第25話「異能に残る記録」
空気が凍るような沈黙の中、明は再び壁の前に立っていた。
壁は何も語らない。
だが、それでも明にはわかる。
この空間には、まだ“声にならなかったもの”が残っている。
叫びではない。
祈りでもない。
ただそこにいた“誰か”の存在。
それを拾うために、彼はそっと手を添えた。
「……始める」
明の声に、クロエはうなずくのみ。
余計な言葉は不要だった。
ここから先は、彼にしか踏み込めない領域だと、彼女には理解できていたから。
《観声(Echo Trace)》が再び静かに発動する。
視界が微かに揺れ、壁から“音”が溢れ出す。
ただし、それは声ではない。
悲鳴も、助けも、怒りすらない。
ただ無機質な、けれど確かに“人の痕跡”と呼べる音たち。
――重い足音。決して急がず、律動的な響き。
――工具を打ちつける音。木材を打ち、金具を締める。合板と壁材がすり合わせられる。
――息を呑むような気配。そして、その息は“笑い”にも似た微かな震えを伴っていた。
「……この音は、施工の最中……」
明は静かに呟いた。
聞き取るというよりも、追体験していた。
誰かがこの空間を“完成させていた”。
その時の気配が、いまだに空間に染み込んでいるのだ。
「この“静かな笑い”……感情じゃない。嬉しさでも、満足でもない。
ただ……そこにいること自体が快楽だったような、異様な音」
クロエがわずかに眉を潜める。
「感情が薄い……じゃなくて、“欠落してる”のね?」
「ああ。……これは“人を閉じ込める”ことに、罪悪感も目的意識も抱いてない」
まるで作業として淡々と、“棺”を作り上げていく職人のように――。
クロエは手元のタブレットで、明が発した《観声》の発動範囲と位置をマッピングしていた。
彼の聴いた“音”は、確かに壁の内側、封じられた空間から拾われている。
「……つまり、“そこにいた”。この空間を作った者が」
明は頷く。
「ああ。記録には残らないけど、《観声》は捉えた。……“声を出さなかった者”の、痕跡を」
「声を出さなければ、記録されない。録音も、監視カメラも、マイクロセンサーすら反応しない」
クロエが静かに言った。
彼女の視線は、すでに別の場所――デジタル機器の解析データへと移っていた。
彼女は、以前から部屋に設置していた環境センサー群のログを精査していた。
赤外線、振動、空気圧。
いずれも、明の《観声》と違い、“物理”の記録にすぎない。
だが、そこにも――奇妙な痕跡があった。
「これ……録音には一切ノイズが残ってない。
でも、センサーが一瞬だけ“床圧”の変動を記録してた」
明がその画面を覗き込む。
「誰かが動いた……でも、音は発されなかった」
「足音さえない。だけど、床は沈んでる。
……“存在”は、確かにあったのよ。証拠が残らないだけで」
クロエは指先でモニターを拡大し、特定の時刻を指差した。
「これは、半年前。被害者の失踪前後の時間帯。
しかも……その直前に、壁の内部で微細な気圧変動が起きてる」
「出入りの痕跡だな」
「……うん。音じゃなくて、“動き”の痕跡。
静かに、気づかれないように。まるで……監視者のように」
明はゆっくりと息を吐いた。
「声を出さず、音も立てず。けれど、そこにいた。――異様な存在として」
部屋の空気が重くなる。
クロエが、壁の図面を拡大表示する。
「そして、もう一つ気づいたことがある。
ここの壁。表面はリフォームされてて密閉構造だけど……
裏側、つまり“本来なら作業しない場所”に、小さな点検口の痕跡がある」
明の表情が僅かに動く。
「点検口……?」
「正規の設計図には載ってない。でも、構造的に、“メンテナンスのための空間”があった」
クロエは指でその箇所を示した。
「つまり、そこから内部にアクセスできる。声を聞かず、音も出さず、“視る”ためだけに……」
「そいつは、“中”に何度も来ていたのかもしれない」
明の声は低く落ち着いていたが、その奥には確かな怒りがあった。
「自分で作った“棺”を、何度も覗いていた……声を出さずに、感情を動かさずに。
それが――真壁遼」
その名前が、冷たい空気に響く。
「点検口の痕跡は、封鎖されてる?」
明の問いに、クロエは軽く首を振った。
「表面はきれいに隠されてる。でも、材質と厚みの違いがある。
おそらく、普通の内装業者じゃなくて、建物の構造を熟知した者が“施工後”に手を入れてる」
「つまり、侵入口が“意図的に隠された”ってことか」
クロエは黙って頷いた。
その設計は、すべてを見て、すべてを聞かず、
すべてを“記録させない”ことを前提に成り立っていた。
そこにあったのは、恐ろしいまでの無関心と、冷徹な計画性だった。
「声を拾えない空間、録音できない構造、名前を残さない契約、点検口を隠した壁」
クロエは静かに呟いた。
「すべてが、“発見されない死”のために設計されてる。……そして、それをやった人物は――」
「真壁遼」
明の声には、はっきりとした意志が込められていた。
《観声》が拾ったのは、音の記録ではない。
“誰かがそこにいた”という存在の証拠。声を発しなかった異物の気配。
その気配は、美咲の絶望と交わることもなく、ただ傍観するように漂っていた。
「……俺たちがこの空間を調べている間も、もしかしたら“見られていた”かもしれない」
その言葉に、クロエが目を細めた。
「……同感。気配はない。だけど、不自然な静けさって、あるのよね」
「俺の異能が拾った“無音の痕跡”は、まだ完全には消えてない。
やつは、近くにいたか、あるいは――今も、戻ってこようとしてるのかもしれない」
明は壁から手を離した。
空間に漂う不気味な緊張は、もはや気のせいではない。
証拠はなかった。
けれど、確かな“記録”が、彼らの異能に残されていた。
「声を出さず、記録にも残らず、気配を消して。それでも、存在していた」
「だからこそ、私たちが見つけなきゃいけない。“見えない存在”を、“見える証拠”に変える」
クロエが立ち上がる。彼女の瞳には、決して曖昧にしない意志の光が宿っていた。
明も静かに頷く。
「ここから先は、“名前”を探す段階じゃない。“意思”を暴く段階だ」
二人は視線を交わし、再び現場を見渡す。
すべては終わっていなかった。むしろ、今からが本番だ。
密室が語らなかった声。記録に残らなかった人間。証拠をすり抜けた存在――
真壁遼という“誰か”を、異能で暴く。それが、彼らの仕事だった。
「……声なき声を拾う者として」
明の呟きに、クロエがわずかに微笑を返す。
そして二人は、再び“記録されなかった痕跡”の中へと足を踏み入れていった。
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