第10話 水面下の棘
文化祭の準備の喧騒の中で、橘穂乃花が私と東雲晶に向けて放った、あのためらいのない、悪意に満ちた棘のような言葉――それは、まるで静かな湖面に投じられた一石が、さざ波を立て、やがては大きなうねりとなって岸辺を侵食していくように、私たちの、そして私たちの周囲を取り巻く、目には見えないが確かに存在するクラス全体の空気の流れを、じわじわと、しかし確実に、そしてどこか不吉で、息苦しい淀みを伴ったものへと変容させていった。私たちの周囲には、常に、あの穂乃花の、獲物を狙う蛇のように粘つくような執拗な視線と、そしておそらくは彼女が意図的に、そして巧妙に撒き散らしているのであろう、根も葉もない、しかしそれ故に人の心を傷つけるには十分すぎるほどに残酷な噂話の不快な気配が、まるで梅雨時の、じめじめとした不快な湿気のように、じっとりと、そして逃れようもなくまとわりつくように漂っていた。
東雲晶は、あの穂乃花からのあからさまな、そしてほとんど公然の挑発と、周囲の好奇と、時には軽蔑すらもが混じった冷ややかな視線に、まるで薄い氷の彫刻が、容赦なく降り注ぐ太陽光に晒されて徐々に溶け崩れていくかのように、日に日にその心をすり減らし、その完璧なまでに美しく整った顔からは、かつてのような、周囲を明るく照らし出す太陽のような華やかな輝きが、急速に、そして痛々しいまでに失われていった。授業中も、どこか上の空で、窓の外の、まるで自分の心象風景を映し出したかのような、虚ろで色のない灰色の空を、ただぼんやりと、何か遠い、手の届かない場所にあるものを求めるかのように眺めていることが多くなり、休み時間には、以前のようにクラスの中心で、鈴を転がすような明るい声で友人たちと談笑する姿は、ほとんど見られなくなった。代わりに、彼女はまるで人目を執拗に避けるかのように、教室の隅の、私の席のすぐ近くで、周囲に他の生徒がいないことを神経質に確認してから、声を極限まで潜め、ほとんど囁くようにして私にだけ何かを訴えかけるか、あるいは、誰とも一切言葉を交わさずに、一人でじっと机にうつむき、何か重苦しく、そして出口のない迷路のような考え事でもしているかのような、そんな痛々しく、そして見る者の胸を締め付けるような姿が目立つようになった。その、普段は凛と伸びているはずの、しかし今はまるで目に見えない重圧に押し潰されそうになっているかのように、力なく垂れ下がった細い肩は、いつもよりずっと小さく、そしてあまりにも頼りなげに見えた。まるで、嵐の中で羽を濡らし、飛ぶこともできずにただ震えている、傷ついた小鳥のようだった。
それでも、彼女は決して、私との、この誰にも理解されない、そしておそらくは祝福されることもないであろう特別な関係を、完全に断ち切ろうとはしなかった。むしろ、周囲からの、まるで氷のように冷たい風当たりが強まれば強まるほど、彼女はまるで最後の、そして唯一の拠り所を必死になって求めるかのように、より一層、狂おしいほどに私に精神的に依存し、そしてほとんど強迫観念的とも言えるほどに執着するようになっていくのが、隣にいる私には痛いほど、そして鮮明に分かった。それは、荒れ狂う嵐の海で、今にも沈没しそうになっている小さな救命ボートから、唯一差し伸べられた、細く、そして頼りない一本の救命ロープに、もはや正気も忘れて必死の形相でしがみつくような、そんな悲壮で、そしてどこか狂おしいまでの、そしてそれ故にあまりにも切実な執着を伴うものだった。
「お願いだから……水無月さんだけは、絶対に、絶対に私のことを見捨てたりしないで。周りのみんなが、どんなに私のことを悪く言っても、どんなに冷たい目で私のことを見ても、水無月さんだけは、この世界の誰が敵に回ったとしても、最後まで私の味方でいてくれるって、そう心の底から信じていてもいいでしょう……? あなたが、もし私のもとからいなくなってしまったら、私は、本当に、もう……息をすることも、生きていることさえも、できなくなってしまうかもしれないから……」
