第二部

序章 王都への旅立ち

「王都、ですか……?」


 その声は思わず漏れた。

 読みかけのページを指で挟んだまま、シェリンは視線をあげる。


 カミルはニカッと歯を見せて笑った。


「ああ。第三騎士団から俺たち弓部隊が、王都のお偉いさんたちの前で公開訓練することになってよ。ヴァルムスに行くことになったんだが、近々『光送りの夜』があるだろ? だから子どもたちも連れて行こうって話になったんだよ」


 ――光送りの夜。

 ここカルベール王国ではとても有名な祭りの一つで、毎年この時期になると王都で行われる。

 死者の安息を願い、夜空に紙でできたランタンを飛ばすという祭りだ。

 王都の民たちが一斉にランタンを飛ばすその光景は、まるで死者たちの魂が次々と空に昇っていくようで幻想的だと、以前読んだ本には書いてあった気がする。


 そのメインイベントに加え、王都ではさまざまな屋台が出されるなど、それは大変な盛り上がりをみせるらしい。


「なかなか王都なんて行く機会ないしね。この機会に王都の空気に触れてみるのもいいんじゃないかな?」


 カミルの隣でハンスも微笑んだ。


「それとね、リシャールとシェリンは王立アカデミーに体験入学してみたらどうかと思って。今ちょうど短期間のプログラムがあるから」

「そんなに簡単に入れるものなんですか?」

「僕の推薦権を使おうかなと思って。二人とも十分知識はあるし、大丈夫だと思うよ」


 なんとハンスは王立アカデミーを首席で卒業したらしい。

 薬学科を専攻する学生は非常に少ないようで、卒業後に就職先で弟子を取ったらアカデミーへ入れろと、推薦権なるものを学校側からなかば強制的に与えられたらしい。


 ハンス本人よりも、カミルの方が「すげぇだろ?」と誇らしそうだ。


 王立アカデミーを首席で卒業したならば、国の研究機関や王室付きの医師にもなれそうなものだが、ハンスはあえてそうしなかったのだという。


「僕、平民だけど商家の生まれでさ。知ってる?『ドゥスト商会』っていうんだけど……だから小さいころから貴族の人たちと関わりがあったんだけど、僕はああいう世界がちょっと苦手なんだ……」

「それで、第三騎士団に?」

「うん、そう。団長に誘ってもらってね」


 この医務室に、見たことのない異国の本が置かれていたのはそういうことだったのかと、納得した。

 ドゥスト商会といえば、このカルベール王国でもっとも有名な商会だ。ずっと森で暮らしていたシェリンですら知っているほどに影響力を持っている。


(王都か……)


 胸の奥に、ぽたりと何かが落ちた気がした。


 きらびやかな街並み、人であふれる広場、空に舞うランタンの群れ――すべては本の中でしか知らない景色。


 王都に行くことのメリットはたくさんある。

 アカデミーに入ることができれば、シェリンのような孤児でも、王立図書館を使用することだって許されるだろう。

 その権利を何の手間もかけずに手に入れられると思えば、この機会はチャンスだ。


「でも……私みたいなのが行っても、大丈夫でしょうか」


 自然とそう口にしていた。


 森で育ち、人との交流がまだ少ないのに、人間関係に敏感な子どもたちばかりが集まる場所で、シェリンは上手く過ごすことができるだろうか。

 ましてや、貴族社会の人々が相手になる可能性もあるのだ。礼儀作法は一通り教えられてはいるものの、実践はしたことがない。


「心配しなくても大丈夫だ。たしかにお堅い貴族もいるが、街のほとんどは平民ばっかりだ。お前ら最近仕事してばっかだっただろ? 息抜きがてらどうだ?」

「……僕は行かない。人が多いところは無理」

「おいリシャール、そう言うなって」


 シェリンやレネ、カミルやハンスなど、ある特定の人の前ではフードを外すようになったリシャールは、以前よりも表情がはっきりと分かるようになったので、彼が何を考えているのか分かりやすい。

 今も眉をひそめて、嫌だと心から訴えているように見える。


「僕はね……君たちが君たちのまま、王都に行って、何を見るのか。何に触れて、何を思うのか。みんなにそれを経験してきてほしい。第三騎士団領はとてもいい場所だけど、ここも狭い世界だから。もっと広い世界を見てきてほしいな」


 ハンスの瞳はまっすぐで、やわらかくて、どこか不思議と安心できた。


「ハンスの言う通りだ。それに、お貴族さまに気に入られでもしたら、将来ガッポガッポ稼げるかもしれねぇぞー?」


 カミルがニヤリと笑いながら言うので、シェリンも思わず小さく笑ってしまった。


 お金に興味はさほどないが、ハンスの言う通り、もっと広い世界に触れてみることは大切かもしれない。

 そうすれば、もしかしたら――シェリンの不死能力を解く方法が見つかるかもしれない。


「行ってみようと、思います」

「お、シェリンは行くってよ! お前はどうするんだぁ、リシャール?」


 リシャールはしばらく黙っていた。

 けれど、シェリンと目が合うと、ふいと目をそらしながらぽつりと呟いた。


「……行く。君が行くなら、僕も」


 ぷっと吹き出したカミルの頭に、リシャールの拳骨が落ちる。

「いってえ」と頭を押さえるカミルを横目に、シェリンはミアと遊んでいたレネに近づいた。


「レネ。王都へ一ヶ月くらいお出かけするそうなのですが、レネも一緒にどうですか?」

「王都? ほんと!?」


 レネはキラキラと目を輝かせた。

 しかし、すぐに「でも……」と口ごもる。

 彼女の視線の先には、腕に抱かれたミアがいた。


(成長したな……)


 自分のことだけでなく、他人のことまでちゃんと慮れるようになったレネは、日々少しずつ大人になっていることを改めて感じた。


「ミアのお世話は僕がするよ」


 ハンスは「だから行っておいで」とにっこり微笑む。


「王都でお泊まりたのしみ!」


 騎士団領には、どこまでも穏やかな空が広がっている。

 新しい日々が確かに始まろうとしていた。




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たいへん遅くなりましたが、少しずつ第二部を進めていこうと思います。

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