第六話:伝言室
第六話:伝言室
光の道を進むヒバリの足取りは、どこかゆっくりで、それでいて迷いがなかった。
周囲の景色は徐々に変わっていく。真っ白だった空間はやわらかな夕暮れ色に染まり、淡く差し込む光が温かく肌を照らしていた。
やがて、ひとつの扉が現れる。古びた木の扉。どこか懐かしい、家の玄関のような。
「ここが“伝言室”です」
隣に立つネイが、そっと告げる。
「この扉の向こうには、あなたの記憶に最も強く残る“接続先”が用意されています。時間はほんの数分。その間だけ、言葉を交わすことができます」
ヒバリは息を飲んだ。
「……会えるんですか? 本当に?」
「“完全な再会”ではありません。あくまで、あなたの魂が記憶の中から引き出した姿。けれど、それでも、心には届くでしょう」
ネイは、そっと一歩下がった。
ヒバリは、ドアノブに手をかけた。冷たくも、やさしくもない、不思議な温度が掌に広がる。
そして、扉が開いた。
そこは、見覚えのある台所だった。
夕方の光が差し込む中、食卓の前で一人の女性が背を向けて立っていた。
「……お母さん……?」
声に反応するように、女性がゆっくりと振り向く。
優しい目。少し疲れた表情。でも、そこには確かに“愛”があった。
「……ヒバリ?」
ヒバリの喉が詰まった。涙がこぼれそうになるのを堪えて、必死に言葉を探す。
「ごめんなさい。あの時、言い過ぎた……あなたが私のことを心配してくれてたの、わかってたのに……言えなかった」
女性は微笑んだ。
「知ってたわよ、そんなこと。あんた、昔から顔に出るもの」
ヒバリの目から涙がこぼれ落ちた。言いたかったこと、ずっと抱えていたものが、次々に溢れ出す。
「ありがとうって、言いたかった。全部、感謝してる。私、ちゃんと生きてた。母さんがいたから、ここまでこれたの」
女性はゆっくりと歩み寄り、ヒバリの頬に手を添えた。その温もりは、幻のはずなのに、どこまでも確かだった。
「じゃあ、あとは自分のために生きなさい。どこに行っても、私はあんたの中にいるんだから」
ヒバリは頷き、涙をこらえながら笑った。
「……うん。ありがとう」
部屋に、穏やかな光が満ちる。
まもなく、すべてが白に還る。記憶の中の母も、夕焼けも、優しい香りも。
扉の外に出たヒバリを、ネイが静かに迎えた。
「言えましたか?」
「……はい。ちゃんと伝えました」
ヒバリの表情は晴れやかだった。まだ少し涙の跡が残るその頬には、ようやく手放せた何かの余韻があった。
「では、次の選択へ進みましょう。あなたは、もう“未練”には縛られていませんから」
ヒバリは、強く頷いた。
光の中に立つ彼女の背に、かつての迷いはなかった。
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