第36話 東部平野へ、護衛隊と共に
目を開けた瞬間、まだ暗い。
時計を見る。デジタルの数字が薄く光っている。午前四時三十分。体を起こす。ベッドが軋む。ギシッと小さく。昨日からの緊張が、まだ肩に残っている。重い。
カーテンを開ける。外は真っ暗。いや、違う。東の空が、ほんの少しだけ明るい。藍色から濃紺へのグラデーション。夜明けが近い。
深呼吸する。冷たい空気が肺に入る。ヒンヤリと。目が覚める。完全に。
今日は東部平野への本格的な探査だ。前回の狼もどきとの戦闘を踏まえて、護衛隊も大幅に増強された。柏木一尉からの連絡では、三十名を超える大部隊になるという。胸の奥で、期待と不安が渦巻く。グルグルと。
***
ログハウスの前に出る。
白い靄が草原を覆っている。濃い霧だ。視界が五十メートルもない。息を吐く。白い息が、霧に混じって消えていく。
足音が聞こえる。複数の足音。ザッザッザッ。規則正しいリズム。護衛隊だ。霧の向こうから、人影が現れる。一人、二人、三人……次々と。
迷彩服に身を包んだ隊員たち。ヘルメットが朝露で濡れている。キラキラと光っている。銃を肩から下げている。金属が触れ合う音。カチャカチャと。いつもより重装備だ。防弾ベストも着ている。厚い。
その後ろに、別の集団。白衣を着た人、作業着の人、測量機材を持った人。学者や技術者たちだ。今回から同行することになった専門家チーム。
「おはようございます、上月君」
柏木一尉が近づいてくる。背筋を伸ばして敬礼する。ビシッと。手が額に当たる音が、静かな朝に響く。
「おはようございます。……護衛も、随分増えましたね」
見渡す。前列に護衛隊員が二列。その数、二十名以上。後列に学者や技術者が十名以上。合わせて三十名を超える。これまでで最大規模だ。
「前回の件を踏まえてです」
柏木一尉の声が固い。狼もどきとの戦闘を思い出しているのだろう。あの時の血まみれの光景。藤崎二曹の傷。神崎の噛み跡。
「それと、今回は学術班も増員して随伴します」
視線の先を追う。白衣の裾を風に揺らしながら、田所教授が歩いてくる。分厚い資料を胸に抱えている。重そうだ。腕がプルプル震えている。
「現地での採取と地形測量、よろしく頼むよ」
田所教授が眼鏡を直す。カチャッと音がする。
「ええ、学者の方々にも安全に作業してもらえるよう、こちらも準備します」
一拍、視線を交わす。お互いの決意を確認するように。背筋がピンと伸びる。責任の重さを感じる。
測量機材のケースが地面に置かれる。ドスンと鈍い音。三脚が組み立てられる。カチャカチャと金属音。準備が進んでいく。
「魔石の配布を始めます」
俺が声をかける。みんなが振り返る。注目が集まる。
***
テントの中に入る。薄暗い。ランタンの光だけが頼りだ。オレンジ色の光が、テーブルを照らしている。
革製のケースを開ける。留め金を外す。パチンと音がする。蓋を開ける。ギィと革が軋む。
中に魔石が並んでいる。青く光る石。朝露を吸ったのか、表面が濡れている。水滴がついている。触る。ひやりとする。指先に冷たさが伝わる。でも、同時に温かい。魔力の熱だ。
「これ、全員に配るの?」
後ろから声。振り返る。理沙が立っている。覗き込んでくる。顔が近い。吐息が白く広がる。ハーッと。甘い匂いがする。
「ああ、護衛も学者も、最低限の魔法くらいは使えるようになってほしい」
魔石を一つ手に取る。掌に乗せる。重い。ずっしりとした重さ。でも、これが命を守る鍵になる。
理沙が頷く。その横顔を見る。朝の光が差し込んで、頬が薄く赤く染まっている。綺麗だ。でも、表情に緊張の影が見える。眉が少し寄っている。唇が引き締まっている。
「私も手伝うね」
