第3話 怖い従姉
僕の部屋の中では、なぜ今の話の流れになったの経緯は不明だが、順番に自己紹介をする流れになり拒めない雰囲気が漂っていた。
「では、まずは言い出しっぺの僕から始めるよ。僕は水瀬隼人、趣味は魚釣りと映画鑑賞とドライブで、休みの日はよくドライブに出かけていて、ずっと男の子供と一緒に釣りをするのが夢だったんだ、成人君さえよければ今度の休みに一緒に釣りにいかないか?僕たちが住んでいる場所は、成人君の思っている田舎よりも田舎だと思うけど、海が近くて魚がおいしいんだよ」
「次は私の番ね。私の名前は水瀬芽衣って言います。趣味はお菓子作りと料理かな。年齢は秘密だけど、ママとしての年齢は14歳です。成人君は初めの内は私たちと暮らすのは慣れないとは思うけど、分からない事があったら何でも聞いてね、出来る限り協力するから」
「二人ともその自己紹介恥ずかしいからもう絶対にしないで。私の名前は水瀬結衣、趣味は買い物と音楽。水瀬君はさっきの友達と同じなの?」
おじさんとおばさんの自己紹介はいいとして、結衣さんの自己紹介はただの自己紹介ではなく、僕に踏み絵を迫り『答えによってはこれからの接し方を考える』と言っているように聞こえた。
「あの二人は、さっきはふざけていただけだから気にしないで貰えると助かります。僕の名前は水瀬成人です。趣味は読書と...買い物です。今はこの部屋は荷物が少なくなっていますが、さっきの二人に手伝ってもらって大分荷物が少なくなっています」
僕は結衣さんの踏み絵に当たり障りのない回答例に最も近い回答をしたと思いながら、失った名誉回復を兼ねてノブとタケを褒めるような内容を話し、僕がオタクであると知った時の結衣さんの反応が怖く、オタクであることをぼかしながら噓にはならないような自己紹介を行い、極力結衣さんの目につかないように努めようと決意した。
「そうだった!成人君と結衣の誕生日が偶然にも同じ日付なんだけど、どっちがお兄ちゃんかお姉ちゃんになりたいって希望はあったりする?」
僕はこの時、一番緊張したかもしれない。
ラブコメや恋愛小説ならば妹が出来ることで、ツンツンしていた妹になった女の子が段々と懐いていく話はテンプレートだが、タケとノブの犠牲から、現実とフィクションは混合させてはいけないという教訓を得た僕は、おばさんの言葉にどう返すことが正解になるのか頭を必死に動かした。
もしも、僕が兄という存在になった場合は結衣さんが妹になるわけだが、妹という立場を利用して兄という立場の弱い僕を『お願いという』悪魔の言葉でこき使うかもしれない。
しかし、弟という立場になったとして、今度は姉という強権を乱用し立場の弱い弟をこき使う可能性も無きにしも非ずなわけだ。
考えれば考えるほど思考は堂々巡りし、結局は結衣さんにこき使われる未来しか見えなかった。
「僕はどっちでもいいけど、結衣さんは希望はありますか?」
考えた末、どっちみちこき使われるならば少しでも心証をも良くしようと、結衣さんの意見を尊重する形をとり、少しでもいい人の印象を与える作戦をとった。
「正直なところ、私も呼ばれ方に拘りはないからどっちでもいいけど、妹に『茉衣』もいて一文字違いが三人もいたら水瀬君が呼ぶときに困りそうだから、私が姉ということでいいよ。水瀬君はそれでもいいのよね」
「はい。よろしくお願いします、結衣さん」
「『お姉ちゃん』は?」
「え?」
「だから、『茉衣』と『結衣』と『芽衣』を区別するために私が姉になったのに、 呼び方が『茉衣さん』で変わらなかったら私が姉になった意味ないでしょ」
結衣さんは呼ばれ方に拘りはないと言いつつ、しっかりと『お姉ちゃん』呼びを強要してくるあたり、先ほどの名前が似ている下りは全て本音を隠す建前であり、ライトノベルに書かれていた『女は建前を大切にする』という部分は現実でも通じる部分でことを知った。
「お...おねえ、さん」
「これからもその呼び方でお願い。これで、しっかりと『茉衣』との区別はできるわけだしね」
どこか含みのある言い方だったが、結衣さんにまじまじと見つめられ流れる沈黙は一瞬が1000倍にも引き延ばされたと感じるほど緊張し、この時ほど選択権を渡したことに安堵したした経験はなかった。
