第5話 気持ち悪い



 よく日も雨が降った。



 廊下の物音と雨の音が、心のなかをさびしい色でいっぱいにした。



 主治医の回診があった。



 主治医は口ひげを生やした50代くらいの男性だ。



 質問されたのは体調に関係のあることだけで、起きたときから喉が痛いとか悪寒がつづいているとか、そんな応答で診察はすんだ。



 記憶喪失のフリはしなくてすんだ。



「風邪薬を出しておきましょう」



 主治医は言った。



「頭を強打しています。奇跡的に命をとりとめましたが、一時心臓が停止しました。どんな後遺症が残るか、われわれも予想がつきません。異常があればすぐにナースコールしてください」





 昼近くになって寺坂さんがやってきた。



「そうですか、一晩寝てもまだ大石なにがしのままですか」



 寺坂さんは腕を組んだ。



「困ったことになりました」



「なんです?」



「実は午後、おぼっちゃんには婚約者様との面会がございます」



 ぶっ。



 つい噴き出した。



(婚約者?)



 咳がとまらなくなった。



 咳のあとには口のなかにへんな味の痰が残る。



 浅野拓海くんというあのいやらしい顔をした男の痰だと思うと、気持ち悪くて飲みこめない。



「キャンセルしたらどうですか。体調も悪いし」



「そうはいきません。病院からおぼっちゃんの意識が回復したと、吉良家に連絡が行ったようで。なにせ言い出したら止められないご令嬢様ですのでね」



 婚約者も資産家のご令嬢か。



 高校生同士の婚約。



 上級国民だとそういうの、ふつーなんかな?



「ご令嬢様のお名前は?」



 念のためきいておこうと思った。



 ひょっとしたらシスター・テレーズの言う「あの人」とは、その婚約者のことかもしれない。



 寺坂さんはなぜか、少し姿勢を正した。



「新ヤマト製鉄総裁の第2ご令嬢、吉良きら青子さやこ様。おぼっちゃんと同じ16歳、大江戸松坂学園の2年生ですよ」



 そしてこうつけ加えた。



「いいですか、おぼっちゃん。くれぐれも記憶喪失で乗り切ってください。明日のこの国のためです」



 国家を背負わされては、うなずくしかない。





 そして午後2時。おそろしいものを見た。





 6人のオシャレな服装の青年たちに守られて、その人はあらわれた。



 その人? 人でいいと思う。



 裕福な家庭の子女が集うことで有名な大江戸松坂学園のブラウス。



 パンパンにふくれた学生カバン。



 制服のデザインから見ても女子高生で間違いない。





 なのにどう見ても化け物だった。





 ペンキでまっ白にぬりたくったような顔。京劇役者のようなどぎついアイメイク。ルージュで必要以上に赤くぬった唇は血をすすったみたいだ。



 小さく細い体つきなのに胸だけが不自然にでかい。



 全体のバランスがちぐはぐで、なんだか青森で出土した縄文時代の遮光器土偶みたいだ。



(これが「あの人」?)



 違うと言ってください、シスタ-・テレーズ。





 その人はするどい目で僕を見た。



「ごきげんよう、拓海さん」



 高い声。声は普通の女子高生だった。



「バイク事故で頭を強打して、脳内出血う? ご危篤とうかがっておりましたが、拝察するにたいへんお元気なご様子。安心しましたわぁ、悪運がお強いのですねぇ」



 クセの強いしゃべり方は、わざとかな?



「あらぁ? 今日はお黙んまりかしら。わたくし心配で、学校からかけつけて参りましたのよぉ」



助けを求めるつもりで寺坂さんを見る。



 寺坂さんは心配そうにさやこさんと僕を交互に見てるだけ。口をはさむつもりはないみたい。



 急に、からっぽの胃が逆流しはじめた。



「……っぷ」



 口を覆う。



「なんですの、その反応は?」



 僕は首を横に振った。頭に痛みが走る。



 ただでさえ悪寒がひどかった。



 嘔吐感まで加わって、体を捨ててしまいたくなった。



 大石暗之介の魂と、浅野拓海の体。



 この2つの相性は最悪らしい。





「気持ち悪い」





 つい口からこぼれた。



 さやこさんの手から学生カバンが落ちた。



※※※※  ※※※※  ※※※※  ※※※※

この作品はフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係ありません。

物語の中の出来事はすべて架空のものです。

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