6. 消失者

 翌朝、朝食をとった後、部屋に戻った。さて、昨晩の続きをするとしよう。今この瞬間まで敢えて意識の外に追いやっていたのだが、そうでもしないとまるで、いつどこにいても仕事に付きまとわれているようで気分が悪くなる。いっそ人工知能に丸投げできれば楽なのだが、幸か不幸か、未だ人間の介在が不可欠なのだ。

 お昼時になったので、付随街に繰り出すことにした。もちろんホテルの食堂や近隣のカフェで昼食をとれば時短にはなるのだが、かつてデルタの付随街で育ったせいか、洒落た中心地区よりもごみごみした雰囲気の方が性に合う。何というか、中心地区の小ぎれいな空間を眺めていると、この場所は私という存在を排することによってより一層、美しく輝く気がするのだ。要するに、私はあの場所が好きじゃない。

 初日と同じように、昼食をとる店を探す。そして前と同様に、人と光と情報の溢れる表通りを外れ、裏道を探索する。

 ふと、来た道を振り返る。初日に突然テーブルで相席した男、ジェームズの姿が見えた気がしたのだ。だが雑踏の中では、それらしき人物を再び捉えることなど叶うはずもない。まあ、気のせいだろう。仮に見つけたとして、特に話すこともない。


 少し歩きまわった後、雰囲気の良さそうなカフェを見つけた。店の外観こそ地味だが、中に入ると予想通り、静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。

 カフェではサンドイッチと紅茶を注文した。トレイを受け取り、二人用の小さなテーブル席に座った。

サラミとレタスのサンドイッチ、そちらの方はまずまずの味だったが、紅茶の方はいまいちだった。ホテルで飲んだのと比べ、嫌な風味が混じっている。茶葉の階級が云々、抽出の温度が云々、軟水硬水が云々以前の問題だ。おそらく水が悪いのだろう。


 微妙というか、残念な気持ちを抱えながら店を出ると、私はすぐ異変に気付いた。

 目の前で、群衆がまるで何かから逃げるように駆けている。あちこちから悲鳴が上がる。市街地で戦闘でも起こっているのだろうか、断続的な銃声や、金属同士がぶつかる音が聞こえてくる。

私は群衆が逃げるのとは反対方向、すなわちパニックの発生源へと向かう。

 少し走ると、パニックの元凶をすぐ見つけることができた。付随街を象徴するメガ・ストラクチャーの足元、交差点の中心で二十人ほどの人間が入り乱れている。あの制服はおそらく、テンリュウ・バイオテックの治安部隊、それと他にもいる——そちらは装備がばらばらだから、傭兵だろう。一瞥してまともな連携が取れているとはいいがたい混乱っぷりだが、彼らは紛いなりにも協力して、共通の敵に立ち向かっているようだ。

 そして彼らが必死に立ち向かっている敵は——おそらく、かつてジェームズであった者だ。七三分けの髪はくちゃくちゃに乱れ、目は真っ赤に染まっている。皮膚は広範囲がぶくぶく膨れ上がり、血管が浮き上がっている、これらはナノマシンの暴走時に特有の現象だ。そして黒色の両腕は、肉と機械が融合して肥大化した、ひどく醜い姿へとなり果てている。インプラントとナノマシンの不協和音が成した異形だろう。それで精神の方はというと、様子からして明らかに自我を失っている。

 インプラントへの適応度を計るものとして、テック適性という指標が存在する。これに従ってインプラントを導入すれば拒絶反応を起こさずに済むが、この指標には一つ、重大な問題がある。それは、あくまで短期的な影響しか考慮していないことだ。中長期的にインプラントを利用したときの、テックが身体および精神に及ぼす影響は未知数である。特に企業の戦闘員や傭兵は仕事に直結する都合上、許容量いっぱいまでテックを体に入れることがよくある。彼らの一部はある日突然テックを暴走させ、今のジェームズのように破壊行為に及ぶ。それらには名称がつけられている——「消失者」。失ったのは、理性か、平静さか、自己か。身体の病だけでなく、精神の患いでさえ治療可能となった今日において、未だ発生原因が解明されていない現代病だ。


 テンリュウ社の治安部隊員らは、ジェームズに全く歯が立たないようだ。彼らは死に物狂いで銃弾をばらまき、ジェームズの体に剣を突き刺そうとしている。だがジェームズはびくともせず、逆に彼の巨大な腕で彼らを弾き飛ばし、叩き潰す。残った者は仲間の血しぶきと、肉、骨、機械の欠片を全身で浴び、いっそう恐怖を露わにする。テックが暴走した「消失者」は並みの人間には手に負えない。

 ほんの少しの間、思案を巡らす。全く悲惨な光景だが、私には関係ない、といえばそれまでだ。実際「消失者」への対処は、その地域を統治する企業の責任であるのに対し、公正局は個人の管理に対する責任を負っていない。だが一食を共にしたよしみだ、見なかったふりをするのはあまりに薄情だろう。それにこのまま放っておいたとして、「消失者」に敵う人間がいつここに表れるかも分からない。

 そう思い、剣を抜こうとしたその時、

 「どいて!」という掛け声とともに、人間離れした速度の影が、右横を掠める。腕を通していない灰色の上着と、銀髪の結わいた髪が目に焼き付く。

 彼女は青白色の刃を持つカタナ——私の剣と同じ、いかにもテックといった見た目をした片刃剣——を構えながら、ジェームズのもとに飛び込んだ。彼の大振りな攻撃を軽々とかわしつつ、カタナで次々と斬撃を叩きこむ。しまいに、カタナの刃先をジェームズの胸元に突き刺すと同時に、彼の胴体を思い切りねじ切った。

 ジェームズは倒れこみ、二度と動くことはなかった。


 一瞬あっけにとられていたが、すぐ我に返り、ジェームズが倒れた元へ歩いていく。カタナをしまい、しばらく彼の残骸を見つめていた彼女が、こちらに顔を向けた。

「あんた、彼の知り合い?」

 若いな、私より年下の傭兵だろう。私を警戒している素振りは見えない。

「まあ、そうだ。おととい昼飯で相席した」

「え、そんだけ? それはお気の毒に」

 心底どうでもいいといった口ぶりだ。とはいえ私も、感傷に浸っているわけではない。どんなにあっけない最期だとしても、所詮はごくありふれた死に過ぎないのだ。私の経験則によると、どうやらこの世界で生の価値は平等ではないというのは自明の理であるようだが、一方で死はその必然性ゆえ、平等に無意味である。

「それよりも、あんた堅気の人間じゃないでしょ。傭兵? どこで活動してたの」

 そういえば、ファーチャイにも似たようなことを言われたな。一応公務員なのだが、そんなにらしく見えないのか。

「いや、堅気の仕事だ。公正局に勤めてる」

「なら『代理人』? へーえ、そうなんだ」そう言いながら彼女は、右手を腰に当てた。肩に掛けられた上着が持ち上がり、カタナの色と同じ、空色のブラウスが目を惹く。彼女のアイデンティティカラーなのだろうか。


 私は彼女を知っている。知っているが、知り合いではない。

 一口に「傭兵」といっても、実力は様々だ。たいていは企業に就職することができなかった者が、傭兵として日銭を稼ぐ。それゆえ、傭兵を自称していながら、ろくに戦えない便利屋もどきも山ほどいる。その一方で、一人で企業の軍隊を丸ごと相手できるような、ワンマン・アーミーも存在する。

 十分な戦闘力を持つ傭兵は、企業に重宝される。というのは、企業の正規部隊を市街地に投入することは企業法で禁じられているため、企業紛争ではしばしば傭兵部隊が重宝されるからだ。特に、圧倒的な実力を持つ傭兵は、公正局、とりわけ我々代理人にとって脅威となる。

 ゆえに公正局は、有象無象の傭兵の中から、公正局の業務を支障しうるほどの者に「識別子」を付与し、その動向を監視している。今私の目の前にいる彼女、銀髪に灰色の服、青白色のカタナ、極めつけはその圧倒的な戦闘力。おそらく「霧の空虚」の識別子を持つ傭兵。名は確か、リサといったか。

 ちなみに識別子の名づけ方は、私も知らない。命名規則はあるようだが、個人的にはランダム生成の語列だろうと考えている。

「君はここで何をしてたんだ。テンリュウの雇われか」

「違うけど。たまたまランサックにいただけ。あんたと同じ、だって公正局の人間は『消失者』にわざわざ関わらないでしょ。それと、テンリュウとコネのあるフィクサーが知り合いにいるってのもある」

 フィクサー。企業などの依頼者と、傭兵の間を取り持つ職業。腕の立つ傭兵には必ず、広い人脈を持つフィクサーが裏にいる。彼らの支持をいかに取り付けるかが、傭兵として成功するかの分かれ目となるのだ。

「さてと、私は『消失者』狩りの報酬を受け取りに行くから。最後にあなたの名前を教えてくれない、『代理人』に直接会ったのは初めてだから。私は——いや、どうせ知ってるか」

「ああ。俺はラザフォードだ」

「ラザフォード?」彼女は僅かに目を見開き、「へえ、あの」と私に聞こえる声で呟いた。

 意外な反応だった。傭兵と違い、公正局の個人に関する噂が立つことなど、そうそうないはずだ。そもそも、北東回廊へはほとんど出向いたこともない。

「あなたほどの実力者が公正局の道具に成り下がってるなんて、皮肉だね」

 そう言い残して、リサは立ち去っていった。

——今、馬鹿にされたのか?

 道具とは心外だ。いや、確かに公正局の指示に従って活動するんだから道具かもしれないが、何も面と向かって言わなくてもいいじゃないか。そういうのは心のうちに留めておくべきことだろう。

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