誰もいないはずの、しかしどこか常に誰かの視線を感じるような、薄暗く埃っぽい放課後の美術室の、油絵の具と古い木の匂いが微かに、そしてどこか甘美に漂う、一番奥の窓際の席で、彼女はまるで幼い子供が、夜中に見る悪夢に怯えて母親にでも必死に甘えるかのように、私の制服の袖を、まるでそれに自分の全生命を託すかのように、震える細い指でぎゅっと強く、爪が食い込むほどに掴み、涙で潤み、光を失った大きな美しい瞳で、私を懇願するように、そしてほとんど脅迫するように見上げながら、そう何度も、何度も、まるで壊れたレコードのように、あるいは神に捧げる呪文でも必死に唱えるかのように繰り返した。その声は、あまりにもか細く、あまりにも切なくて、そしてあまりにも痛ましくて、私の心の最も柔らかく、そして最も傷つきやすい部分を、まるで鋭利なガラスの破片で、何度も、何度も、執拗に突き刺すかのようだった。
私は、そんな彼女の、あまりにも無防備で、あまりにも脆く、そしてあまりにも痛ましい、まるで魂の叫びのような姿を見るたびに、胸が張り裂けそうになるほどの、激しく、そしてどうしようもなく切ない愛おしさと、そして同時に、この、今にも壊れてしまいそうなほどか弱い存在を、この世界のあらゆる悪意と、そして理不尽な暴力から、たとえこの身がどうなろうとも、何としてでも守り抜かなければならないという、ほとんど強迫観念に近いような、どこか悲壮で、そしてそれ故に神聖なまでの使命感に、全身全霊で駆られた。たとえ、それがどんなに困難で、茨の道であり、そしてどんなに大きな、取り返しのつかない代償を払うことになったとしても、私は決して、決して彼女のこの震える手を離したりはしない。そう、心の奥底で、まるで血の誓いでも立てるかのように、何度も、何度も固く誓った。私たちの、この誰にも理解されない歪な絆は、もはや誰にも、そして何ものにも引き裂くことのできない、血よりも濃い、運命共同体のようなものなのだと、そう心の底から信じたかった。それだけが、私の唯一の支えだった。
一方、美術教師の蓮見先生は、そんな私たち二人の、どこか常軌を逸した、そして周囲からは明らかに異質で、理解不能なものとして映っているであろう、あまりにも特別で、そしてそれ故に危うさに満ちた関係性を、いつものように、気怠そうで、どこか人を食ったような、人を小馬鹿にしたような、それでいて全てを、私たちの魂の奥底の最も暗い部分までも見透かしているかのような、あの独特の、鋭く、そしてどこか冷笑的ですらある眼差しで、しかし決してその核心部分に深入りすることなく、ただ静かに、そしてどこか面白がり、あるいは哀れむような、あるいは強い興味を抱いているかのような、複雑で捉えどころのない表情で観察し続けているようだった。その態度は、まるで高みの見物を決め込んでいるか、あるいは、私たちという、興味深い生態を持つ二匹の希少な実験動物の行動を、冷徹な科学者の目で観察しているかのようでもあった。
先生は、私が東雲晶から譲り受けた、彼女の魂の残滓が色濃く宿るパレットと、長年使い込まれ、彼女の指の形に馴染んだ絵筆を使い、以前にも増して、どこか狂的なまでの、ほとんど鬼気迫るような集中力と、まるで何かに憑かれたかのような激しい情熱で、自分の内なる世界――それは、東雲晶という、私にとっては太陽でもあり、同時に深い闇でもあった存在との出会いによって、それまでの色のない、モノクロームで単調だった世界から一変し、強烈で、鮮烈な色彩と、激しい光と、そして底なしの闇が、まるで竜巻のように渦巻く、混沌とした、しかしそれ故に圧倒的な生命力に満ち溢れた、新しい世界へと劇的に変貌を遂げていた――を、目の前のスケッチブックや、時には大きなキャンバスの上に、まるで自分自身の魂を、その鋭利な刃物のような絵筆で削り出し、その血と肉を絵の具に混ぜ込んで画面に叩きつけているかのような、凄まじい気迫で描き続けている姿を、時には「素晴らしいわ、水無月さん。