江戸時代編
慶安事件①
長屋を出る時、じっと見つめる視線に気がついた。
(大家のご内儀だな)
平九郎は視線の主に心当たりがあった。
徳川家の支配も三代、家光の代を迎え、より一層、盤石となった感がある。戦は既に遠いものとなってしまった。
――面白きことなき世よ。
と、平九郎は思わずにはいられなかった。
幕府は大名の締め付けを強めており、少しでも落ち度があると、改易となってしまう。末期養子という跡継ぎがいない内に大名が危篤に陥ると、養子を取ってお家を存続させる緊急避難措置が認められていなかった。
この為、大名の改易が相次ぎ、世の中に浪人が溢れかえっていた。
平九郎も浪人の一人として江戸の裏長屋で暮らしていた。然るべき大名の家臣に成り代わることが出来たが、堅苦しい宮仕えに耐えられそうもなかった。
裏長屋での浪人暮らしを選んだ。
だが、世の中に浪人が増えるにつれ、社会不安が増大していた。必然、町人たちの浪人に対する視線にはどこか冷めたいものがあった。特に大家となると、店子を管理する義務がある。大家は人の良い親父だが、細君は店子を下に見ているふしがあり、蛇のように冷たい眼で、平九郎がよからぬことをしでかさないか監視していた。
平九郎は張孔堂を目指した。
神田の長屋に「張孔堂」という塾があった。中国の名軍師、張良と諸葛孔明の名前から一字ずつ取って名付けたものだ。
そこで、由井正雪という軍学者が楠木流兵学を教えていた。楠木流兵学は南北朝時代に活躍した忠臣、楠木正成の戦術、戦略を教えるもので、正雪は楠木正成の子孫を名乗る楠木不傳という人物に弟子入りし、兵学を納めた。
随分、評判の良い塾で、浪人はもとより、大藩の家臣も熱心に通っていた。そこに平九郎は斎藤平九郎を名乗り、毎日のように通っていた。
今日も塾は塾生で溢れていた。しかも、殺気立っている。
「どうしたのだ?」と聞くまでもなく、口々に「将軍が亡くなった」、「次の将軍はまだ子供におわす」、「それでどうやって御政道を正すことができるのだ」と喧々諤々、塾生たちが口角から泡を飛ばしながら激論を繰り広げていた。
三代将軍、家光が亡くなり、その後を十一歳の家綱が継ぐことになった。
「おおっ! 斎藤殿。こちらへ参られよ。塾長より話がござる」
丸橋忠弥が目ざとく平九郎を見つけると、袖を引っ張った。
丸橋忠弥は宝蔵院流槍術の使い手だ。武芸全般を極めた平九郎と丸橋はお互いに一目置く存在だった。平九郎の腕を以てしても、槍となると丸橋に勝てるかどうか分からなかった。
由井正雪の門弟の中で最上位にいる一番弟子と言っていいだろう。
「私に話?」
「そなたの腕を見込んでの話だ」と丸橋は言う。
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