第12話 霧と鏡の双子街──幻影フォールト

 灰色の岩稜を越えた瞬間、空気がぱたりと変わった。

 霞でも砂でもない細粒の光子――“鏡霧”が谷底から湧き上がり、風もないのに渦を巻く。第3フォールト〈幻影帯〉。光も音も複写する“反射世界”だ。


「声を出すと……」

 コリンが短く息を吐く。

――《声を出すと》

 自分の声が半拍遅れて耳元に返った。ふざける暇もなく、反響がさらに折り重なり、数秒後には同じ言葉がオルゴールのカノンのごとく降り注ぐ。


「基準波を決める」

 ライルは剣の柄尻をコンと打った。

――キン……キィン……

 鋼の初音。それを“絶対原点”と心に据え、後続の反射を雑音と切り離す――“自己基準波”の作法だ。

「この音を軸に進む。外れた反射は全部ノイズとみなす」

「了解。二拍目は私が重ねるわ」

 セレスティアの弓先が柄尻を叩き、同音を半拍で追い掛ける。三人の脳裏に揃ったメトロノームが鳴り始めた。


 峡谷を抜けると、霧の奥に二つの都市が重なっていた。

 朽ちた石造りの廃都と、玻璃塔が屹立する未来都市。そのどちらも“透けて”おり、足だけが現実の石畳に触れる。


「双子街〈フェンスピーゲル〉……現実と残像が干渉した遺構ね」

 セレスティアが呟くと、彼女の声も三重に折れて消える。

 ライルは剣の基準波を鳴らし続け、うねる残響の海を泳ぐように歩を進めた。


 突然、霧面が割れて仮面の影。

“鴉王”ゼクスのホログラムが映り込み、ひび割れた声を落とす。

『双子は鏡。片方を割れば、もう片方も裂ける。さあ――どちらが真実?』

 像はすぐ霧へ溶けたが、同時に白煙が凝縮し、三人自身のコピーが涼しい顔で立ち上がった。


――鏡霧の試練――

 コピーたちは本物と同じ武装、同じ歩調。基準波まで模倣し剣を鳴らす。

 “音を盗まれた”瞬間、霧が雑音に化け、足場の石と玻璃が目まぐるしく入れ替わった。


「基準ごと再現されたか……なら基準波を複数化する!」

 ライルは剣を高く掲げ、異なる高さで二拍目を刻む。セレスティアは三拍目を低弦で合わせ、コリンが掌で四拍目を叩く。

 四重和音――コピーが追従しきれず、足並みが半拍ずれた。


 霧が割れる隙に、ライルが蒼白の“冷音斬”を一閃。影ライルの胴が霧散する。

 セレスティアは風矢を弧状に放ち、遅れを取った影セレスティアを風圧ごと粉砕。

 最後にコリンが盾の縁で影コリンの剣を弾き飛ばし、背後の鏡霧へ叩きつけた。

 霧が砕ける音は、今度こそ反射しなかった。


 霧片が地面に堆積し、掌大の“鏡霧結晶”へ硬化する。

「この結晶は光も音も撹乱できる。ゼクスの通信網にジャミングを仕掛けよう」

 セレスティアが矢じりへ結晶を嵌め、ライルの剣で共鳴させる。

 塔の頂に据えられたディオス=ギア欠片――“影反射塔”を狙い、矢が白閃を引いた。一拍遅れで塔のレンズが砕け、ゼクスの空中光路が千々に乱れる。


『通信……障害……ふふ、面白い』

 割れた仮面の声だけが霧奥で歪み、やがて遠ざかった。


 広場に取り残されていた流民は影寄生が浅く、鏡霧結晶を用いた冷却治療で意識を取り戻した。

 その中に、歌声を失った旅の吟遊詩女――“凍れる歌姫”リュミエルがいた。

 彼女の喉に刺さった黒結晶をセレスティアが丁寧に摘出し、ライルの基準波で消波すると、かすれた歌が霧に溶けた。


「歌は……まだ、消えてなかった」

 リュミエルは震える声で礼を述べ、ゼクスが次に向かった“氷鎖の空洞”の噂を語った。

「そこは氷壁が響板になり、音が何倍にも跳ね返る“共鳴の檻”。私の歌を盗もうとしたのも、あの場所で……」


 ライルは剣を握り直す。今回の戦いで得た四重基準波──チーム共振――それが次の氷域で最大の武器になるはずだ。


「必ず取り戻す。歌も、未来も」

 霧が夕陽で薄桃色に染まり、双子街の幻像が静かに閉じていく。

 その先には、凍てつく白銀の断層と、まだ見ぬ新たな敵が待っていた。

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