あなたのその才能は、本物よ」と、心からの賞賛を込めたような声で、そして時には、「少し、危ういわね……その炎は、いつかあなた自身を焼き尽くしてしまうかもしれないわよ」と、どこか真剣に危惧するかのような、しかしそれでもやはりどこか面白がっているかのような、複雑な表情で見守っていた。その先生の、まるで全てを承知しているかのような、そしてどこか挑発的ですらある態度は、私に言いようのない不安と、そして同時に、この人にだけは自分の全てを曝け出してもいいのかもしれないという、倒錯した安心感のようなものをもたらした。
そんな、まるで薄氷の上を歩いているかのような、張り詰めた緊張感に満ちた日々の中で、橘穂乃花の、私たち、特に東雲晶に対する執拗なまでの監視と、そしておそらくは周到に練られた計画的な妨害工作は、まるで水面下に潜む、音もなく忍び寄る巨大な捕食者のように、日に日にその陰湿さと巧妙さを、そして悪意の純度を増していった。彼女は、東雲晶の、あの完璧なまでに美しく磨き上げられた優等生という仮面の下に、巧妙に隠されているであろう「本当の姿」――それは、おそらく旧音楽室での、あの私たちにとっては悪夢のような出来事(その事件の全ての正確な詳細は、もちろん彼女には伝わっていないはずだが、何かただならぬ、そしてスキャンダラスな「問題」が起こったらしい、という、刺激的で尾ひれのついた噂は、彼女の、ゴシップ好きのアンテナに、どこからか確実に引っかかっていたのかもしれない)を通じて、彼女が漠然と、しかし何かを確実に嗅ぎつけ、そして彼女自身の、歪んだ願望と、そしておそらくは無意識の劣等感が作り上げた、醜悪で、そしてどこまでも歪んだ虚像に過ぎないのだろうが――を、まるで宝探しでもするかのように、あるいは血に飢えた猟犬のように、何としてでも執拗に暴き出し、そしてそれを白日の下に、できるだけ多くの人間の前で、最も効果的な形で晒すことで、自分が心の底から崇拝し、そして同時に激しく嫉妬していたはずの東雲晶という完璧な偶像を、他でもない自分自身のこの手で、最も残酷な形で引きずり下ろし、そして最終的には、傷つき、打ちのめされ、無防備になった晶の心を、自分だけのものとして完全に独占しようと目論んでいるのではないか、と私には明確に思われた。その、ほとんど狂信的で、そしてどこまでも粘着質な執念深さは、もはや単なる女子高生の嫉妬というレベルを遥かに超え、ほとんど病的で、そしてどこか狂気に近いような、恐ろしい様相を呈していた。彼女は、もはや愛憎の狭間で、完全に自分を見失っていたのかもしれない。
穂乃花は、まるで熟練の探偵か、あるいは執念深いストーカーのように、晶の持ち物――教室に置き忘れた教科書や、几帳面な文字でびっしりと書き込まれたノート、あるいは生徒会の活動で使われた書類の束など――を、まるでそこに何か重大な秘密でも隠されているのではないかと疑うかのように、執拗に、そしてほとんど病的なまでに抜け目なく観察し、彼女が心の内に、何重もの鍵をかけて固く固く抱え込んでいるであろう「秘密」や、他人には決して知られたくない「弱み」の、ほんの些細な、顕微鏡でしか見えないような手がかりでさえも見つけ出そうと、文字通り血眼になっているようだった。時には、晶がほんの僅かな時間、トイレなどで席を外した、そのほんの数分の隙を狙って、まるでスパイ映画の主人公にでもなったかのように、彼女の机の引き出しや、丁寧に整頓された鞄の中を、こっそりと、しかしどこか大胆不敵で、そして獲物を物色するかのような手つきで漁っているかのような、あまりにも不審で、そして言語道断な行動を、私は何度か遠巻きに、しかし確実に目撃することさえあった。その時の彼女の、獲物を探す爬虫類のような、冷たく光る目は、私に言いようのない恐怖と、そして強い嫌悪感を抱かせた。