「助かる」
二人でテントを出る。外の冷たい空気が顔を打つ。ピリッと。
護衛隊員と学者たちを一列に並ばせる。
「手袋を外してください」
指示する。みんなが手袋を外す。革手袋、軍手、ゴム手袋。それぞれ違う。ポケットにしまう。
一人ずつ、魔石を手渡していく。最初は若い護衛隊員。手を出す。震えている。緊張しているのか。魔石を掌に乗せる。
「冷たい……」
驚きの声。当然だ。初めて触る魔石。地球にはない物質。
「それが魔力をよく通す証拠だ」
短く答える。次の人へ。また次の人へ。
地質学者の番。若い研究者だ。目がキラキラしている。好奇心に満ちている。魔石を受け取る。じっと見つめる。
「すごい……本当に光ってる」
感動の声。科学者の目で観察している。
「目を閉じて、魔石に意識を流せ」
全員に指示する。みんなが目を閉じる。静寂が訪れる。風の音だけが聞こえる。測量機材の三脚が風に揺れる。カタカタと小さく。
集中している。みんな真剣だ。額に汗が浮かんでいる人もいる。じっとりと。
ぱちっ――
音がした。振り返る。一人の隊員の指先から、青い火花が弾けた。小さな稲妻。一瞬だけ。でも、確かに魔法だ。
「やった!」
隊員が目を開ける。驚きと喜びが混じった表情。
「今の感覚を覚えておけ」
他の人たちも目を開ける。羨ましそうに、その隊員を見る。
「俺もやってみる」
「私も」
競うように魔石を握りしめる。集中する。また火花が弾ける。今度は別の人。パチパチと小さな音。青い光が点滅する。
場の空気が和らぐ。緊張が解けていく。笑顔が増える。
「すごいな、これ」
「本当に魔法が使えるんだ」
口々に感想を述べる。興奮している。子供みたいに。
理沙が微笑んでいる。優しい笑顔。みんなの様子を見守っている。
***
装甲車のエンジンがかかる。ブルルルル。重低音が響く。地面が震える。振動が足から伝わってくる。
車体に近づく。鉄の匂いがする。油の匂いも混じっている。機械油。ディーゼルの排気ガス。鼻を刺す。
ドアを開ける。重い。ガチャンと音がする。中に入る。シートに座る。硬い。軍用車両のシート。クッションが薄い。
理沙が隣に座る。シートベルトを締める。カチッと音がする。肩紐を調整する。
「何があっても、私も戦うから」
理沙が俺を見る。真っすぐな瞳。決意が宿っている。
胸が熱くなる。ジンと。理沙の成長を感じる。もう守られるだけの存在じゃない。一緒に戦う仲間だ。
「じゃあ、頼りにする」
答える。理沙の口元が緩む。少しだけ。嬉しそうに。
エンジンの振動が強くなる。発進の準備。運転手がギアを入れる。ガチャン。
「出発します」
無線から柏木一尉の声。
車が動き出す。ゆっくりと。車列を組んで。前に二台、後ろに三台。護衛車両に囲まれている。
窓の外を見る。森が後ろへ流れていく。朝の光が木々の間から差し込む。キラキラと。美しい。
空を見上げる。二つの月がまだ見える。赤い月と青い月。薄明の中に溶けていく。消えそうで消えない。幻想的だ。
前方に東部平野が広がっているはず。まだ見えない。でも、もうすぐだ。未知の大地。何が待っているか分からない。危険かもしれない。でも──
周りを見る。護衛隊員たち。学者たち。理沙。みんながいる。
俺はもう一人じゃない。
その事実が、心強い。鼓動が力強くなる。ドクンドクンと。規則正しく。
これから向かう未知の地平。その広さは想像もつかない。でも、恐れはない。みんなと一緒なら、きっと大丈夫だ。
***
一時間ほど走ると、景色が変わり始めた。
森が途切れる。視界が開ける。広い。とにかく広い。
東部平野だ。
地平線まで続く草原。風が草を揺らしている。波のように。緑の海みたいだ。所々に低木が点在している。アカシアに似た木。でも、葉の色が違う。青みがかっている。
「すごい……」
誰かが呟く。みんな窓に顔を押し付けている。子供みたいに。
「これが東部平野か」
田所教授が資料を見ながら言う。
「予想以上に広い」
確かに。地図で見るのと、実際に見るのとでは全然違う。スケールが違う。
車が止まる。エンジンが切れる。静寂が戻る。
「降車」
柏木一尉の指示。ドアが開く。外に出る。
風が吹く。強い風。草の匂いがする。土の匂いも。でも、地球とは違う。もっと乾いている。もっと野生的。
足元の草を踏む。パキパキと音がする。硬い草だ。
「警戒態勢」
護衛隊員が散開する。銃を構える。周囲を警戒する。訓練された動き。無駄がない。
学者たちが機材を降ろし始める。測量器、土壌サンプル採取器、各種センサー。重そうだ。みんなで協力して運ぶ。
「ベースキャンプを設営します」
テントが立てられる。ポールを組む。カチャカチャと。シートを張る。ロープで固定する。風に飛ばされないように。
俺は周囲を見渡す。360度、草原。山は遠くに霞んでいる。青い影として。川が見える。キラキラと光っている。水がある。これは重要だ。
「上月様」
柏木一尉が近づいてくる。
「はい」
「偵察班を出したいのですが」
「どの方向に?」
「まず川沿いに。水源の確認と、周辺の安全確認を」
「分かりました。俺も同行します」
「それは──」
柏木一尉が躊躇する。危険だと思っているのだろう。
「大丈夫です。何かあれば魔法で対処します」
「……分かりました」
偵察班が編成される。五名の護衛隊員。俺。そして──
「私も行く」
理沙が手を挙げる。
「理沙は──」
「回復魔法が使えるから。怪我人が出たら、すぐに治療できる」
確かに。理沙の言う通りだ。
「分かった。一緒に行こう」
理沙が微笑む。嬉しそうに。
偵察班が出発する。草原を歩く。サクサクと草を踏む音。風が吹く。髪が揺れる。
川に近づく。水の音が聞こえてくる。ザーザーと。澄んだ音。
川岸に立つ。水が流れている。透明な水。底が見える。石が転がっている。魚が泳いでいる。銀色の魚。地球の魚とは違う。ヒレが大きい。
「水質検査を」
護衛隊員の一人が検査キットを取り出す。水を採取する。試薬を入れる。色が変わる。
「飲用可能です」
よかった。水の確保は最重要課題だ。
その時──
草むらが揺れた。ガサガサと。何かいる。
全員が身構える。銃を向ける。俺も魔法の準備。手に魔力を集める。
出てきたのは──
小さな動物だった。ウサギに似ている。でも、耳が四つある。毛が青い。不思議な生き物。
こちらを見ている。怯えている。震えている。
「可愛い」
理沙が呟く。
ウサギもどきは、ピョンと跳ねて逃げていった。草むらに消える。
緊張が解ける。みんなが苦笑する。
「驚かせやがって」
「でも、害はなさそうだ」
偵察を続ける。川沿いを歩く。地形を確認する。植物を観察する。動物の痕跡を探す。
平和だ。今のところは。でも、油断はできない。どこかに危険が潜んでいるかもしれない。
日が高くなってきた。気温が上がる。暑い。汗が流れる。
「そろそろ戻りましょう」
柏木一尉の提案。みんな疲れている。初日から無理はできない。
ベースキャンプに戻る。テントが完成している。立派なキャンプだ。
昼食の準備が始まっている。炊事班が働いている。いい匂いがする。腹が鳴る。グゥ。
東部平野の探査は、順調に始まった。
でも、これはまだ序章に過ぎない。この広大な平野に、何が隠されているのか。それを知るのは、これからだ。
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