第7話 仮想の空と沈みゆく月
「つまり、幽霊が出たって話か?」
ヴィクターの声は、皮肉混じりに響いた。
中央モニタールーム。光源の少ない会議卓に、五人が揃っていた。サラ、リト、ヴィクター、マーラ、そして晴賀。仮設の作戦会議のような形だったが、誰の表情にも冗談を許す空気はなかった。
「幽霊なんて言ってない。だけど、俺は“見た”んだ。ナギサが、目の前に現れて、話しかけてきた」
晴賀は拳を握りしめて言った。
「それは夢じゃなかった。あれは……誰かの記憶じゃない。俺自身が体験してる」
「情報干渉による幻覚だ。ノア号の仮想システムが不安定になっている可能性は否定できない。おそらく君の個人ログにもアクセスがあった。記憶とAIが混線しただけだ」
マーラが切り捨てるように言う。
「だとしたら、その“干渉”の元は何なんだ? ノア号のAIは、今の俺たちの管理下だろ?」
「それが……確認できていない。中枢管理AI“セフィロト”が応答しない。バックアップのサブAIも、いくつかが沈黙している」
「まさか、“ナギサ”が乗っ取ったって言うつもりか?」
ヴィクターが鼻で笑う。しかしその目の奥には、わずかに揺らぎがあった。
沈黙の中、リトがぽつりと口を開いた。
「ナギサは、完全な人間じゃなかった」
全員の視線がリトに集中する。
「ナギサ・レアは、“融合型認知実験体”として開発された。コールドスリープ下での人格保管において、初めて“仮想人格”と融合を試みられた人間だった」
「それって……つまり、ナギサはもともと、AIと人間の混合体だったってことか?」
サラが訊いた。
「そう。彼女の中には“セフィロトの断片”が埋め込まれていた。そして、それは沈められたはずだった。でも今――セフィロトの沈黙と、君が見たナギサ。繋がっている可能性はある」
晴賀は唾を飲んだ。
「じゃあ……彼女は、まだ“ノア号の中に”いるってことか?」
「肉体は死んでいても、意識の痕跡が残っていたなら……ありうる。コールドスリープの夢の中で何百年も彷徨っていた存在が、何らかの拍子で再起動した」
「なぜ俺なんだ?」
晴賀の声が震えた。
「なぜ、俺が“見た”んだ? ナギサの記録なんて知らなかった。なのに……」
リトが静かに答えた。
「君には適性がある。共鳴するんだ、彼女と」
そのとき、室内の照明が一瞬だけ、すっと消えた。
ピ、というノイズ。
壁の端末が、何かを受信したように赤く点滅し始めた。
「……通信?」
サラが端末に駆け寄る。だが音声は流れず、ただ一文のメッセージだけが表示されていた。
『目覚める前に約束したでしょう。あなたは沈まないって。』
「……!」
晴賀の鼓動が高鳴る。
その文字は、誰にも入力できないはずの、個人暗号コードで送られていた。晴賀だけが知る、ナギサとの“最後の会話”だった。
「彼女は、こちら側に触れてきてる」
リトがそう言った。
「ナギサは今、ノア号のどこかで“実在”している。“人間”としては死んでいても、彼女の意思は、誰かを――君を通じて“繋がろう”としてる」
マーラは静かに立ち上がった。
「ならば早急に確認しなければならない。中枢区画に行く必要がある。セフィロトの管理中枢を直接視認するしかない」
「そこは隔離エリアだろ? 再起動には指揮官権限が要る」
「その権限を持っていた人間は、ただひとり。――ナギサ・レアだ」
言葉の裏に、誰もが気づきながら、口には出さなかった疑問があった。
(彼女は、もう一度――ノア号を“動かそう”としているのか?)
その意志が、善か悪かすら、わからないまま。
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