そして、ついに、彼女のその、ほとんど狂気じみた執念深い探索と、そしておそらくは巧妙に仕掛けられたであろう罠は、ある一つの、そしておそらくは私たち二人にとって致命的となりうるであろう「決定的な証拠」らしきものを、その汚れた手の中に掴み取るに至ったのかもしれない、という、私の胸を締め付けるような、最悪の予感が現実のものとなった。
それは、文化祭の準備がいよいよ佳境を迎え、校内全体が、一種の制御不能な興奮と、そしてどこか終末的な混乱の
私は、その時、いつものように美術室で、蓮見先生から急遽頼まれた、文化祭のプログラムの表紙に使う、抽象的なイラストの仕上げ作業に、一心不乱に取り組んでいた。ふと、何気なく、絵筆を休めるために窓の外へと視線を向けた、その時だった。校舎の裏手にある、普段はほとんど人の寄り付かない、夏草が鬱蒼と生い茂り、どこか不気味な雰囲気を漂わせている、古い、使われなくなった焼却炉の傍らで、あの橘穂乃花が、何か薄っぺらい冊子のようなものをその手に持ち、まるで地獄の悪魔が、禁断の果実でも手に入れたかのような、形容しがたいほどに歪んだ、そして心の底からの恍惚とした、しかしそれ故に恐ろしい笑みを、その整ってはいるがどこか冷酷な顔に浮かべているのが、夕暮れの、まるで血のような赤い光の中で、遠目にもはっきりと、そしてあまりにも鮮明に見えてしまったのだ。その、彼女が獲物のように誇らしげに、そしてどこか神経質に握りしめていたものの形状や大きさから推測するに、それはおそらく、間違いなく、東雲晶が、あの、私たちの、そして彼女の秘密の聖域であったはずの旧音楽室の、グランドピアノの中に、誰にも、絶対に誰にも見つからないようにと、何重もの注意を払って厳重に隠していたはずの、あの、あまりにも衝撃的で、そして彼女の魂の叫びそのものであったかのような、暴力的なまでに鮮烈な色彩で満たされた、あの秘密のスケッチブックの、破り取られた数枚のページ――それも、おそらくは最も彼女の内面が赤裸々に露呈している、決定的な部分――ではなかっただろうか。
私は、その、あまりにも恐ろしい光景を目にした瞬間、まるで全身の血液が、一瞬にして凍り付いてしまったかのように感じ、そして同時に、これから確実に、そして容赦なく起こるであろう、私たち二人にとって、取り返しのつかない、そしておそらくは破滅的な結末を、あまりにも鮮明に予感し、息が止まるほどの、圧倒的で強烈な戦慄を覚えた。穂乃花の、あの、ついに長年の宿敵を打ち破ったかのような、あるいは待ち望んでいた世界の終末を目の当たりにしたかのような、歪で、そしてどこまでも冷酷で、そして底知れない狂気を孕んだ、あの勝利を確信したかのような笑みは、明らかに、私たち二人にとって、もはや誰にも止めることのできない、破滅へのカウントダウンが、無慈悲に、そして確実に始まったことを高らかに告げる、不吉で、そして耳を覆いたくなるような鐘の音のように、私の鼓膜に、そして私の魂の最も深い場所に、深く、そして重く、いつまでも、いつまでも響き渡っていたのだ。
水面下に、音もなく、そして巧妙に潜んでいた、あの鋭く、そして猛毒を塗られた棘が、ついに、その恐ろしい先端を、私たちの、もはや逃げ場を失い、無防備に晒された柔らかい足元へと、一切の躊躇いもなく、そして容赦なく突きつけてこようとしていた。そして、私たちは、その、あまりにも鋭利で、そしてあまりにも深く、そしておそらくは致命的となるであろう傷から、果たして本当に、本当に逃れることができるのだろうか。いや、もはや、そんな甘い希望を抱くことすら、許されないのかもしれない。私たちにできることは、ただ、その想像を絶するほどの激しい痛みに耐え、そして二人で共に、赤い、赤い血を流し続けることしか、残されていないのかもしれないのだ。私たちの運命は、もはや私たちの手の中にはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます