The Code Beyond~Echoes of Marina~

朧月アーク

第一章:Shadow of Record

 都市が眠ることはなかった。


 午後二時を回っても、スラムのネオンは息をするように瞬き、空を走るドローンタクシーの群れが、星のない夜空に人工の星座を描いている。


 ここは広域第四地区、通称【ガラリア】。都市のなかでも特に治安が悪く、政府の目が届かない場所だ。違法サイボーグ、未承認の情報素子、そして人の意識を侵す危険な薬すらが売買されている。まともに合法と呼べるものは、空気くらいのものだ。


 カズマは、もう3時間も同じ路地裏に腰を下ろしていた。金属廃棄物ジャンクの山を背にして、煙草の煙をゆっくり吐き出す。右腕の義手のきしむ音が、背後の古い冷却装置の雑音ノイズと混ざって、静寂とも騒音ともつかない空気をつくる。今日は朝から何も食べていない。昨夜の安い合成ビールがまだ胃に残っていて、軽い吐き気がするけど、無視するしかない。街の隅で生きるには、そんな小さな不快を積み重ねるのが日常だ。


 彼は時折、義手を軽く叩いて調子を確かめる。安物の部品で修理したせいか、最近反応が鈍い。路地を横切る野良猫が、好奇心から近づいてくるのを追い払う。猫の目がネオンに反射して輝くのを眺めながら、ぼんやりと思う。この街で待つのは、いつも退屈と緊張のミックスだ。


「……来ないな」


 小さく呟いた声に、誰も答えない。


 彼のもとに現れるはずの情報屋は、約束の時間を一時間以上過ぎてもまだ姿を見せなかった。だが、カズマにとってこれは想定の範囲内だった。この街では、時間は「守る」ものではなく「値切る」ものだ。約束の時間をずらすこと自体が交渉の一部として扱われる。情報屋が遅れるのは、相手の忍耐を試しているのかもしれない。カズマはもう一本煙草に火をつけ、ゆっくり吸い込む。煙が肺を満たす感覚が、わずかな安らぎを与えてくれる。


 そのとき、義手の手首に埋め込まれた小型スクリーンが震えた。メッセージの着信。差出人は不明。表示されたのは、たった一行。


『マリナを探せ。真実は記録の向こう側にある』


 マリナ。


 六年前に失踪した、彼の妹の名前だった。


 メッセージが消えると同時に、義手のスクリーンが再起動を始めた。回路が焼き付き始めたのか、映像がチカつく。熱暴走のきざしだ。こういうタイミングで限界がくるのは、機械も人間も同じらしい。カズマは義手を振って冷まそうとするが、無駄だ。仕方なく、路地の壁に寄りかかり、目を閉じる。頭の中に、マリナの笑顔が浮かぶ。


 ──マリナ。


 名を呼ぶだけで、頭の奥がじくじくと痛む。もう何度も、何年も、心の中で繰り返した名前だ。それでも、聞かされると胸の奥に火が灯る。6年前。彼女は突然消えた。当時、まだ14歳。家出とも誘拐とも、誰にも断定できなかった。警察も動いたが、【ガラリア】のような無法地帯に深入りする者はいない。やがて、彼女の存在そのものが都市の記録から消えた。ネットワーク上に残されたデータすら、徹底的に抹消されていた。


 カズマはあの頃のことを思い出す。妹と一緒に過ごしたささやかな日常。朝起きて、安いパンと合成ミルクで朝食を分け合う。マリナが学校の話を興奮気味に語るのを聞きながら、笑う。彼女はいつも好奇心旺盛で、都市の秘密を探るのが好きだった。兄として、守ってやりたかったのに……。


 失踪後、カズマは仕事を辞め、街中を探し回った。疲れ果てて路地で眠る夜もあった。だが、何も見つからなかった。ただ、虚無だけが残った。


「記録の向こう側……って、どういう意味だ?」


 カズマは再びスクリーンを見つめた。だが、画面は完全にブラックアウトしており、復旧には時間がかかりそうだった。ため息をつき、煙草の吸い殻を地面に捨てる。足で踏み消す音が、路地の静けさを破る。


 立ち上がると、足元の廃材ががしゃりと音を立てた。湿った空気と金属臭。過去も希望もすべてスクラップのように腐っていくこの場所で、生き残るには真実なんてただの贅沢だった。それでも──


