第4話 話しかける少年

 昼休みの教室は、誰もいなかった。

 いや、正確には、“誰も来ない”教室だった。


 ローランク・エリアの教室には、通常の生徒は立ち入らない。

 教師も巡回で覗くだけ。まるで、ここだけが学園から切り離されているかのようだった。


 少女――リオは、黙って席に座っていた。

 目覚ましは静かだ。昨日の騒音が幻だったかのように。


 そして、その隣の席には――


「……ねぇ、さっきの紙。捨てちゃったの?」


 蓮がいた。


 今日も、何事もなかったように、彼はここへやってきた。

 まるでこの教室が、自分の指定席かのように。


 リオは、首を横に振った。

 紙片は、制服の胸ポケットにしまってある。


“LA…LIN G…”


 読めなかったその名札の文字が、何かを繋いでいる気がした。


「そっか。……名前、思い出したり、してない?」


 彼の問いに、リオはわずかに視線を伏せた。

 名前――たしかに、その響きにはどこか懐かしさがあった。


 だが、自分から名乗る理由も、言葉を発する意味も、彼女にはなかった。


 蓮はそれを責めなかった。

 ただ、そっと自分の弁当袋を机に置くと、何でもないような声で言った。


「ここ、静かでいいね。昼寝したら起きられないかも」


 リオは、思わず小さく笑った――声にはならない笑みだったが、それでも確かに、笑った。


「なあ、ルールって、知ってる?」


 唐突に、蓮が言った。


「この学園には、“絶対遵守の法則”ってのがあるんだって。

 能力を持たない者は上に出られない。名前がない者は人と認められない。

 声を出さない者は、記録されない」


 リオの表情が、わずかに曇った。


「でも、そんなの、おかしいよな。

 声を出さなくても、そこに“生きてる”って、ちゃんと分かるのに」


 蓮は、まっすぐ彼女を見た。


 その目は、誰よりも“彼女”を見ていた。

 名前がなくても。声がなくても。能力がなくても。


「俺はさ、君と話したいんだ。

 たとえ、一言も返ってこなくても。だって――君は、そこにいるから」


 リオの指先が、小さく震えた。


 ずっと、ここには誰もいなかった。

 誰も、見ようとしなかった。


 でも今――彼だけが、彼女を“誰か”として呼ぼうとしていた。


 心の奥で、また何かが小さく転がった音がした。

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