分からない。


「さて、やる事も思い出したことだし」


 耳をすませば、誰かが家事をしている物音が聞こえる。長い夢を見た気もするけど、きっと仮眠程度だったのだろう。今ならバァヤさんも湯浴みを終えた頃合いに違いない。マッサージをしてあげるには絶好のタイミングだろう。


「うーん、喜んでもらえると良いけど」


 一日の中でバァヤさんが肩や腰を叩いている姿を見る事は少なくない。日頃の疲れが少しでもやわらぐのなら、マッサージ師としても本懐ほんかいだ。


「あ、お世話になったギルエッタさんにも会いたいな」


 兵団に所属していると言っていたし、バァヤさんに聞けば居場所も教えてくれるだろう。きっと日頃から国の為に戦っているんだろうし、俺を見つけてくれた感謝も込めて、ギルエッタさんの身体を癒してあげられたら嬉しいね。

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