「マリナが生きてる可能性があるなら……」


 彼女を消した何かがあるなら、もう一度、闇の底へ潜るしかない。カズマはコートのポケットに手を入れ、歩き出す。路地を抜けると、ネオンの洪水が視界を埋める。通りすがりの露店で、熱いコーヒーを買う。合成の味がするが、体を温めてくれる。歩きながら一口飲むと、少し頭がクリアになる。この街の日常は、こんな小さな行動で繋いでいくものだ。


 * * *


 次に向かったのは【グレイハウンド】と呼ばれる違法情報売買の仲介人インフォブローカーの溜まり場だった。ガラリヤ地下三階層、熱排気口の近く。目を背けたくなるような光景が連続する中で、ここは情報だけが通貨になる。通路を下りる階段は湿気で滑りやすく、カズマは慎重に足を運ぶ。時折、排気口から吐き出される熱風が顔を撫でる。汗が額に浮かぶが、無視して進む。


 狭い通路を抜けると、人工皮膚を張り替えている女の子、視覚モジュールの調整を受けている中年男、そして無言で端末を操作し続ける老人たちの姿が見えた。誰も目を合わせない。誰も、過去を話さず現在いましか見ていない。空気は重く、機械の低いうなり音と、時折聞こえる咳払いが混ざる。カズマはここに来るたび、息苦しさを感じる。でも、情報のためなら仕方ない。


 カズマはカウンターの端に腰を下ろし、奥にいる人物へ声をかけた。


「ハンナ。出てるか?」


「……カズマ?」


 暗闇の奥から現れたのは、茶髪ロングの女性だった。年齢不詳。見た目は若いが、裏社会では十年以上この名で通っている。彼女はカウンターに肘をつき、軽く首を傾げる。いつもの癖だ。


「久しぶりだね。生きてたの?」


「とりあえずはな。相変わらずの場所だな、ここは」


 カズマは軽く笑う。ハンナは笑いもせず、カウンター越しにカズマの前に座る。彼女は古いグラスに水を注ぎ、差し出す。カズマは受け取り、一口飲む。冷たくて、喉を潤す。


「今日は何? また妹の話?」


 カズマは答えずに、先程復旧したスクリーン画面を映す。ハンナの眼が少しだけ細まる。


「……何、これ?」


「誰かが送ってきた。差出人不明。内容は『マリナを探せ。真実は記録の向こう側にある』」


「記録……?」


 ハンナは思案するように頬を掻いた。しばらく沈黙が続き、そして彼女は口を開いた。カウンターの下から、古いタバコを取り出し、火をつける。煙を吐きながら、ゆっくり話す。


「ねえ、あんた。オリジナルログって知ってる?」


「……知らないな。詳しく教えてくれ」


「政府や企業が公式に保存してるデータの、もう一つ前。本来誰も触れられないはずの、記憶の原型……。マリナが消えた頃、そのオリジナルログにアクセスした奴らが、数人死んでる」


「……どこで?」


「企業区画。レイナス・システムズ社。記録管理部門。完全に封鎖されたログ・チェンバーよ」


 カズマは、深く息を吸った。やはり、あの会社に辿り着くのか──彼がかつて所属していた、そしてマリナが最後に働いていた企業。思い出すだけで、胸がざわつく。あの頃のオフィス、忙しない同僚たち、マリナがインターンで訪れた日……。すべてが遠い過去だ。


【レイナス】へ潜る時が来た。


 ハンナはカウンターの奥に手を伸ばし、折りたたまれた古びた紙の束を一枚取り出して、無言でカズマに差し出した。


「……これは?」


「昔、ある技術者が命がけで持ち出した内部メモよ。ログ・チェンバーの概要が書かれてる。公式記録じゃないけど、信憑性はある」


 カズマは受け取った紙を広げる。そこには、機械的な図解とともに、詳細な記述が記されていた。セキュリティのレイヤー、アクセスコードのヒント、チェンバーのレイアウト……。彼は丁寧に読み込む。ハンナは黙って見守る。


「マリナは、ここに触れたのかもしれない」


 紙を折りたたみながらカズマが呟く。その目に、迷いはなかった。立ち上がり、カウンターにチップを置く。ハンナは軽く頷く。


「気をつけなよ、カズマ。闇は深すぎる」


「わかってる。ありがとう」


 カズマは店を出る。地下の階段を上り、地上のネオンに戻る。風が冷たく、決意を固める。マリナの真実を、記録の向こう側で探す旅が始まる。

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