五 桜屋敷に居候きたる

「白鷺院家の写しを徹底的に調べたが、荊城の失踪者――弥太とのつながりはなさそうだ。現地の警察とも連携して動いているが、今のところ汽車や馬車を使って移動したなんつー足取りは掴めてねえ」


 白鷺院家本邸訪問から数日後、古賀が鴇坂邸にやってきた。もう桜の盛りも過ぎて、表玄関から見える地面は薄紅に染まっている。

 古賀はしばらく休めていないのか、目に濃いくまができて、着物もよれよれの有様だった。


「そう……忙しいのに、報告ありがとう」


 なんの進展もないことに焦りはあるが、半ば予想していた結果ではある。

 白鷺院相手にあれだけ無礼な振る舞いをしたにもかかわらず、清久はすぐに来訪者名簿の写しを送ってくれた。おまけに晞子に対する非礼を詫びる丁寧な手紙までついてきた。

 一度感じてしまった白鷺院への疑念は、拭いがたいものがある。けれど、五匣家としての振る舞いは、あちらのほうが数段上だ。些末事にいちいち心を揺らして、感情的になっている場合ではない。

 もう父も母も兄も、親族たちも――もちろん姉も、誰もいないのだから。ひとりでもしっかり立って、鴇坂の当主にふさわしい振る舞いをしなければならない。


「……――嬢ちゃん? 聞いてたか?」


 古賀の困惑した声にはっとして、晞子は顔を上げる。


「あ、ごめんなさい。なに?」

「悪いんだが、頼みがあってな。数日ばかり、はるを預かってもらえねえか」


 晞子はきょとん、と目をまたたく。


「それはかまわないけど、どうかしたの?」

「いやもう、ずーっとお通夜状態で食事もほとんど喉を通ってねえ。兄が見つかるにしろそうでないにしろ、前々から付き合いのあるちゃんとした孤児院に入れるつもりだったが、今はまだ酷かと思ってよ。かみさんはよくやってくれてんだが、ばあさんとじいさんの世話もあってあまりかまえなくてな……お前さんたちの話をしたときだけ反応があるもんだからよ」

「私も留守にするときはあるから四六時中面倒を見れるわけじゃないけど、今は常葉も、それからいちおう深景もいるし……」

「――なりません」


 後ろから響いた鋭い声に、晞子は飛び上がりそうになる。

 振り返ると、常葉が眉を吊り上げて古賀を睨めつけ、仁王立ちをしていた。


「警察が被害者の世話を市民に押しつけるとは、不届き千万。だいいち、私はお嬢さまを家中の脅威からお守りするというお役目がございます。どこぞの小娘の子守りをしている暇などございません」


 常葉の言う家中の脅威とはもちろん、深景である。

 常葉が屋敷に戻ってからというもの、彼女は奥向きのことをこなすかたわら、徹底して深景の動向を注意深く探ってくれていた。とくに晞子の就寝中の念の入れようといったら、すさまじかった。夜中に一歩でもこちらの寝室に深景が近づこうものなら、有無を言わせず瞬時に彼を捕らえた。その様は、大蛇が鎌首をもたげて獲物を仕留めるがごとしだった。

 白鷺院邸での一件があってから、なんとなく深景と顔を合わせづらかったので、晞子としても常葉の過保護ぶりには助けられているところがある。


「い、いやぁ、しかしですな」

 古賀が常葉の剣幕にたじたじになりながら、頭を掻く。


 貧民窟ではると滋にはじめて逢ったとき、妹を必死で庇っていた兄の姿が思い出される。

 あのふたりのあいだには、嘘ではない絆があるのだろう。それが突然断ち切られたことを思うと、他人のことなのになんだか落ちつかない心地になる。


「常葉。はるのことは、少なからず花ノ怪が関係している。あんなに混乱している状況じゃなきゃ、失踪事件のことだってもっとうまい手立てができたかもしれないもの。花ノ怪に関わっているなら、うちにもその責があるわ」

