第5話 シャルの正体 ②

今朝、ギルドに顔を出すと、エマさんが慌てた様子で私のもとに駆け寄ってきた。

どうしたのかと思えば、昨晩、私が依頼から一向に戻らないことを心配していたらしい。あのとき私は、ギルドのことなんて頭からすっかり抜けていた。


心配をかけたことを謝ると、「もう絶対にやめてくださいね」と少し怒られた。


そして案の定、なぜ報告を忘れたのかと問われて言葉に詰まる。

説明すればシャルのことを話す羽目になる。だからごまかして、「依頼人がいなくて、家でふて寝してました」と言ったら、さらに怒られた。


結局、今日は新たな依頼を受けることなく、街を巡って様子を見ることにした。

誰かに尾行されていないか、怪しい人が近づいてこないか――そんなことをぐるぐる考えながら歩き回った。


結論としては、特に収穫はなかった。

いや、“ない”というのは、むしろ好ましいことなのかもしれない。


そんなこんなで、あっという間に夕方になり、私は部屋へと戻った。


扉を開けると、シャルがハサミを自分の顔に向けているところだった。


「えっ、ちょっとシャル、なにやってるの! 危ないって!」


慌てて駆け寄り、ハサミを取り上げる。


「えっ、レナさん。おかえりなさい?」


キョトンとした顔でこちらを見るシャル。……あれ? 何かがおかしい。


「何してたの?」


「えっと……髪を切ろうかと」


「髪?」


彼女を見つめる。前髪が目にかかっているわけでもない。特に気になる長さには見えない。


「そんなに伸びてる?」


「いえ、後ろを。ばっさりと」


「えっ!?」


思わず素っ頓狂な声が出てしまった。


「私、決めました。逃げ切るために、できることなら何でもします」


“せっかく綺麗な髪なのに”なんて言おうとしたけれど、それは違う。

命が懸かっているんだ。髪なんて、そのためなら切るのは当然なのかもしれない。


「後ろは見えないでしょ? 私が切るよ」


「……ありがとうございます、レナさん」


彼女は素直に椅子に腰を下ろした。この家には鏡もないし、自分出来ることは難しいと分かっていたのだろう。


夕暮れの光が窓から差し込み、彼女の金色の髪を柔らかく照らしていた。


私は彼女の後ろに立ち、部屋にあった手にし、それを軽く通し、慎重に髪をすくい上げる。


ハサミの刃が静かに音を立てる。


ふわりと舞い落ちる、光を帯びた髪の束。


それをそっと拾い上げる。細く、光を透かすような金糸。しっとりとしていて、まるで絹のようだった。


……綺麗


再び彼女の前に立ち、髪に指を滑らせる。

根元から毛先へ、指がするりと通り抜ける。


「……すごい。シャルって、こんなに髪、綺麗だったんだ」


無意識にこぼれた言葉に、シャルは少し肩をすくめた。


「そうですか? 自分では、あまり気にしたことなかったんですけど……」


控えめに笑うその横顔を見て、私は胸の奥がざわつくのを感じた。


「シャル……あなたは一体……」


そう聞きかけて、私は唇を噛んだ。

いけない、それは今、聞いてはいけない。


彼女はきっと、誰にも言えない何かから逃げている。

抱えているものがある。誰も頼れず、それでも生きようとしてる。

そして――この髪は、その覚悟の象徴なんだ。


◆ ◆ ◆


「……こんな感じ、かな」


最後の一束を切り、彼女の肩にそっと手を置いて知らせた。

鏡なんてものは無いから本人は確認できないけど問題は無いはずだ。


私と同じくらいのミディアム丈。でも、その金色のウェーブは私の特徴のない黒髪とはまるで違う。

ふわりと揺れる髪とともに、そこに立っていたのは――決意を宿した新しい、シャルなのだろう。


「似合ってるよ」


そう告げると、シャルは目をわずかに潤ませ、小さく微笑んだ。そのわずかにこぼれた心のうちは、何だろう。


「一体、何で追われてるの?」


さっき決意したばかりなのに、無意識に言葉を発していた。

問いかけた瞬間、小さく息を呑む音が聞こえた。


彼女の表情が、ほんの一瞬だけ固まる。だがすぐに、微笑みが戻る。


「……秘密です。それは、まだ怖くて言えません」


その答えに、私は少し詰まりかけて――けれどそれ以上は聞かなかった。代わりに、ふっと笑った。


「そっか、ごめんね。でもね、もし本当に危なくなって、“レナなら大丈夫”って思えたら、その時は教えて。何があっても、絶対に助けるから」


「……はい」


シャルは小さくうなずいた。

その声は、あの地下で初めて聞いた時より、少しだけ確かで、少しだけ明るかった。



この子は、きっと私なんかが想像するより、ずっと深い闇を背負っている。



その夜、シャルは私のベッドの隅で小さく丸くなって眠りについた。

微かな寝息が音のない夜中の部屋に溶けていた。


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