第23話 エレナの想い


 私は生まれも育ちも恵まれていて、最高峰の魔術学院であるセレスティア魔術学院を首席で卒業した。


 今思えば、私はあまりにも傲慢だった。

 才能もあるし、努力もできる。

 私は間違いなく天才だ。

 そんな自分の能力のことを過信していた。


 卒業後、私は〈魔術省〉の中でも選ばれた魔術師しか入ることのできない〈公安局〉に就職した。


 しかし、私はそこで知る。自分は決して天才ではないということを。


「仕事が遅い」

「なぜこの程度のことができない?」

「キミにはこの仕事は向いていない。やめた方がいい」

「……」


 私は井の中の蛙だった。優秀なのはあくまで学院という小さな箱庭の話で、本当の天才たちには到底追いつくことができなかった。


 それでも私は努力した。絶対に彼らに追いついてみせると心に誓って──しかし、先に体が悲鳴を上げた。私は仕事中に意識を失った。気がつけば病院で、過労によって倒れてしまったのだという。


「過労です。しばらく休んだ方がいいでしょう」

「しかし……」

「これ以上、無理な働き方をすると死にますよ。もちろん、原典にも影響が出ます」

「……分かりました」


 医者にそう言われては、従うしかなかった。私はただ一日をぼーっと過ごしていた。休んでいる間にも同僚との差はさらに大きくなっていく。


 私はどうするべきなんだろう。そんな時、上司のシリウスさんがお見舞いに来てくれた。


「エレナ。調子はどうだ?」

「……そうですね。かなり良くなりましたが」

「流石に働きすぎたな。家にもあまり帰っていなかっただろう」

「はい……」

「辞めるのか?」

「どう……でしょうか。でも、自分に向いているとは思えません。今更になって、私はそう思いました……」


 私が公安に入ったのは、ただそこが一番名誉のある仕事とされているから。大きな目標もなく、流されるように来ただけ。


「では、私の屋敷でメイドをしないか?」

「メイド……ですか?」

「あぁ。キミは人の世話などの適性は高いと思う。私も少し家のことで困っていてね。次の仕事が見つかるまででいい。どうだ?」

「……そうですね。分かりました」


 なんとなくだけど、私はそれを了承した。メイドなんて自分に務まるとは思えなかったけど、意外と悪くはなかった。


 そして、シリウス様の屋敷で働くようになって一年が経過。シリウス様は魔術官の中でも一番のエリートであり、上層だけではなく下層にも出張に行ったりする。そして──帰ってきた彼は一人の少年を連れていた。



「彼はアレン。アレン、エレナに挨拶を」

「はい! アレンと言います。よろしくお願いします!」



 私はその少年を一瞥する。とても無邪気で明るそうな子どもだと思った。


 それから教育を任されたけれど、正直なところ気に食わなかった。彼に才能があるのは間違いなかった。けど、彼は上層ここの厳しさを知らない。常に競争の世界であり、魔術師たちは蹴落とし合っている。


 結局は才能があるだけ。シリウス様は魔術学院に入れるように言ったけど、きっとすぐにこの子どもは諦めるに決まっている。そう思っていたけれど──


「えっと……これは」

「……」


 私はある程度勉強を教えて、自習をさせていた。課題は大量に出したので、きっとすぐにサボるに違いない。その瞬間を見て、説教でもしよう。


 失敗してしまえばいい。諦めてしまえばいい。そんな黒い感情が胸中に渦巻く。


 けど、アレンはこっそり見に行ってもサボる様子はない。あろうことか──朝になっても彼は勉強をしていた。


「アレン? まさか、寝ずに勉強をしていたのですか?」

「あれ……? もう朝なの?」

「えぇ……そうですが」

「そっかぁ。時間が経つのは早いね。俺も朝ごはんの準備を手伝うよ!」

「え、えぇ……」


 ──ぞくり、と背筋が凍る。


 おかしい。この子どもはどこかおかしい。私はアレンに対して、表現できない感情を抱き始めていた。


「うっ……!」

「大丈夫!?」

「すみません。魔力の制御に慣れていなくて……すぐに続けます」

「え、えぇ……」

「もっと上手く、もっと魔力の流れを理解するんだ……」


 庭で魔力制御を教えていたけど、彼の原典はあまりにも特別で魔力を再現して操作するのに苦労していた。


 とても苦しいだろうに、彼は決して諦めることはない。何度も倒れて、吐いて、苦しんでいるのにすぐに立ち上がる。


 その瞳はいつだって、とても強い覚悟が宿っていた。彼はどうして、ここまでするんだろう……。



 

 私はシリウス様の書斎に顔を出していた。


「アレンの調子はどうだ?」

「いいと思います。しかし、彼は異常です。あそこまでやるなんて、正気の沙汰ではありません。彼は何者なのですか……?」


 シリウス様は一本の杖を渡してくる。


「これは?」

「彼が下で修理した魔道具だ。内部の魔術式を見てみるといい」

「はい。では、失礼して……」


 そこには、今まで見たことのない綺麗で完璧な魔術式があった。


「もしかして、これを……彼が?」

「あぁ。彼の原典の片鱗だが、凄まじい内部干渉力だ」

「これほどまでとは……」


 驚いている私を見て、シリウス様は語りかけるように言葉を紡ぐ。


「上で生まれ育つ人間は、生を受けたその瞬間から競争が始まる。才能と努力。弛まぬ研鑽によって、その才能を磨き上げる。他者とは常に競争相手であり、蹴落とす対象である。しかし、才能だけでも努力だけでも足りないのかもしれない」