「なれど――」

「いいじゃないですか」


 今度口を挟んできたのは、深景だった。

 盗み聞きでもしていたのか、朱鷺を抱いて隣の間からひょっこりと顔を出す。まともに目が合って、晞子はばっと俯いた。


「俺がこれまで、晞子さまに一度でもなにかしました?」

「黙れ下郎。動けないお嬢さまに働いた狼藉、忘れたとは言わせんぞ」


 世が世なら、太刀でも突きつけていたにちがいない常葉のまなざしにも、深景は肩を竦める。はじめは竹を割ったようにまっすぐな気性の常葉に苦手意識を抱いていたような深景も、近頃は随分と余裕が出てきたようだ。

 深景はゆるりと晞子に目線をくれた。目尻に、仄甘い色香がにおいたつ。


「……あれは、夫婦の睦み合いというものでは?」

「な――ちが……!」


 反駁しかけてから、口をつぐむ。

 口をつぐんだのはもちろん、それが事実だからではない。外部の人間である古賀の前で鴇坂家内部のごたごたを披露することもない。そう思ったからだ。

 青筋を浮かべた常葉の腕に、晞子はそっと手を添える。


「朱鷺さまもいるし、ちゃんと用心して常葉の手を煩わせないようにする。紅匣だって私の手にあるわ。それにはるがもし滋や花ノ怪のことでなにか思い出したら、真っ先に対処できるもの。ね?」

「お嬢さま……」


 常葉は困ったように眉尻を下げる。こうして姉にねだられると弱かったのを、晞子はよく知っていた。


「分かりました。ただし、私の目の行き届かないときは、なにかあったら大声で叫んでくださいね」

 常葉の言いつけに素直に頷けば、古賀が助かったぜと胸を撫でおろす。


 間もなく、門の外で待っていたのか新田がはるを連れて表玄関に入ってくる。はるはおずおずと顔を上げた。元々細かったが、今はますますやつれて、貧民窟で晞子に喰ってかかってきたときの覇気は見る影もない。


「いらっしゃい。上がって」


 つとめて平静に言えば、躊躇いつつもはるが草履を脱ぐ。ぽそぽそと、お邪魔しますというちいさな声が聴こえた。

 しかし式台から畳に上がってすぐ、はるはびくりと肩を震わせる。

 常葉が腕組みをして、はるを頭のてっぺんから爪先まで眺め下ろしていた。いくら女とはいえ、鍛えていて上背もあり美人なのでやたらと迫力がある。

 はるが借りてきた猫みたいに一歩も動けずにいると、常葉はその場に膝をついてちいさな少女に目線を合わせる。


「――はると言ったな。なにが食べたい?」


 はるは目をぱちくりとさせる。


「……麦ごはんと、たくあん」

「オムライスは?」

「おむらいすってなに」

「ふわふわで、黄色くて赤い」


 ざっくりすぎる説明に、晞子は思わず吹き出しそうになる。

 常葉は、姉の晶子が幼い頃から、そして晞子に至っては生まれたときから面倒を見てくれてきた経緯がある。口調こそぶっきらぼうだが、彼女が晞子などよりも愛情深い女であることは身をもって知っていた。


 玄関に立ち尽くしたままでいる古賀たちを帰るように促してその背を見送ってから、晞子はこらえきれず口の端を上げる。

 瞬間、思いがけず深景と目が合って、慌てて仏頂面をつくった。


「……なに?」

「いえ」


 深景は珍しく、にこりともせずに答える。先ほどのはるではないが、どういうわけか微動だにしていない。

 だがこの反応を見るに、どうやらそれほどにやけた顔を晒してはいなかったようだ。にやけ顔を揶揄されでもしていたら、憤死していたところだった。ほっとして、晞子は先に歩きはじめた常葉とはるの後を追った。

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