第36話 帝都戒厳、ソウルの深淵、最後の希望の正体
帝都・東京は、南雲譲二陸将補率いる決起部隊「暁」によるクーデター未遂事件――「暁作戦」――の勃発により、未曾有の混乱と恐怖に包まれた。旧華族の屋敷を舞台とした陸海軍首脳部及び長谷川、氷川ら政府要人を狙った奇襲攻撃は、双方に多数の死傷者を出す激しい銃撃戦の末、決起部隊の戦力不足と、国家保安局及び「黒曜」部隊の迅速な反撃により、数時間で鎮圧された。
帝都放送局の制圧に向かった別動隊もまた、目的を達することなく壊滅。南雲陸将補は、戦闘中に負傷し、腹心の部下たちの多くを失いながらも、辛うじて包囲網を突破し、帝都の地下に張り巡らされた古い地下鉄網へと潜伏した。生き残った決起部隊の残党もまた、地下へと逃れ、抵抗を続けようとしていた。
帝国臨時政府は、直ちに帝都全域に戒厳令を敷き、国家保安局と帝国軍による徹底的な「反乱分子」の捜索と粛清を開始した。テレビやラジオは、政府の管理下に置かれ、「一部の不心得者による暴挙は鎮圧された。帝国の安寧は揺るがない」という一方的なプロパガンダを繰り返し放送した。しかし、帝都の空には軍用ヘリが飛び交い、街角には装甲車と武装兵士が展開し、市民生活は完全に麻痺状態に陥った。銃声とサイレンの音が、断続的に帝都の夜を切り裂いていた。
この帝都でのクーデター未遂事件は、瞬く間に世界中に報道された。国際社会は、日本の政情不安と、帝国の強権支配の脆さが露呈したことに、大きな衝撃と警戒感を抱いた。アメリカや中国、ロシアといった大国は、それぞれの思惑のもとに、日本の内乱の行方を注視し、自国の国益を最大化するための次の一手を画策し始めていた。
韓国、ソウル近郊の隠れ家。
天城航太郎は、キム・スジンと共に、仁川港での死闘を生き延びたものの、ソフィー・ルグランの安否は依然として不明だった。天城がオーシャン・パイオニア号から持ち出したSSDには、長谷川の国際的な不正取引の決定的な証拠が収められていたが、それを世界に発信する手段は限られていた。ファルコンとの連絡も途絶えたままだ。
「…スジンさん、あなたの目的も、長谷川を追うことなのよね? あなたは、一体何者なの? そして、ファルコンとの関係は?」
天城は、キム・スジンに改めて問いかけた。彼女の戦闘能力と情報網は、明らかに素人のものではない。
キム・スジンは、しばらく沈黙した後、重い口を開いた。
「…私は、かつて北朝鮮の秘密警察『国家保衛省』に所属していた工作員よ。だが、数年前、ある『事件』をきっかけに組織を裏切り、今は長谷川と、彼が操る『黒龍会』、そして彼らに繋がる国際的な闇のネットワークを潰すために活動しているわ。ファルコンは、その過程で私に協力してくれている、数少ない信頼できる情報源の一人よ」
「北朝鮮の…工作員…!? では、ソウルの『秘密会議』で長谷川たちが計画していた、北朝鮮の『内部からの革命』というのも…」
「ええ、おそらくは私のような『元同志』や、現体制に不満を持つ勢力を利用して、混乱を引き起こし、それを口実に軍事介入しようという魂胆でしょうね。長谷川は、北朝鮮だけでなく、韓国、そして日本をも手中に収め、アジアに彼独自の『帝国』を築こうとしているのよ。そのために、米露の力を利用し、時には対立させ、漁夫の利を得ようとしている、恐ろしく狡猾な男だわ」
キム・スジンの言葉は、天城が掴んだ情報の断片と、見事に符合していた。
「…長谷川の計画を阻止するためには、彼がソウルで接触しようとしていた、米露の代理人たちの正体と、彼らが交わそうとしていた密約の具体的な内容を突き止める必要があるわ。そして、それを世界に暴露するの。それが、今の私たちにできる唯一のことよ」
キム・スジンは、新たな情報端末を操作し、ソウルの「秘密会議」が中断された後、各国の代理人たちが潜伏していると思われる場所のリストを天城に示した。それは、再び危険な虎の穴へと飛び込むことを意味していたが、天城の心に迷いはなかった。彼は、ソフィーの想いを胸に、そしてキム・スジンという新たな協力者と共に、この巨大な陰謀の核心へと迫る決意を固めた。
その頃、日本国内のどこか、山中の崩壊した「選民会議」アジト周辺。
藤堂とその部下たちは、蓮見志織が死の間際に発信したと思われるビーコン信号の調査と、「汚れた聖剣」の回収・安全確認作業に追われていた。蓮見の最後の抵抗は、核弾頭の完全な起爆こそ阻止したものの、彼女が混入させた化学物質は、核物質の一部を不安定化させ、微量ながらも危険な放射性物質を周囲に飛散させていた。
