第21話 帝都の亀裂、国境の刺客、絶望の淵
スイスから極秘裏に帰国した南雲譲二陸将補は、ロシアの密使から得た衝撃的な情報を胸に、帝国陸軍総司令部の自室で深い苦悩に沈んでいた。アメリカとロシアが日本の頭越しに裏取引を行い、日本の核開発計画「天叢雲剣計画」の情報がアメリカに筒抜けになっているという事実は、彼が信じてきた帝国の「正義」を根底から覆すものだった。そして、長谷川内閣情報調査室長官が、その全てを知りながら、あるいは積極的に関与しながら、自分をスイスへ送り込んだという事実は、南雲に言いようのない怒りと絶望感を与えていた。
(この国は…一体どこまで腐っているのだ…! 一之瀬宰相も、長谷川も、国民を欺き、私利私欲のためにこの国を破滅させようとしているのか…!)
南雲は、入手したマイクロフィルムとUSBメモリのデータを厳重に保管し、誰にもその存在を悟られぬよう細心の注意を払った。そして、彼はまず、この情報を共有し、共に戦ってくれる可能性のある、数少ない信頼できる人物に接触することを決意した。その筆頭は、長年、南雲の副官を務め、彼の苦悩を間近で見てきた榊原三佐だった。
「榊原君、君に極秘裏に見てもらいたいものがある。だが、これを見た以上、君も後戻りはできなくなるかもしれない。その覚悟はあるか?」
南雲は、いつになく厳しい表情で榊原に問いかけた。榊原は、一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに決然とした目で頷いた。
「閣下のためなら、いかなる危険も厭いません」
南雲は、榊原を自室の奥にある、盗聴防止装置が施された密談室へと招き入れ、スイスで入手した情報の一部を彼に見せた。榊原は、その内容に目を通すうちに、みるみる顔色を変えていった。
「…これが…真実なのですか、閣下…? 我々が信じてきた大義は…全て…」
「まだ全てが明らかになったわけではない。だが、帝国の中枢が、恐るべき腐敗と欺瞞に侵されていることは間違いないだろう。我々は、このままでは多くの将兵を無駄死にさせ、国を滅ぼすことになる。榊原君、私は…この流れを何としても止めたいのだ」
南雲の言葉に、榊原はしばし沈黙したが、やがて力強く頷いた。
「…閣下のお覚悟、しかと拝察いたしました。微力ながら、私も閣下のお力になります。たとえ、それが茨の道であろうとも」
南雲は、榊原の言葉に、胸が熱くなるのを感じた。孤独な戦いだと思っていたが、まだ信頼できる部下がいた。それは、絶望の淵に差し込んだ、一筋の光明のようだった。二人は、まず「北極星作戦」の危険性を軍内部で訴え、作戦の中止、あるいは延期を働きかけることから始めることにした。そして、長谷川長官の周辺をさらに探り、彼の真の目的と、その背後にいるであろう「黒幕」の正体を突き止めることを誓い合った。だが、それは、帝国の巨大な権力構造に真っ向から挑む、あまりにも危険な賭けだった。
東南アジア、某国の国境地帯。
天城航太郎は、ジャガーとその数人の部下と共に、険しい山岳地帯を越え、隣国への潜入に成功していた。そこは、中央政府の統制が緩く、様々な武装勢力や非合法組織が跋扈する、無法地帯のような場所だった。
ジャガーは、天城を国境近くの小さな村にある、古い寺院へと案内した。そこは、表向きは敬虔な仏教寺院だったが、その地下には、ファルコンが運営する広大な情報ネットワークの拠点の一つが隠されていた。
「ここなら、しばらくは安全だろう。帝国国家保安局も、そう簡単には手出しできん。君の傷が完全に癒えるまで、ここで次の準備をするといい」
寺院の奥にある隠し部屋には、世界中と繋がる高性能な通信設備と、膨大な情報データベース、そして武器や偽造パスポートといった「活動」に必要な物資が豊富に蓄えられていた。
「ジャガーさん、ファルコンは…一体何者なんだ? なぜ、これほどの設備と情報網を…?」
天城は、改めてファルコンという存在の底知れなさに戦慄を覚えた。
「ファルコンは、ファルコンだ。それ以上でも、それ以下でもない。奴の過去を知ろうとするのは無意味だ。重要なのは、奴が君に何を提供し、そして君がそれをどう使うかだ」
ジャガーは、そう言うと、天城に一つの暗号化された衛星電話を手渡した。
「これを使えば、ファルコンと直接コンタクトが取れる。ただし、奴が応答するかどうかは、奴の気分次第だ。そして、君が本当に『覚悟』を決めた時だけ、使うことだ」
