第14話「壁の向こう」

 空間は、静寂を取り戻していた。


 《観声》の共鳴が途切れ、感情の残響も霧散していく中で、明は再び壁の前に立った。

 クロエはその隣に並び、淡々と、しかしどこか沈痛な眼差しで視線を落とす。


「……照らし合わせよう」

 クロエが口を開いた。

「私が《分解視》で見た限りでは、空洞はここから奥行き40センチ、横幅およそ2メートル。

 壁の厚みの異常はそこに集中してる」

 明は頷き、ゆっくりと指を動かす。彼の視線は空間ではなく“記憶”に向いていた。

「……俺が《観声》で感じた声も、まさにそこから聴こえてきた。

 “閉じ込められていた”のは、きっとその位置だ」


 ふたりの異能は、ちぐはぐではない。異なる視点で、同じ一点を示している。

 論理と感覚が、重なった。


「つまり、“そこ”に確かに空間が存在していて、そこに“声”が残っていた。

 しかも、生きていたときの“誰か”の声だ」


 クロエはデバイスを取り出し、図面と実測データを呼び出して重ね合わせる。

「これ、見て」

 表示されたのは、アパートの設計図と、クロエが《分解視》で記録した三次元スキャンデータ。

 両者は一致しているように見えたが、北側の壁だけ、明らかに違っていた。

「設計上は厚さ30センチ。でも、現実のこの壁は50センチある。

 そして、その分の“厚み”が内部構造として登録されていない」

「つまり、“何かで埋められている”か、“意図的に隠された空間”があるか、どっちかってことか」

「後者だと思う。しかも、断熱材の配置が極端なのよ」

 クロエはさらに画像を拡大し、断熱材の密度分布を指さす。

「通常は部屋の中心に向かって均等に配置されるはず。でも、これは壁の外側に偏りすぎてる。

 音を内側に閉じ込めるように、吸音材として働いてるような配置になってる」

「……音が外に漏れない設計、か」

「ええ。それに加えて、配線も外側に集中してる。中に電源も通信も何も通してない。

 “人間の生活空間”としては、完全に不自然」

「なら、“生活のため”じゃなくて、“封じるため”の空間ってことだな」


 クロエは無言で頷く。


「仮説を立てるわ」

 クロエの声が落ち着きを取り戻す。

「① かつてこの空間は、物置や収納だった可能性が高い。

 ② そのスペースを、あとから意図的に密閉し、内側から出られないよう構造を変更している。

 ③ さらに、外部から空間の存在が感知されないよう、吸音材を仕込み、

   “壁のように見える壁”を作った」


 明はその言葉を受け止めるように、再び壁に手を添える。

「……つまり、“閉じ込めるためのリフォーム”だな」

「間違いない」


 ふたりの目が交わった瞬間、確信が走った。

 これは、偶然できた構造ではない。

 老朽化でもなければ、手違いでもない。


「誰かが作ったんだ」

 明が呟くように言った。

「偶然できた空間じゃない。“誰か”が、“誰かを閉じ込めるために”、この密室を作り上げた」

 クロエが頷く。

「しかも、“外から入るための通路”が存在しない。ここに入ったら、出られない。

 完全に“一方通行”の構造」

「出る前提じゃなかったんだな。入れたら、それで終わり」


 部屋の静寂が、まるで冷気のように二人の足元を這った。


 浅井美咲。

 彼女は、生きたまま、ここに封じられた。

 誰かがそのための“空間”を設計した。

 そして、その声は、誰にも届かないように閉じ込められた――はずだった。


「……でも、届いた」


 明が、壁に手を置いたまま、静かに言う。

「誰も拾えなかった声を、俺たちは聴いた」

 クロエは黙っていたが、その視線は明と同じく、壁の一点を見つめていた。


 その向こう側。

 密室の向こう。

 そこに、誰かがいた。


「これが……“殺すための部屋”だなんて、信じたくないけど」

 クロエがぽつりと呟いた。


 その声は、怒りでも悲しみでもなく――探偵として、真実と対峙した者の声だった。

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