第8話 坂を駆け降りて
レイは突然、僕の手を振りほどいた。
そして、笑って言った。
「競走しよっか」
「え、なに急に――」
返事をする間もなく、彼女は坂の上から走り出していた。
港を見下ろす、緩やかで長い下り坂。
昼下がりの陽に照らされたアスファルトが白く反射して、
彼女の影がぐんぐん前へ伸びていく。
「まってよ!」
僕もつられて走った。
風を切る音。
セミの声が後ろに遠ざかる。
汗が頬をつたうけど、なぜか不快じゃなかった。
靴音が響く。
リズムが合う。
彼女の背中が近づいた気がして、でも次の瞬間、また遠ざかる。
まるで、
ずっと“追いかけていた誰か”を思い出してしまうみたいだった。
「ねえ!」
僕が叫ぶと、彼女は振り返った。
一瞬、時が止まったように感じた。
眩しい逆光の中で、彼女の髪がふわりと舞う。
その目に、僕が映った。
でも――そこには“いまの僕”じゃない、“過去の僕”がいる気がした。
「速いね、君」
彼女は言った。
「昔は、わたしのほうが速かったのに」
「なにそれ、知らないし」
「知ってるよ。君、忘れたふりしてるだけ」
レイはいたずらっぽく笑って、また駆け出した。
僕は言葉を飲み込んだ。
なぜか、その言葉が怖かった。
“知ってる”って、どういうことだよ。
“忘れたふり”って、なんでそんなことを――
考えたくなかった。
でも、足は止まらなかった。
坂道を、ただ彼女のあとを追って、
あのときと同じように。
たぶん、
僕たちはもう何度もこの坂を駆け降りている気がした。
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