第十話
父の葬儀は、それから三日後に行われた。
家の仏間に近所のお寺の住職を招き 身内だけで執り行った小さな葬儀。つまり、参列者は私と祖父母だけ。
祖父はむっつりと黙り込み、硬い表情を崩すことがなかった。
祖母は泣いていた。時折啜り泣く声が聞こえ、私はその度に心臓が締め付けられる思いだった。
私は泣けなかった。悲しいとか、寂しいとか、そんな思いが湧いてこなかった。
葬儀の間、私は母の葬儀を思い出していた。
母の葬儀には大勢の人が参列していた。母方の祖父母、親族、友人、近所の人たち。家の仏間を埋め尽くすほどの人たちが、母の死を悲しんでいた。
その時の私は幼さゆえに母が死んだということを理解しておらず、祖母の胸に抱かれながら、なぜみんな泣いているのだろうと不思議に思っていた。
ただ、父の泣く姿を見て悲しいと感じていた。
父の死に涙を見せない私は冷たい人間なのだろうか。
だがどうやっても涙が浮かんでこない。父が死んだという事実が、現実のものとして受け入れられなかった。
夢を見ているようなふわふわとした感覚。父が死んだと聞かされてから、その感覚はずっと覚めないままだった。
出棺の時、母の時は棺が開けられて最後の別れをしたのだが、父の葬儀ではそれがなかった。焼けたことで遺体の損傷が激しいのだろう。そんなことをぼんやりと考える。
葬儀が終わるとどんよりとした疲労が襲って来る。しかし、休む間もなく警察による事情聴取が始まった。
「それでは勝彦くん。前も聞かせてもらったけど、もう一度お父さんと出かけた日のことを話してくれるかな」
事情聴取に来たのは比較的若い刑事と白髪混じりの年配の刑事。葬儀が終わるのを待っていた2人が、自宅で私に質問を行う。
私を挟むように祖父母が座っている。祖母は心配そうに私の手を握っていた。
「あの日お昼ご飯を食べた後、先生の家へ遊びに行こうとしました。その途中で車に乗ったお父さんに声をかけられて、一緒に出かけました」
この話を刑事にするのは2回目なので、スムーズに言葉が出てくる。
「連れてかれたのは競艇場です。途中でコンビニに寄りました」
「競艇場に着いたのは何時か覚えてるかな」
「午後2時半です」
家を出たのは午後12時半。ここから競艇場まで車で2時間かかる距離にあった。
「競艇場で何をしたのかな」
「お父さんとレースを見てました。レースのたびにお父さんが舟券を買ってたけど、当たったのは一回だけです」
その当たった一回は、私が番号を指定したものだ。
この話は余計だっただろうか。しかし刑事はなにも言うことなく、そのまま話の続きを促す。
「途中、お父さんがタバコを吸いに行って、その間僕は1人で待ってました。レースを見たり、食堂でアイス食べたり」
「1人でいた時間は」
「4時から5時までです」
「よく覚えているね」
「ずっと時計を見てたので」
父がいつ帰ってくるのか、競艇場内に掲げられた時計を見て待っていたのだ。
「お父さん、その時外にタバコ買いに行ったみたいです」
そのことを告げると、刑事の目が途端に鋭くなった。
「確かかい」
「はい。お父さんが言ってました」
若い刑事は難しい表情を浮かべるが、それ以上追求することはなかった。
「それで、お父さんが帰って来た後は」
「僕が持ってた舟券を換金して、その後焼き鳥屋に行きました。着いたのは5時半ごろです」
「何時までいたのかな」
「わかりません。途中で寝ちゃったので」
その後のことは、家に着いて祖父に起こされるまで記憶が全くない。
「家に着いたのは何時だったかな」
「9時ごろやった」
代わりに祖父が答えた。
「それまで寝てたのかい」
「はい」
「一度も起きていない」
「はい」
話を聞き終えた刑事さんは2人で何やら顔を見合わせる。
「ありがとう、勝彦くんの記憶は正確だね。前に話を聞いた後、勝彦くんとお父さんが本当にその通りの行動をしていたのか調べたんだ。勝彦くんの言う通りだったよ」
最初に行ったコンビニ、競艇場、焼き鳥屋、全て監視カメラの確認や聞き取りを行なって、私の証言に間違いがないか徹底的に調べたそうだ。
「気になるのはお父さんがタバコを買いに外に出た4時から5時なんだ。お父さんは本当にタバコを買いに行ったのかな」
「えっと、わかりません」
こちらには父がそう言っていた以上の情報はない。なぜそんなことを気にするんだろう。私には不思議だった。
「それともう一つ。お父さんの焼け残った財布からレシートが出て来たんだ。8号線の大きな通りにあるショッピングモール。知ってるかい」
「はい」
街へ出る道の途中にある大きなショッピングモールだ。祖父母と遠出した後、帰りに寄って中で食事をとることもあるため馴染み深い。
「あの日の帰り、お父さんはショッピングモールに寄って、店内のスーパーでお酒とお惣菜を買っていたみたいなんだ。勝彦くん、覚えてないかい」
「覚えてません」
私はよほど深く眠っていたのだろう。そんなところに寄った記憶は全くなかった。
すると、隣にいた祖父が口を挟んできた。
「刑事さん、さっきから何が聞きたいんですか。この子の父親が死んだことと、今の話に何の関係があるんですか」
苛立つ祖父の口調を意に介さず、年配の刑事が懐から取り出した写真を見せてくる。
「この男に見覚えは」
正面を向く、人相の悪い男性の写真。見覚えはなかった。
「見たことないです」
2人の刑事の目は、そう証言する私の表情の変化を見逃さないようにしているようだった。
「知らんな、誰や」
若い刑事が手帳を取り出して読み上げる。
「植村孝雄、42歳。この男が、火事の現場から見つかったもう1人の犠牲者です」
この人が。
私はじっと写真の男を見つめた。
「この人、誰なんですか。なんでお父さんがこの人と一緒に」
この村の住人ではない。それは間違いない。ならばなぜ父と一緒に休憩所にいたのだろうか。
「植村はひどくタチの悪い男でして。前科もあり、悪質な団体との繋がりもあると噂されています」
若い刑事は言葉を濁したが、その悪質な団体というのが暴力団を示すことは私にも理解できた。
年配の刑事が言葉を引き継ぎ、祖父に向き直る。
「英信さんはこの植村に借金があったようです」
「借金やと」
祖父の表情がひどく歪む。祖母が手を握る力が強くなるのを感じた。
「随分と前から借金の返済の追われ、資金繰りに苦労していたようです」
私は腑に落ちた。
なぜ父が急に帰ってきて、部屋に置いてあった腕時計を持っていったのか。その腕時計も借金の返済に充てるつもりだったのだろう。
「あのアホたれ、何やってるんや」
祖父は吐き捨てる。しかし、その表情にはどこか悲しげなものが混じっていることに気づいた。
刑事は話を進める。
「今回、火事があったのは村はずれの資材置き場にあった休憩所、そして敷地内に駐車していた英信さんの車。午前4時ごろのことです。そして英信さんと植村は休憩所の焼け跡から発見されました」
そして一息つき、ゆっくりと告げる。
「植村ですが事件発生の前日、勝彦くんと英信さんが出かける数時間前にコンビニで他の客と揉めていたのを目撃されています」
「つまり、この男が村に来たのはそれ以降。しかしどうやってこの村に来たのか、足取りがわかっとらんのです」
年配の刑事が頭をかきながらそう愚痴る。
「電車で移動した形跡はなし、車はアパートの駐車場に置きっぱなし、各タクシー会社に聞き込みを行なっていますが、成果はありません。他に考えられる手段があるとすれば、誰かに同行する形で来たとしか」
ようやく、この刑事が言わんとしていることがわかった。
「つまり、僕とお父さんが遊びに行った時、僕たちがその人をこの村に連れてきたって思ってるってことですか」
刑事は頷く。
「植村の住んでるアパートは競艇場に近い。英信さんがタバコを買いに行った4時から5時の間にそのアパートへ迎えに行ったとすれば辻褄が合うんですが」
私の一挙一足を見逃さないような鋭い視線を送られる。私は少し怯みながらもはっきりと否定する。
「知りません。こんな人と一緒に車なんて乗ってませんし、見たこともありません」
「そうですか、となるとまた別の手段で村に来たのでしょうね」
刑事はそう言うが、まだ疑われいるような気がして居心地の悪さを感じた。
「そもそも植村はなんでこの村にこようと思ったのか」
「借金の取り立てやろ。英信から取れん思って、俺らから取り立てようとしたんちゃうか」
「かもしれません。ですが、この男はこの家に来てはいないんでしょう」
「そやな」
「借金の取り立てか、はたまた別の目的があったのか。どっちにしても植村が英信さんと会っていたのは間違いないでしょう。2人の遺体は同じ場所で見つかったのですから」
父と植村はあの時、休憩所で何をしていたのだろうか。
「現場検証の結果、あの火災は事故ではなく放火であることが判明しました」
「そんな」
隣に座る祖母の声が震える。
「室内、および車内に念入りに灯油が撒かれた痕跡があったそうです。使用された灯油は同じ敷地にある物置のものかと」
「うちの灯油か」
休憩所の石油ストーブのために置かれていたものだ。
「お父さんは殺されたんですか」
言葉にすると、胃の底に鉛が落ちたような感覚を覚える。
殺人。
小説の中でしか触れることのなかった言葉。今までの当たり前に存在していた日常が音を立てて崩れたような気がした。
「亡くなった2人の司法解剖の結果が出ました」
若い刑事が神妙な表情で告げる。
「まず、英信さんですが死因は一酸化炭素中毒による窒息。火災によって生じた煙を大量に吸い込んだのでしょう」
窒息死。
煙に巻かれる父を想像してしまい、息苦しくなった。
「お父さん、なんで逃げなかったんだろう」
一階建てであるプレハブハウスの休憩所は決して大きくはない。室内が火で満たされようと、窓や扉から逃げるのはそう難しくはないはずだ。
そう思い質問すると、若い刑事は首を振って否定する。
「血中からアルコールが検出されました。お父さんはお酒を飲んで寝ていたから火事に気づかず、そのままーー」
「刑事さん、もうええでしょう」
祖父が若い刑事の言葉を遮る。
「これ以上はこの子にとって酷や」
「じいちゃん、僕は平気だよ」
「何が平気なんや。真っ青やないか」
祖父に指摘されて初めて、私の体は小刻みに震えていることに気づいた。
指先が氷のように冷たくなっている。
しかし、そんなこと構ってられなかった。
「刑事さん。僕は大丈夫です」
「勝彦」
「他にわかっていることはなんですか。植村って人も一酸化炭素中毒なんですか」
止めようとする祖父を無視する。
若い刑事は戸惑いながら答えてくれた。
「植村の死因は一酸化炭素中毒による窒息ではなく、絞殺です」
「絞殺。首を絞められたってことですか」
「そうです。体内からは大量の睡眠薬が検出されました。つまり、睡眠薬で眠らせて抵抗できなくなったところを、ヒモのようなもので首をーー」
「もうええやろっ」
祖父が怒鳴り声を上げる。
「子供の前やぞっ。この子は父親を亡くしたばっかりなんや、少しは気を使ってやってくれや」
「じいちゃん、僕はーー」
「平気なわけないやろっ。お前今自分がどんな顔してるか鏡見てみいやっ」
強い語気の祖父。
なんで止めようとするんだ。私は祖父を睨みつける。また私を除け者にするつもりなのか。子供だからと言う理由で遠ざけられるのか。
なぜ父が死ななければならなかったのか。父がどうして死んでしまったのか。私はどうしても知りたかった。
そんな理不尽な怒りが湧き上がる。
私は祖父に食い下がろうとしたが、隣で手を握る祖母に引き止められる。
「かっちゃん、もうやめよ。ばあちゃん怖いわ」
振り返り祖母の顔を見ると真っ青だった。
心の中で膨れ上がりつつあった祖父の反抗心が急速に萎んでいくのを感じる。祖母の泣きそうな顔を見ると、私は黙り込むしかなかった。
「失礼しました。この話はもうやめましょう」
年配の刑事が頭を下げる。
「では休憩所についてお話を聞かせてください。副社長の松田さんにお聞きしたところ、休憩所には普段鍵をかけていないそうですね」
えっ。
思わず声が漏れそうになるが、寸前で堪える。
「俺は休憩所使わんから鍵の管理は松に任せてある。松が言うならそうなんやろ。盗られて困るようなもんも置いてないしな」
「英信さんと植村がなぜ休憩所にいたのか、心当たりはありますか」
「植村って男がなんでそこにおったのかは知らんが、英信は昔俺の会社で働いていたこともあるし、休憩所のことも知ってるから泊まろうと思ったんやろ。暖房もストーブも冷蔵庫もある。一晩過ごすのに不自由ないしな」
祖父の言うことに間違いはない。
あの休憩所は外がいくら吹雪いていようと全く問題のない構造になっている。食料さえ持ち込めば一晩ぐらい余裕で過ごせる。
しかし普段鍵をかけていないわけがない。以前私が休憩所の中に入ろうとした時は鍵がかかっていた。
なぜ松さんはそんな嘘をついたのか。
事情聴取が終わった後ずっと考えていたが、疑問が解消されることはなかった。
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