「では、何が必要なのでしょうか?」

「心だよ」


 彼はトントンと心臓を叩いた。


「心?」

「そうだ。仮にアレンが上で育っていれば、あれほどの才能は育つことはなかっただろう。彼の優しさこそ、あの原典を育てたのだと私は推察する」

「では、常に人に優しくあれと?」

「いや、そんな単純な話ではないだろう。ベルは口癖のように言うが、〈魔術師とは原典に導かれる存在〉だ。つまり、もっと自身の心に従うことが必要ではないか。そう思うよ」

「そう……ですか」

「私もエレナも、彼から学ぶべきことは多い。下層者だからといって、侮るべきではない。アレンという個人をもっと真剣に見つめるといい」

「……はい。分かりました」



 それから教育はさらに進んでいった。アレンは昔の私のように、体を壊しそうになっていた。私は勉強の合間に休憩を絶対に取るようにして、今日は紅茶とクッキーを出すことにした。


「どうぞ」

「うわぁ。美味しそうだね。ありがとう! エレナさん!」

「いえ。これぐらいは」


 私は少しずつアレンのことを知りたいと思うようになっていた。


「アレン。あなたは下でどのような生活を送っていたのですか?」

「えっと。俺は孤児院で育って──」


 私はそれから彼の生い立ちを聞いた。孤児院で育ち、廃墟で幼なじみの女の子と暮らしていたことを。ガラクタを拾い、修理屋で働いてなんとか生計を立てていたらしい。彼の周りには優しい人が多くて、本当に感謝しているとアレンは言った。


「このブレスレットはライラがくれたんだ」

「幼馴染の女の子ですか」

「うん。多分、エレナさんはどうして俺が頑張っているのか、気になってるんでしょ?」

「……! はい。その通りです」


 アレンはふと、どこか遠くを見つめて言葉を続ける。



「さっき話したように、俺はみんながいたからこそ──幸せに暮らすことができた。でも、俺だけが幸せじゃダメなんだ。俺はこの〈原典さいのう〉をみんなのために使いたい。荒廃してしまった世界を変えて、みんなが笑って明るく安心に暮らすことのできる世界を作りたい。だから、俺は上層ここでもっと魔術を学ばないといけないんだ」

「……自分が満たされているに、幼馴染たちと別れるのは──寂しくはなかったのですか?」

「寂しいよ。でもね。いつかきっと、俺はみんなと再会するよ。一生の別れじゃないから。それに、みんなも──ライラも頑張っていると思うから。俺も頑張らないといけないんだ」

「……」


 ツーっと一筋の涙がこぼれ落ちた。

 あぁ。私はなんて浅はかで愚かな人間だったのだろう。才能しかない世間知らずな子どもと決めつけ、諦めてしまえばいいと思っていた。

 

 でも、その小さな体には、私なんかでは到底測ることのできない大きな覚悟が宿っていた。


「だ、大丈夫? エレナさん?」

「えぇ。大丈夫です。話してくれて、ありがとうございます」


 あぁ。そうか……シリウス様の言っていることが、よく分かった。確かにアレンのような才能は上層ここでは育たないだろう。


〈アレンという個人をもっと真剣に見つめるといい〉


 そうだ。私は自分の生きるべき道を決めた。彼を導こう。贖罪なんて大袈裟かもしれないけど、私はアレンのために尽くしたいと思った。


 この小さな少年の──大きな未来のために。



 私はそれから、丁寧に勉強を教えるようになった。アレンの体調管理もしっかりと私がしければならない。今日は少しだけ冷え込む。毛布をかけてあげようと思うと、アレンはまだ起きていた。あくまで事務的なものだと私は言ったが、アレンは儚い笑みを浮かべた。


「それでも、ありがとう」

「うっ……そ、それでは私はこれで。しっかりと眠りなさい」

「うん。おやすみなさい。エレナさん」

「おやすみなさい。アレン」


 部屋を出る。最近はアレンがちゃんと休めているか、そっと確認するのが日課になった。しばらくして、微かな寝息が扉越しに聞こえてきたのを合図に、私は静かに部屋の扉を開ける。音を立てぬよう足を進め、眠る彼の傍らに膝をつく。



〈魔術師とは原典に導かれる存在である〉──なら私も、初めて自分の原典こころに従ってみようと思った。



 そっと手を伸ばし、柔らかな髪を撫でる。

 彼の努力がどうか報われますように。

 彼の未来がどうか輝かしいものでありますように。


 願いが夜空に溶けていくように──私はそっと、もう一度その髪に指を滑らせた。



「……おやすみなさい。アレン」

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