第5話 見えない追跡者

 走るセダンの運転席には、ニット帽にスーツ姿の若い男性が乗っていた。実直なスポーツマンって感じの男性だ。その横の助手席には、薄紫色のパンツスーツを着た長身の女性が、スマホを見ながら優雅に座っている。女性は一見、男装女子かと疑ってしまうぐらい、際立って端正な顔立ちをしていた。運転席の男性は、さっきから怪訝な表情を浮かべながら、その女性の方を何度もチラチラと見ている。


白藤しらふじ係長。ちょっと良いですか?」

「はい。何でしょう?」

「先月、勤務中にスマホでオンラインカジノをしていた隣県の巡査が懲戒免職に成りました。ご存知ですね?」

「ええ。また警察の不祥事だと、SNSで大炎上してましたね」

「今、現場に向かっている最中です。スマホを見るのは控えた方が……」

「私は遊んでいるわけでは有りません。仕事をしています」

「失礼しました。何の調査を?」

「SNSを見てます」

「……仕事……ですか?」

「ええ。あっ、そこを曲がって下さい。近道です」


 スマホを持った女性、白藤警部補は、部下の新米刑事、山吹巡査に脇道から向かうよう指示した。白藤は今回の事件現場、董正学園には何度か足を運んでいたので、裏門から入った方が駐車場に近い事を知っていたのだ。

 駐車場に着くと二人は手袋をして中庭の方へと向かう。時間は午後の七時過ぎ。辺りは既に暗くなっていた。在校生は全員、緊急帰宅をさせており、学園には教員や警備員などの関係者が数十名残っているだけだった。

 白藤は中庭に張られたバリケードテープをくぐり抜けると、既に現場検証を行なっている同僚達の元へと急ぐ。白藤達が到着すると「ご苦労さま」の挨拶が交わされた。


「被害者の名前はわかりましたか?」

「『水川大翔』。生徒手帳から、この学園の一年生だとわかりました。担任の教師からも確認が取れてます。あと、搬送先の病院から先ほど連絡が有りました。ガイシャの死亡が確認されたそうです」

「そう……助からなかったの……」


 白藤は手を合わせ、短く黙祷した。そしてまだ真新しい血痕が残る現場を調べ始める。

 先に現場に来ていた若草巡査部長は、白藤に今までの聞き込みでわかった事を説明した。白藤はそれを耳で聞きながらも、現場に事件の手掛かりに成る物が落ちてないかを、薄暗闇の中を探索する。


 事件が起こったのは午後六時半頃。先ず、旧校舎から人らしきものが落ちたのを複数の生徒が目撃。そして教員の一人が、落下の衝突音が聞こえた旧校舎と南校舎のあいだ付近で、倒れている水川を発見する。直ぐに救急車を呼び、養護教諭が到着までの応急手当を施したが、被害者の水川は既に虫の息だったという。


「被害者は何処から落ちたの?」

「目撃者の証言からも、この古い校舎の屋上から落ちたのは間違い有りません」

「屋上? 何で生徒が屋上に上がれるの? 普通、学校の屋上は鍵が掛かっているはずよ」

「それが、何でも屋上の鍵は一年前から壊れていたそうです。この校舎は来年、取り壊す予定だそうで、だからそのまま放置していたのだとか」

「何ですか、それは! 学園側の危機管理の欠如です。間違いなく保護者側から叩かれますよ!」

「い、いや……本官に言われましても……」


 若草は年下の上司の迫力にタジタジに成る。白藤は男勝りで、剣道だったら署内でも一番強い。型破りな一面は有るが、文武兼備な女性刑事であり、県警本部でも一目置かれた存在である。


「まあ、その件に関しては安全課の方に任せましょう。それで、監視カメラは?」

「屋上を映していたカメラが、一台有るそうです」

「今からチェックして来ます。引き続きここは若草主任にお任せします。何か有ったら知らせて下さい」

「わかりました」

「山吹巡査は、私についてきて下さい」


 白藤が警備室に向かおうとした時、足元のコンクリートに青い塗料が付着しているのを見つける。意識して見ないと見逃しそうなぐらい、極僅かな量だ。


「これはペンキ? いえ、絵の具かしら?」

「ガイシャの衣服にも同じ色の塗料が付着していました。おそらく、それが飛び散ったのでは?」

「衣服に絵の具? 被害者は新一年生よね? 時期的に、まだ授業をそんなに受けてないはず。なのに、もう新品の制服を汚してたの?」

「は、はい」

「……塗料の成分分析を、鑑識に頼んでおいて下さい」

「わかりました」


 白藤はその場で少し考えてから警備室に向かう。

 警備室には、この学園を担当する警備員、常盤ときわさとしという男が座っていた。白藤達は常盤と一緒に屋上を映していた監視カメラの録画を確認する事にする。


 モニターには最初、無人の屋上の様子が映しだされた。六時半頃、水川が走りながら奥から現れる。ベージュ色の制服は確かに青や緑で汚れていた。腰のベルトをちゃんと締めておらず、まるでトイレから慌てて出て来たような姿だ。何やら後ろを気にしているのが分かる。まるで誰かに追われているかのようだ。やがて走って屋上の金網に昇ると、南側の校舎に飛び移ろうとする動作を見せる。だが、飛び移れないまま屋上から落下した。少し離れた場所のカメラなので、しっかり捉えられてないが、どうやら水川以外は誰も映っていないようだ。


