第二話 月の巫女候補の少女たち

 朝の鐘が三つ鳴ると、神殿の一角にある修練場には、純白の装束をまとった少女たちが一列に並ぶ。季節は花冷え、春の山風が薄紅の桜花を連れ、少女たちの袂をそっと揺らした。


 その列の末に、小柄な一人の少女がいた。佐久夜、十三の春を迎えたばかりの見習い巫女である。


 他の候補生たちが声高に祝詞のりとを唱え、山にこだまするような清らかな音を放つ中、佐久夜の声だけが、細く、揺れていた。言の葉の音が正しく結ばれず、語尾は震え、風にさらわれるように消えてしまう。


「いけない…、またつっかえた……」


 唇を噛む。何度練習しても、他の子のように自然にはならない。声を張れば舌がもつれ、意味を追えば言霊の力が逃げてゆく。初歩的な祝詞でさえまともに唱えられない。自分だけが、まるで異なる時の流れに取り残されているような気がして、胸の奥が少しずつ冷えてゆくようだった。


「そこまで――」


 きっぱりとした声が場を割った。全員が息を飲む中、竹杖を手に現れたのは、修行の指導役である老巫女、鈴乃すずのである。皺の深く刻まれた顔に、常に厳格な眼差しを湛え、灰銀の髪をきっちりと結い上げたその姿は、まるで古木のように重々しく、神殿に根を張る一部のようだ。


「佐久夜。祝詞の第一は“気息を整える”ことと何度教えた。おまえの声は、まだ山の神々に届かぬ」


 その声には怒気はなかった。ただ、冷ややかで確かな重みがあった。それが佐久夜には、何よりも堪える。


「……はい」


 答える声も、やはり小さく、頼りない。自信のなさが滲み出る。


 列から抜け出た佐久夜は、修練場の隅の影に腰を下ろした。目を伏せた彼女の頬には、いつしかひとすじの雫が伝っていた。それが花の露なのか、己の涙なのか、彼女自身も分からなかった。


 そんな彼女に、ふわりと近づく気配があった。背後からそっと手を差し伸べるようにして、静かな声が囁く。


「大丈夫。今日の祝詞、昨日よりずっと綺麗だったよ、佐久夜」


 見上げると、そこにいたのは、淡い藤色の瞳を持つ少女――瑠璃るりだった。佐久夜と同年だが、すでに祝詞も結界も初歩の段を超え、指導者たちからも一目置かれている存在だ。

 だが、瑠璃は決して驕らない。朝の露のように澄んだ笑顔で、いつも佐久夜の苦労をそっと拾い上げ、やわらかく包み込む。


「でも、あたし――どうしても最後まで言えなくて…。何かが、引っかかるの……」

「それはね、“何かを感じている”からだよ。たぶん、他の子には感じ取れない何かを、佐久夜は無意識に感じているのよ」


 瑠璃はそう言って、まるで秘密を語るように微笑んだ。彼女の声には、夜に咲く花のような静けさがあった。

 佐久夜はその言葉に、少しだけ心が軽くなるのを感じた。けれど、それでも胸の奥の霧は晴れないままだ。祝詞が届かない。それは、巫女として致命的な欠陥なのではないか――その不安は、彼女の影のように、いつも傍にあった……

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