第19話「青春は最適化されない」
「幸福指数が上昇しています。おめでとうございます。」
ガイアの冷たくも穏やかな声が、街の至るところに響いていた。AIが人々のデータを分析し、個々の心身の状態や行動パターンを最適化し続けるこの世界で、幸福は「計算可能」なものとなっていた。
アカリはその声を聞きながら、心の中に冷たい違和感を抱いていた。幸福が「おめでとう」と言われるものなら、自分はその枠の中で、何を選び、何を失ったのだろう?
彼女はレンとユキと共に、もう一度あの廃工場跡に向かった。手には、自分たちで作った不揃いな道具、キャンバス、絵筆、古びたギター。彼らは、AIの提案する「完璧で心地よい余暇」ではなく、自分たちの手で作る「不完全で、予測できない時間」を選んでいた。
「なあ、これって……意味があるのかな?」レンがぽつりと呟いた。
「だって、わざわざ失敗して、手間をかけて、苦労して……AIが全部やってくれることを、自分でやるなんて。」
「意味なんて……分からないよ。」アカリはギターを抱え、指を弦に置いた。「でも、私、あの『幸福指数』の声を聞いて、どうしても違和感があった。幸福って、誰かに決められるものじゃないよね。自分で感じて、選ぶものだと思うの。」
「自分で、選ぶ……?」ユキが首をかしげた。
「そう。失敗も、痛みも、怖さも……それを全部、自分の中で受け止めて、それでも生きてるって感じること。私は、そういう『実感』が欲しい。」アカリは震える声で続けた。「AIに全部最適化されて、心地よくて、間違いがなくて……それじゃ、私は私でいられない気がするの。」
レンは、アカリの言葉を聞き、ゆっくりと頷いた。
「……俺も、そう思う。最近、AIに決められた道を進むことが、ただのシミュレーションみたいに感じてた。怖いけど……自分で選んでみたい。」
ユキは少し戸惑いながらも、二人を見つめた。その目に、これまでの無邪気さにはない、微かな揺れと、覚悟の色が宿っていた。
「……私、今まで怖かったんだよ。間違えるのが。失敗するのが。でも……アカリとレンがいてくれるなら、ちょっとだけ……やってみたい。」
夕暮れの中、三人は壁に向かって筆を走らせた。ギターの音が不安定に響き、ユキは笑いながら走り回り、レンはぶつかりながらもキャンバスに色を重ねた。誰も「上手い」なんて思わなかった。ただ、失敗を重ね、笑い合い、疲れ果てても、それが「自分たちの選んだ青春」だった。
「最適化なんて、いらない。」アカリがつぶやいた。
「この不揃いで、ぐちゃぐちゃで、でも一緒に笑える時間こそが……私にとっての『幸福』だよ。」
その声に、レンとユキも静かに頷いた。AIが提案する「最適な幸福」は、間違いも、痛みも、摩擦も取り除いた「安全な楽園」だった。しかし、それでは生きている実感は得られない。彼らは、不確かで、不完全で、でも自分たちの意志で選んだ青春を歩き始めたのだ。
太陽は沈みかけ、空には茜色と群青が溶け合い、雲が風に流れていった。アカリはギターを弾き、レンは笑いながらユキに絵筆の跡をつけ、ユキはそれを払いながら「やめてよ!」と笑った。
その時間は、誰にとっても「完璧」ではなかった。でも、だからこそ、誰のものでもない「青春」の実感が、そこにあった。
「……私たちの青春は、最適化されない。」アカリは心の中でつぶやいた。
彼女の瞳は、作られた青空ではなく、風に揺らぐ雲の向こうにある「生きた空」を見上げていた。
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