「係長。何か自殺にしては変じゃないですか? まるで何かに追われているように見えます。薬物による幻覚症状でしょうか?」

「その考察は、解剖結果を見てからにしましょう。もしかしたら画像には映らないほどの小さな虫に追われてたのかも知れませんよ」

「男の子が虫で逃げますか? 女なら兎も角……」

「男の子でも虫が苦手な人は居ます。それより今の発言はミソジニーと取られて問題に成るかも知れませんよ、山吹巡査」

「失礼しました」


 白藤達は解析度を上げ、再び録画を再生する。やはり水川以外は虫一匹映っていない。なぜ水川は慌てて金網を昇ってまで隣の校舎に移ろうとしたのか見当がつかなかった。


「校舎と校舎の隣棟間隔は、約二メートル。十五歳ぐらいの男子なら、危険だけどギリギリ飛び移れる距離ね」

「巫山戯て校舎から校舎に移る遊びをしてたのでしょうか?」

「それにしては、明らかに何かに怯えてる様子。常盤さん。声は入ってないんですか?」

「残念ながら、このカメラには音声機能がついてません。ドローン犯罪防止用カメラですから」


 常盤は頭を掻きながら詫びた。話によると旧校舎は殆ど使用してない事もあり、屋上カメラ以外は一階入口付近を撮影するカメラしか設置されてないとのこと。ただ、その一階のカメラにも水川が五時頃にウロウロしている様子が映っていた。その一階での水川の姿を見て、白藤は唇を噛んで訝しげな表情をする。


「どうしました?」

「絵の具が付着してないわ」

「ああ、そうですね。だとすると、屋上に上がるまでに絵の具が付着した事に成ります。途中、悪戯で誰かに着けられたのかも知れません。映像には映ってませんが、その人物から逃げようとして足を滑らせ落下した。上級生のイジメですかね?」

「その可能性は有ります。ただ……」


 白藤は常盤に、もう一度屋上カメラの再生をお願いした。そして水川が落下した直後で映像を止め、可能な限りズームアップする。


「ここを見て下さい」


 白藤に言われ、山吹はズームアップされた画像を見た。屈伸した状態のまま落ちる水川が映っている。


「何か気になりますか?」

「普通、人間は足を滑らせて落下したのなら、慌てて手足をばたつかせ、足掻くんです。ですが彼は手足を全く動かさずに落下しています」

「ああ、そうですね! なら、やっぱり最初から落ちる気だったのか。イジメを苦にしての自殺だったんですね」

「それなら何故、屈伸して飛ぼうとしてたんですか? 目線も南校舎側に向いてます」

「……なぜでしょう? 飛ぼうとした瞬間に怖くなり、身体が硬直してしまった……ですかね?」

「わかりません。不可解です」


 白藤は常盤の方を向いて「聞きたい事があります」と、改めて尋ねた。


「この五、六年で、学園担当の警備員の方が、夜間勤務中に三人亡くなってますね」

「は、はい……」

「だから必ず夜勤は二人以上で巡回をするように変わったんですよね?」

「はい。そうです」

「あの噂は、何処まで本当なんでしょうか?」

「……あの噂とは?」

「ここに来るまでにSNSで見つけました。この学園には『美術室で、動く肖像画を見てしまった者は必ず死ぬ』という噂が有ります。亡くなった警備員の方々とは、何か関係が有るんじゃないでしょうか?」


 山吹はキョトンとした。上司が突拍子もない事を言い出したからだ。今は一刻も早く、被害者の死因が事故か自殺か、そして犯罪が絡んでないのかを調べないといけない時だ。なのに……。


「あの……白藤係長……」

「何でしょう?」

「『肖像画が動く』という怪談話は、何処の学園にもよくある話じゃ……」

「山吹巡査。まだ、あなたには言ってませんでしたが、六年前、私はある事件の捜査で、この学園に来た事が有ります」

「ある事件?」

「はい。そして六年前にはそんな噂話は存在しませんでした」

「どういう事ですか?」

「つまり、『美術室で、動く肖像画を見てしまった者は必ず死ぬ』という噂は、六年前の事件後にできた噂です。そして今回の事件を含めると、噂ができてからこれで四人以上死んだ事に成ります」 

「だからと言って、今回の事件とは関連性が無いんじゃ……」

「引っかかるんです」

「何がです?」

「六年前、私が担当した事件の被害者、藍葉ルネさんは、当時の美術部の部長だったんです……」

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