第30話偽りの参道
黒々とした鳥居が、音もなく視界を満たす。
石段は苔むしているはずなのに、踏むたびに乾いた音が響く。空気は湿って、しかし冷たく、なにかの意志が四人の背を撫でるようだった。
「……空が、見えない」
いぶきが眉をひそめて言った。天を仰いでも、そこには墨をこぼしたような黒の空。星も月もない。
「結界……いや、結界にしては、深すぎる」
璃音が霊視の印を結び、目を細める。周囲に流れる霊的な圧力は、これまでとはまるで質が違っていた。
「静かすぎる。気を抜けば飲まれるぞ」
一臣が盾の裏で左拳を握りしめる。見えない圧に抗うように、全身に力を込めた。
そのとき、神社の奥――闇の中から一対の狐面が現れた。
「“神迎えの刻”……参りましょうか」
女の声。だが姿は影のようで、巫女装束のはずがまるで墨を引いた筆跡のように朧げだった。
気づけば鳥居の先には、無限の参道が続いていた。
「っ……これ、まっすぐなのに、歩いてる気がしない」
勇征が顔をしかめて立ち止まる。しかし、足元の小石は確かに踏まれ、落ち葉が舞い、風が抜けている。
「時計が……動いてない……?」
いぶきが腕時計を覗くと、針が一切動かず、液晶の時刻も“00:00”を点滅し続けていた。
「幻術だ。けど、これは“意識”に直接入ってくるタイプ。危険です……」
璃音が身を縮めるように言った。彼女の指先に結界の光が宿る。神力を持たぬ者なら、既に自我を崩していたかもしれない。
「ここからは、全員が自分を守れ。『記憶』も『感覚』も、奪われる前に、気づくことが鍵になる」
一臣が短く告げ歩き始める。
歪んだ鳥居をくぐった瞬間だった。
空間が“裂けた”。
光も音も、互いの気配すらも、四人を切り離す。
足元には同じ石畳が続いているはずなのに、視界はかすみ、遠近感が歪む。空間の構造が崩れたように、彼らはそれぞれ別の“内なる世界”へと誘われた。
【一臣】
重い。盾が、腕が、足が、ずっしりと沈む。
気づけば、血の匂いが満ちていた。
目の前には倒れた班員たち――勇征、いぶき、璃音。
「…、守れなかったのか」
彼らの身体には、一臣が知るはずのない傷――明らかに敵の攻撃ではない、内部から裂けたような、心の象徴にも見える深手が刻まれていた。
それは彼の“無力さ”が具現化した幻影。
彼が守ろうとしたものを、守りきれなかった記憶と可能性が入り混じる。
「お前の防御など、何の意味もなかった」
耳元で、誰かが囁く。
―そうだ、お前の盾など飾りだ。
―結局、お前は“見てるだけ”だったじゃないか。
視界の端で、倒れた璃音が震える声で言う。
「……私たち、信じてたのに」
「――違う」
呻くように言葉を吐き、一臣は膝をつきかけた身体を起こす。
「……俺はまだ、立ってる。立って、前を向いているだろ」
握るメイスの柄が熱を帯びる。
「何度でも守る。何度でも、信じる」
その言葉と共に幻影が裂け、石畳の感触が戻ってきた。彼は、再び“道”に立っていた。
【璃音】
彼女の前に現れたのは、膝を抱えて震える子供たちだった。
痛みに歪んだ表情、焼けただれた肌。
「……大丈夫、もう大丈夫だから」
いつものように手を差し伸べようとした璃音は、次の瞬間、言葉を失った。
子供たちは――全員、璃音の姿を見て怯えていた。
「来ないで」
「また、見捨てるんでしょ?」
「――私は……そんなつもりじゃ……」
幻は彼女に“救えなかった”瞬間だけを繰り返し見せる。
そして、「優しい顔だけの偽善だ」と責めてくる。
彼女の瞳が揺れる。けれど、次第に眉が寄り、手が胸元に集まった。
結界の印を、ゆっくりと刻む。
「たとえ、救えなかったとしても……それでも、手を差し伸べることを、私はやめない」
「私の癒しは、他者の命に届かなくても、自分の意志に届いてる――そう、信じてるから」
静かに、幻がひとひらの光となって消えていく。璃音は目を閉じ、深く息をついた。
【勇征】
静寂。
前方に、かつての自身の姿が立っていた。
己に似た顔が、怒りと焦燥で歪んでいる。
「お前は強いふりをしているだけだ」
「怒鳴って、走って、力で押し切って、全部“正義”で済ませた気になってるだけだろ」
鏡のように振るう拳が、勇征の胸に重くのしかかる。
彼は言葉を返さない。ただ、受け止めていた。
―心当たりがある。
ずっと、力で前をこじ開けてきた。
でも、今は。
「……違う。おれは、ひとりじゃねえ」
拳を下げる。
「守る仲間がいる。共に戦ってる。だから俺は“考えて”進む。力だけじゃねぇ、信じて任せることも、強さなんだよ」
幻の自分が苦笑し、消えた。
【いぶき】
風が、ない。
音が、ない。
彼女が頼りにしてきた“気配”が、すべて途絶えた。
呼吸音すら、鼓動すら消える世界。
「……声が……出ない……」
パニックは、襲ってこない。
代わりにやってくるのは、“何もない”という感覚。
存在の消失。
音を奪われ、風を失い、孤独に沈む。
本当に、自分はここにいるのか。
“透明になっていく”ような恐怖――いや、恐怖ですらない。
虚無。
「……っ……」
彼女は目を強く閉じ、ステッキの先端を握る。
(――風は、ここにある)
頭の中に思い描いたのは、共に歩んできた仲間たち。
勇征の声。一臣の背中。璃音の笑顔。
それは風のような存在。確かにあって、流れている。
(……私がここにいる理由。風と声が消えても、残るもの)
「私は……私でいる……!」
その瞬間、視界に色が戻り、聴覚が回復した。彼女は再び“ここ”に立っていた。
幻影が消えたあと、仄暗い回廊の中央に、ぽつりと四人の姿が揃っていた。
不思議なことに、誰も先に声を発さなかった。
互いに確認するように、静かに視線を交わす。
一臣が、最初に口を開く。低く、けれどはっきりと。
「……みんな、無事だな」
その声に、いぶきがふっと息を吐いた。
「うん。ちょっと、怖かったけど……でも、絶対にまた会えるって、思ってた」
璃音が小さく微笑み、頷く。
「私も。皆の顔を思い出して、そこに向かって歩き続けたから……帰ってこられました」
勇征は手で後頭部をかいて、少し照れくさそうに言った。
「へへっ。心、ぐらっと揺れたけどな。でも……ああ、みんなもちゃんと“立ってる”って、信じてたよ」
その言葉に、一臣が重々しく頷く。
「それぞれが、自分自身を越えた。だから、ここにいる。……信じていた。俺たちが、誰一人として立ち止まらないと」
いぶきが笑う。明るいけれど、どこか奥深くからこみ上げてくるような、芯の通った笑みだった。
「うん。だから私は、“みんなが辿り着く”風の流れを、ずっと感じてた」
璃音もまた、両手を胸の前で重ねて目を閉じた。
「信じるって、すごいですね。私たち、どこまでも進めそう」
勇征が前を見て、強く頷く。
「だったら、行こう。この先も、揺るがずに」
四人の足元に、今までなかった“確かな石畳”が浮かび上がった。
それは、心の迷いを抜けた者にだけ見える“真の参道”。
互いを信じ、己を乗り越えたK13班の歩みは、ふたたび一つに戻り、そして前へと向かっていく。
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