天城は、その衛星電話を手に、複雑な思いに駆られた。ファルコンは、自分に世界の闇を暴くための「武器」を与えた。だが、その武器は、使い方を誤れば、世界をさらなる混乱に陥れる危険性も孕んでいる。
彼は、まずジャガーから提供された情報を元に、帝国政府が隠蔽している台湾での戦争犯罪や、国内での人権弾圧の実態をまとめ、国際的な人権団体や独立系メディアに匿名でリークすることから始めた。それは、かつて彼が一人で行っていた作業だったが、今はファルコンの情報網と、ジャガーのような頼れる協力者がいる。
彼のリークした情報は、瞬く間に世界中に拡散し、帝国政府に対する国際的な非難の声を一層高めることになった。帝国政府は、これらの情報を「敵対勢力による悪質なデマ」と一蹴したが、その動揺は隠せなかった。
天城は、小さな一歩ではあるが、確かな手応えを感じていた。だが、彼の本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。彼が次に狙うのは、帝国の中枢、そしてその背後で蠢く、より巨大な悪の存在だった。
一方、日本国内のどこか、人里離れた山中にある極秘の地下施設。
蓮見志織は、ガスマスクを装着した黒ずくめの男たちによって、そこに監禁されていた。そこは、以前彼女がいた科学技術院の地下施設よりも、さらに深く、そしてより軍事的な色彩の濃い場所だった。壁には、見たこともないような複雑な紋章が掲げられ、廊下を歩く男たちは、まるでカルト教団の信者のような、異様な狂信的な雰囲気を漂わせていた。
蓮見を拉致した集団のリーダーは、自らを「選民会議(せんみんかいぎ)」の幹部、「コードネーム:オリオン」と名乗った。オリオンは、初老の男だったが、その瞳は若々しい野心と、狂気にも似た光で爛々と輝いていた。
「ようこそ、蓮見志織技師。君の才能と、君がもたらした『天叢雲剣』は、我々の大いなる理想を実現するための、最後の切り札となるだろう」
オリオンは、蓮見に対して、奇妙なほど丁重な態度で接したが、その言葉の端々には、有無を言わせぬ威圧感が込められていた。
「選民会議…? あなたたちは、一体何者なんですか…? そして、天叢雲剣をどうするつもりで…?」
蓮見は、恐怖を押し殺し、尋ねた。
「我々は、腐敗しきった現体制を打倒し、真に選ばれたる者による、新たな千年王国をこの地上に築かんとする者たちだ。一之瀬新は、確かに帝国を再興させ、一時的な熱狂を生み出した。だが、彼もまた、旧体制の権力者たちや、海外の邪な勢力に利用されているに過ぎない。彼のやり方では、真の理想国家は実現できないのだ」
オリオンの言葉は、荒唐無稽とも思えるものだったが、その声には、揺るぎない確信が込められていた。
「そして、君が開発した『天叢雲剣』…あれは、単なる破壊兵器ではない。あれは、神が我々に与えたもうた、世界を浄化し、新たなる秩序を創造するための『聖剣』なのだ。我々は、藤堂君のような『理解者』を通じて、君の協力を得ることができた。感謝しているよ」
蓮見は、愕然とした。藤堂は、この「選民会議」の一員だったというのか? そして、自分は、結果的に、この狂信的な集団に、人類を破滅させかねない力を与えてしまったというのか?
「そんな…私は、ただ、核兵器の脅威をなくしたかっただけで…」
「君の純粋な願いは理解できる。だが、時には、より大きな善のためには、小さな悪も必要となるのだ。君には、これから『天叢雲剣』の最終調整と、そして…我々が選定した『目標』への照準設定を手伝ってもらう。これは、君に与えられた、栄誉ある使命だ」
オリオンは、そう言うと、蓮見に一つの設計図を見せた。それは、彼女が開発に関わった核弾頭の、さらに改良された、より強力な破壊力を持つ新型弾頭の設計図だった。そして、その隣には、世界の主要都市が記された地図が広げられていた。
蓮見は、その光景を見て、全身から血の気が引くのを感じた。彼女は、もはや絶望の淵に立たされていることを悟った。彼女の科学技術への純粋な探求心は、最悪の形で、狂信者たちの手に利用されようとしていたのだ。彼女に、逃げ場は残されているのだろうか。
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