「…藤堂様、ビーコンの発信源は、やはりあのアジトの崩壊地点です。蓮見志織の遺体は…まだ発見できていませんが、あの状況では生存は絶望的でしょう。しかし、彼女が『聖剣』に施した細工は、我々の予想以上に深刻なようです。このままでは、氷川長官との取引に支障が出かねません」
部下の一人が、険しい表情で報告した。
「…構わん。我々の『指導者』は、この程度のことで計画を諦めるような御方ではない。むしろ、この『汚れた聖剣』が、より『効果的』な形で利用できるかもしれないと仰せだ。氷川長官には、予定通り『聖剣』を譲渡する。ただし、その『使い方』については、我々が主導権を握らせてもらう」
藤堂の瞳には、蓮見の死に対する感傷など微塵もなく、ただ自らの「指導者」への狂信的な忠誠心と、計画遂行への冷徹な意志だけが宿っていた。彼らは、「汚れた聖剣」を、氷川が計画する国内での「偽装テロ」に利用し、その混乱に乗じて、彼らの「指導者」が帝国の権力を掌握するための、最終段階へと駒を進めようとしていた。蓮見志織の最後の願いは、無惨にも踏みにじられようとしていた。
台湾東方沖。「雷鳴」艦内。
相馬圭吾大尉と風間武蔵少佐は、謎の友軍潜水艦――「国防軍・最後の希望」と名乗り、殉職したはずの相馬の同期・橘からのものと思われる信号を発した艦――との、緊張した交信を続けていた。
『…ソウマ…カザマ…我々ハ…旧国防軍時代カラ…極秘裏ニ組織サレテイタ…帝国ノ暴走ヲ監視シ…万が一ノ場合ニ…ソレヲ阻止スルタメノ…独立部隊ダ…』
橘(あるいは、その艦の現在の指揮官)からの通信は、途切れ途切れながらも、衝撃的な内容を伝えてきた。
「独立部隊…!? 国防軍の中に、そんな組織が…!?」
相馬は、信じられない思いで呟いた。
『…一之瀬政権ノ樹立以降…我々ハ活動ヲ地下ニ潜行サセ…機会ヲ窺ッテイタ…長谷川ト黒龍会ノ陰謀…ソシテ…帝国ノ核武装計画…ソノ一部始終ヲ把握シテイル…』
「では、なぜ今まで…!?」
『…力ガ足リナカッタ…ソシテ…仲間ノ多クヲ失ッタ…ダガ…マダ諦メテハイナイ…南雲将補殿モ…オソラクハ我々ト同ジ目的ヲ持ッテイルハズダ…彼ト連携ヲ取ル必要ガアル…ソノタメニモ…マズハ、「黒龍会」ノ手ニ渡ッタ可能性ノ高イ「アルモノ」ヲ奪還シナケレバナラナイ…』
「『黒龍会』の手に渡った『あるもの』…? それは一体…?」
風間が、鋭い目で尋ねた。
『…ソレハ…「天叢雲剣計画」ノ最終段階ニ不可欠ナ…「起動認証キー」ダ。それは、複数の特殊合金パーツで構成され、内部に量子暗号化チップが埋め込まれた物理的なデバイスであり、専任の認証担当技官の生体認証と組み合わせることで初めて機能する。ソレガ先日沈没シタ「剣龍」ニ極秘ニ搭載サレ、某所へ移送中だった。我々はその情報を掴み、警護にあたっていたが、「黒龍会」ノ別働隊が「剣龍」ヲハイジャックシ、キーと技官ヲ奪おうとしたのだ。君タチ「雷鳴」ノEMP攻撃ハ、結果的ニ技官ガキーノ重要ナ構成パーツの一部ヲ破壊し、暗号化チップにもダメージを与える時間ヲ作ッタガ…「剣龍」ハ沈没シ、技官ト破損シタ起動認証キーハ、「黒龍会」ノ手ニ渡ッタ可能性が極めて高い』
「なんだと…!? では、あの『剣龍』の悲劇の裏で、そんなことが…!」
相馬は、自分たちの行動が、図らずもさらに複雑な事態を引き起こしていたことを知り、戦慄した。
『…「黒龍会」ハ、ソノ破損シタ起動認証キート技官ヲ利用シ、キーを修復するか、あるいは別の手段デ「天叢雲剣」ヲ掌握シヨウトシテイル。我々ハ…ソレヲ阻止シナケレバナラナイ。ソノタメニ、彼ラノ次ノ潜伏先ヲ特定シ、急襲スル。君タチ「雷鳴」ニモ…協力ヲ願イタイ…コレガ…帝国ヲ救ウ…サイゴノ機会カモシレナイ…』
橘からの通信は、そこで途絶えた。
相馬と風間は、顔を見合わせた。彼らが直面している現実は、想像を遥かに超えて複雑で、そして危険なものだった。「天叢雲剣計画」の最終的な「鍵」を巡る争奪戦。そして、その背後で暗躍する「黒龍会」と長谷川。
「…行くぞ、風間少佐。我々も、その『最後の希望』とやらに、賭けてみるしかないようだ」
相馬は、決然と言い放った。「雷鳴」は、再びその艦首を未知の海域へと向け、最後の戦いへと身を投じる覚悟を決めた。
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