第2話 眠れる乙女

 レナは腕を組み、ブリッジの硬い壁に寄りかかった。スピーカーから流れる男の声は、古びたラジオのようにノイズ混じりだったが、その内容は無視できない重さを含んでいた。


「……『眠れる乙女Sleeping Princess』、ねぇ。ずいぶんと可愛らしい名前だが、中身は違うんだろう?」


 レナの声は、わざとらしく抑揚を殺してあった。こういう手の話は、まず相手にこちらの感情を読ませないのが鉄則だ。


「ああ。そいつは…『セクター・ヌル』の深部、旧文明の戦艦の残骸の中に眠っていると聞く」


 男の声がわずかに低くなる。『セクター・ヌル』。その名を聞いたレナの眉間の皺が、無意識に深まった。そこは『大静寂』の際に激戦地となり、今では無数の船の墓標が漂う危険宙域。まともな航行図も存在せず、幽霊船の噂が絶えない場所だ。


「幽霊船の墓場か。そりゃまた、物好きな依頼だな。で、その『乙女』とやらは、一体何なんだ? 機械か、データか、それとも本当に冷凍保存されたお姫様でも見つけてこいってのか?」


 レナの皮肉にも、男は動じない。


「詳細は不明だ。だが、あるコレクターが血眼になって探している代物でな。我々もその仲介をしている。アンタなら、あの宙域でも上手く立ち回れると踏んで声をかけたのさ。CSSAの古巣じゃ、そういうお掃除も得意だったんだろ?」


 男の言葉に、レナの目が鋭く光る。自分の過去を知っている。ただの仲介屋ではないかもしれない。


「……それで、報酬は? 安い仕事なら他を当たってくれ。こちとら、慈善事業でガラクタ漁りをしているわけじゃないんでね」


「成功すれば、だ。成功すれば、お前さんの船の燃料タンクを3回は満タンにできるだろう。それに加えて…旧文明のレアメタル『オリハルコン』を純度99パーセントで5キロ。どうだ?」


 破格、と言ってよかった。オリハルコン5キロなど、辺境の小さなコロニーなら一つ買えてしまうほどの価値がある。だが、当然それだけのリスクがあるということでもある。


 ふと、エルの静かな声がレナの耳元で響いた。彼女は操縦席から動かずに、レナにしか聞こえない微細な音量で囁く。


「レナ、この通信の発信源は少なくとも三カ所を経由して偽装されています。送信者の声紋には、微弱ながら強いストレス反応と、意図的な情報隠蔽の傾向が検知されます」


 エルは続ける。


「また、『眠れる乙女』というキーワードで旧文明のデータベースを検索しましたが、該当する具体的な設計図や物品データは発見できませんでした。しかし、同時期の軍事プロジェクトのコードネーム群の中に、類似する命名規則のものが複数存在します。いずれも『タイプ・エンジェル』と呼ばれる戦略級デバイスに関連するもののようです」


 戦略級デバイス。つまり、兵器だ。それも、おそらくはとんでもなく危険な。


 レナは内心で舌打ちした。やはり、甘い話には裏がある。だが、この申し出を蹴れば、当分は今日のような雀の涙ほどのサルベージで糊口をしのぐしかない。


「…いいだろう。その話、乗ってやる」

 レナは意を決して言った。

「だが、条件がある。まず、その『眠れる乙女』とやらが眠る正確な座標データ。それから、あんたたちが掴んでいる限りの詳細情報。嘘偽りなく、だ。それが確認でき次第、こっちも動く。まずは情報を寄越せ。前金代わりだ」


 しばしの沈黙。ノイズの向こうで男が誰かと短い言葉を交わす気配がした。


「……分かった。データはすぐに暗号化して送る。ただし、こちらも一つ条件がある。ブツの回収に成功したら、中身は絶対に確認するな。そのまま指定のポイントまで運んでもらう。いいな?」


「中身を改めるな、か。ますます怪しいな。まあいい、こっちも面倒はごめんだ」


「交渉成立、だな。座標データは、お前さんの船の古いレジストリコードに紐付けて送る。旧式だが、一番安全だろう」


 一方的な言葉と共に、通信はブツリと切れた。後に残ったのは、再び船内を満たす冷却ファンの音と、レナの深い溜息だけだった。


「さて、と」

 レナは両手で顔をこすり、エルに向き直った。

「どう思う、エル? 『眠れる乙女』だってさ。とんだじゃじゃ馬じゃなけりゃいいが」


 エルは小さな首をかしげた。その仕草は、どこか人間の少女を思わせる。


「現時点での情報では、リスク評価は高。成功確率は算出不能。しかし、提示された報酬は魅力的です。レナの判断を支持します」


「そりゃどうも。お前がそう言うなら、少しはマシな結果になるかもな」


 レナは操縦席に戻り、コンソールを操作し始めた。古びた航行コンピュータに、新たな座標を入力していく。ディスプレイに表示された目的地は、テラ連合の星図からも危険区域として赤くマークされている宙域の、さらに奥深くを示していた。


「よし、行くか。クレイドルの次の仕事場は、幽霊船のダンスホールだ」


 船体が微かに震え、エンジンの出力が上がる。ゆっくりと、クレイドル号はその小さな船首を、新たな危険と、そして莫大な報酬が待つ暗黒の宇宙へと向けた。

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