第10話 「なにかを“守りたい”と思ったことがあるか」

昼休み、教室。


澪の机に、水がかけられていた。


筆箱の中は濡れ、シャープペンの芯はバラバラ。ノートはふやけて文字がにじんでいる。


その光景に、青羽の中で何かが切れた。


「……誰がやった」


静かな声だった。でも、それは怒りを抑えた声じゃない。

それは“感情”というより、“本能”だった。


「誰がやったんだって聞いてるんだよ!」


彼は立ち上がり、周囲を睨む。普段は無表情に近い彼の、はじめて見る表情にクラスが凍りつく。


女子の一人が小さく笑った。


「なに? あんた、“実験”の恋人のために怒ってるの? ウケるんだけど」


その言葉に、教室全体がざわついた。


──“実験の恋人”。


それは澪が、告白されたら付き合う“恋愛実験”をしているという、噂の一部だった。

真実かどうかよりも、「ラベル」がつくことで、彼女は消費されていた。


「……澪は、誰かを利用したりなんかしてない」


青羽の声が震える。


「誰かを大事に思うことを、どうして“実験”なんて呼ぶんだよ。

わからないなりに、ちゃんと向き合ってるのに……」


彼は、澪の濡れたノートを抱えて、叫ぶように言った。


「俺が、好きだって、そう言ったら──

それも“わからない”って言うんだろ?」


澪は、その背中を見て、

胸が苦しくなるのを感じた。


涙ではない。とても似ているけれど、どこか違う。

「自分のために誰かが怒ってくれた」という経験が、人生で初めてだった。


 


 


その夜──望月燈の家


燈は、自室で静かにキーボードを叩いていた。

彼女は密かに、校内の人間関係や出来事を観察し、“記録”として書き綴っている。


──それは、感情を整理するための作業でもあった。


「澪という存在は、青羽という曖昧な存在を輪郭づける。

だがそれは同時に、三条の“未完の恋”に火をつける。

誰かの“好意”は、他者にとって“呪い”にもなり得る」


彼女は知っていた。

人が感情を持つ限り、恋は常に“誰かを傷つける可能性”と隣り合わせだ。


そして──


燈は、青羽にほのかに抱き始めた自分の“感情”を、そっと打ち消す。


「誰かを守るって、

 本当は、すごく、すごく……孤独なことなのかもしれないね」

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