「まあ、さっそく仲良くなったようでママは嬉しいわ!そうだ、二人とも買い物が好きなようだし、二人でさっきここに来るまでに通った道沿いに見えたアパレルショップに行ってきたら?結衣もあの店を気になってるって言ってたことだしね、いい機会だと思わない?」
「僕はまだ、部屋の荷物の片付けが...」
「その事ならママとパパに任せてくれればいいのよ。成人君がお友達と頑張ってくれたおかげで荷物はもうほとんどないみたいだし。結衣、せっかくだから成人君のお友達も買い物に誘ってあげたらどうかしら」
「分かった。一応誘ってはみるけど、断られるかも」
「そうね。成人君のお友達にもこの後の予定があるかもしれないからね、だけど一回聞いてみて」
僕は今の結衣さんとおばさんの会話から、以前ノブから教えてもらった『女子は普段から会話の中に本音を隠し、相手の会話に合わせてそれとなく本音を匂わせる会話は、事情を知っている人にしか本当の意味は伝わらないが、事情を知っている友人同士なら意味は伝わるので、本人の前で悪口を言うなんて芸当が出来てしまう』と陰謀論に近いことを思い出し、途端に背筋に寒気が走った。
僕が感じ取った結衣さんの『分かった。誘ってはみるけど、断られるかも』は、『あの二人は誘ってもどうせ付いて来ないのに、余計な手間かけさせないでよ』と言っているように感じた。
「水瀬君は母さんの言う通り、私と一緒に買い物に行きたい?」
これまでの三次元が180度変わる出来事に戦慄していると、結衣さんからのどう返していいか分からない質問が飛んできて、タケとノブが僕を憐れんで付いてきてくれることに賭け、ゆっくりと首を縦に振った。
「じゃあ、水瀬君の友達を誘ってみてから行こうか」
判断のつきにくい返答を返され、僕は正解を引き当てたのか不正解を引き当てあるのか、正解が分からず不安になりながらも結衣さんを追うようにして立ち上がった。
「待って結衣、あの店は少し高いからこれ持って行って」
「ありがと」
「はい。これは成人君の分」
「ありがとうございます」
「成人君固いよ、これから家族になるんだからもう少し砕けた感じでお願い」
「ありがとう」
僕と結衣さんはおばさんからお金を貰い、部屋から出ようとするとタイミングよくタケとノブがドアを開き、人数分のお茶をお盆に乗せていた。
「あっ」
「...」
タケとノブの涙は収まったようだが結衣さんへの耐性がこの短時間で付くわけなく、結衣さんに道を譲るように後退りお盆を持つ手を震わせていた。
「ちょうどよかった。これから水瀬君と買い物に行くんだけど、二人とも来る?」
「俺たちは...」
「...」
「この後に用事があるの?」
「そ、そう。この後用事があります」
「すまん、ジン」
言い淀むノブとタカに結衣さんはおばさんが不信感を抱かないように直ぐに助け舟を出すと、タカとノブは僕に謝りながら結衣さんの助け舟に乗りかかった。
「水瀬君何してるの、早く行くよ」
「そんなに気にするなよ」
気が付けば結衣さんは階段を降りるところで、結衣さんが不機嫌になる前にタケとノブを励ますように二人の背中を叩き、結衣さんを追いかけた。
服屋を目ざして歩いているが会話がなく、気まずい雰囲気の中を結衣さんと二人で横に一列に並び歩いていた。
「あの、結衣さん」
「結衣さんじゃなくて?」
「ね、姉さん」
気まずい雰囲気に耐え切れず僕が口を開くが、結衣さんは『姉さん』呼び以外は受け入れられないらしく、僕はまだ慣れない結衣さんの『姉さん』呼びに恥ずかしさを感じながらも、この気まずい雰囲気をどうにかできるならと恥ずかしさに耐え呼びなおした。
「まあぎりぎり及第点。で、なに?水瀬君」
「その『水瀬君』っていう呼び方どうにかなりませんか」
「敬語禁止。もう一回」
「『水瀬君』って呼び方どうにかならない?」
「なんて読んでほしいの『水瀬君』」
「僕の友達は僕のことを『ジン』って呼ぶので、『ジン』でお願いします」
「敬語は?」
「...禁止です」
僕はこれが調教というやつかと思いながらも、こうしない限りは話を聞いてもらえない以上は分かっていても調教を受けるしかないジレンマに陥りながら、後1キロほどの距離の平穏のために甘んじて結衣さんの調教を受け入れざるを得なかった。
「今も敬語になっているよ。敬語は?」
「禁止」
「それで何だっけ?」
「僕のことは『ジン』でお願い」
「嫌。なんか『ジン』は可愛くない」
「はぁ...」
「他に呼び方はないの?」
正直、僕は呼び方に『可愛い』を求める結衣さんの感覚が分からず付いていけないが、他の呼び方をご指名なのでこれまで呼ばれたことのある名前リストを僕の残念な頭で検索した。
「ねえ『水瀬君』聞いてる?」
「『火星人』と『ハタ』」
結衣さんに早く答えるように催促された僕の頭は過去一番の危機感を感じとり、進級をかけた期末テストでノブに勉強を一夜漬けで教わった時のようにフル回転し、小学校低学年の時にインテリを装った男子が日直の僕の名前と曜日を見て間違えた呼び方をした事件と、同じく低学年時に陽キャが『『二十歳』で『ハタチ』と呼ぶから『成人』は『ハタ』って呼ぶんですか』と先生に聞いたことで、ついた一時期のあだ名を思い出した。
「今思い出してたんだ、てっきり無視されたのかと思った。『ハタ』は何となくわかるけど、なんで『火星人』なの?」
「ぇっと、小学校2年生の時ぐらいに、『タックン』っていう人がいて...」
僕は『火星人』と呼ばれた経緯を結衣さんに話すと、『火星人』と呼ばれてからは『火星人の菌が移る』とほとんどいじめに近いことを期間は短ったがクラスの男子が飽きるまで続いた苦い思い出まで蘇り、当時の僕をかばってくれていたノブに心の底から感謝の気持ちが溢れた。
「アハハハ!それで『火星人』なのね、火曜日の『火』と水瀬君の『成人』で『火星人』、この考えはなかったわ」
「漢字は違いますけどね」
「あ~、面白かった。でも、ダメだね、どれも可愛くない」
「そうですか」
「もう『ジンちゃん』でいいか」
「ぇ?」
「なに、『ジンちゃん』呼びは嫌なの?」
「...そ、それで、お願いします」
「敬語」
「...お願い」
「よろしい」
あだ名とは言え『ちゃん』付けで結衣さんに呼ばれた僕の背中にゾワッっと冷たいものが走り、結衣さんにバレないように極力小さい身震いに抑えながら、口からは肯定の言葉が出ればよかったが否定とも捉えることができる『ぇ?』を抑えることができずに出してしまい、ここで『嫌です』と素直に言えたらどれだけ気持ちが楽になるだろうと思いながら、半強制的に『ジンちゃん』で呼ばれることが決まった。
「...はぁ」
「それから、私のことは『お姉ちゃん』でも『お姉さま』でも『結衣姉』でも好きに呼んでくれていいからね」
「分かりました、結衣さん」
僕は結衣さんが声をかけてくるタイミングの良さに、小さくため息をついたことを気取られたのではないかと冷や汗ものだったが、用件は別でため息は聞こえていなかったことに安堵し、結衣さんを呼ぶ際は『姉さん』縛りではなくなったことを嬉しく思い呼び方を変えると、結衣さんは急に立ち止まってしまった。
「結衣さん、どうかしました?体調でも悪いんですか?」
アパレルショップで買い物を一切したくない僕は一縷の願いを込め結衣さんの体調を伺い、この後に『体調が優れないなら今日はやめて戻りましょう』と言葉を続けようとしたが、結衣さんの顔を見ると言葉を続けることができなかった。
「ゆ、結衣さん、お腹でも痛いんですか?足が痛くなったとか、頭が痛くなったとかですか?」
僕が言葉を掛ける毎に結衣さんの眉毛と瞼は下がり、半目で睨まれる僕は恐怖のあまり心臓をバクバクと高鳴らせ、だんだんと不機嫌になる結衣さんから今すぐに逃げたい気持ちでいっぱいだった。
「結衣さんの体調が悪いなら帰りますか?」
僕は緊張のあまり、僕の願望が入った思いついた言葉を結衣さんに尋ねると、結衣さんは怒りを表情筋で笑いに作り替えたような引き攣った笑みを浮かべ、死んだ目で僕を見て何も言わずに速足でアパレルショップに向け歩き出してしまった。
『タケ、ノブ、ヘルプ!結衣さんが怒った!対処法を教えてくれ!』
僕は何が結衣さんの地雷を踏んだのか見当がつかず、結衣さんを怒らせたときのマニュアルを求めディスコードに助けを求めた。
『ジン頑張れ』
『墓だけは毎年行ってやる』
『ジン、今までありがとな』
『来世は、見た目はよくても怖い女に引っかからないようにするんだぞ』
タケとノブは僕が結衣さんに殺される前提で話を進め、正直僕も結衣さんに殺される未来しか見えなかったが、それでも励ましの言葉が一言でも欲しかった。
僕はスマホをポケットの中に戻し、結衣さんの後をトボトボと死刑宣告を受けた囚人のような面持ちで歩いた。
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