第2話 闇裂く咆哮――影の獣襲来

燃える聖樹を背に、ライルは剣を振りかざした。濃い煙が視界を包み込み、黒い獣影は火の粉を吸い込むたび輪郭を歪める。


「やっぱり斬れないってコレ!」

思わず叫ぶと、背後からヨロヨロ現れた青年コリンが「何か役に立つ!?」と鍋蓋を掲げた。

「鍋蓋でどう戦うんだ! 火消しか!?」

「火は怖いけどお母ちゃんの夕飯よりはマシだ!」

コミカルなやりとりの最中にも、獣は別棟の倉庫へ突進。大工ギルドの木材が爆ぜて火柱が立ち、笑えない状況へギアが跳ね上がる。


「村の者は南側へ避難を! 家は燃えても建て直せる、命だけは!」

村長代理の老婆マルタが声を張る。ライルは子どもたちを囲い込み、石畳を転がってくる火のついた梁を蹴飛ばした。


影獣の攻撃は物理というより波。黒煙が壁のように押し寄せ、触れたものを内部から炭に変えていく。

(うまく“空洞”を作れば──!)

ライルは自分でも説明できない直感に突き動かされ、剣を耳元で一閃。空気がキンと鳴り、真空のような隙間が黒煙の表面へわずかに走った。

「今だ! 水を!」

コリンが鍋蓋を放り投げ、後衛の若者が樽をぶちまける。蒸気が立ち、獣の表面が脈打つように収縮した。


が、そこまで。黒煙はすぐに再生し、何事もなかったように獣の形へ戻る。


「やっぱダメかぁ!」

「でもちょっと効いた! 俺の鍋蓋、案外すごい!」

コリンが妙に誇らしげに笑う。「いや、お前の鍋蓋じゃないから」とライルが即ツッコミを入れるが、その隙に影獣の尾が振り抜かれ二人まとめて吹き飛んだ。


気づけば土壁に背を打ちつけ、肺から空気が一気に抜ける。視界端で、聖樹に沿って燃え拡がる火線が村をぐるりと飲み込もうとしていた。

(――守れない。やっぱり俺じゃ、騎士には……)


そこへ、ベルクトの怒声が飛ぶ。

「情けない顔するな、ライル! まだ動ける足が付いとるだろう!」

鍛冶屋は巨大な鉄ハンマーを肩に、まるで鍛造場の延長戦のごとく炎へ突っ込む。

「おいじいちゃん危ないっ!」

「老いぼれを“じいちゃん”呼ばわりするな!――っと」

ベルクトはハンマーで地面を突き、跳びかかる煙をかき消す。その姿が思いのほか勇ましく、ライルは思考よりも先に体を起こしていた。


しかし、獣がベルクトへ容赦なく牙を振り下ろす。

「ぐっ……!」

老職人の鉄ハンマーが受け止めるも、黒煙は鉄を包み込み腐食させる。

(今度こそ、止めなきゃ!)

ライルは駆け、剣を逆手に握った。剣先が黒煙へ沈む瞬間、耳元で“残響”が炸裂。辺りの炎音や瓦礫のきしみが一点へ収束し、世界が沈黙した。


――カァンッ!!


剣が抜け、黒煙が一瞬だけ真空へ弾け飛ぶ。直後、内部の銀色の欠片が裸のまま空中へ零れた。

「今だベルクトさん!」

ベルクトが再びハンマーを振り下ろし、銀片ごと黒煙を地面へ叩きつける。重い衝撃とともに銀片が派手に火花を散らし、黒煙が“滲む”ように薄くなった。


「効いたぞ、ライル!」

「やったのか!?」


だが希望は一瞬。薄まった煙はすぐに渦を巻き、より濃い黒を形づくる。ベルクトの足元に黒い触手が伸び、足首を掬った。

「しまっ――!」

ライルが掴みかかるより早く、ベルクトは吸引されるように影獣の中心へ引きずり込まれた。


「ベルクトさああああん!!」


獣の腹の奥で金切り声のような音が響き、赤い火花が弾けた。影獣は満腹でもしたかのように体を揺らし、聖樹の炎の向こうへゆっくりと身を翻す。


ライルは抜け殻のように膝をついた。

(守れなかった……また……)

耳の奥で、焦げつく木の破裂音と、まだ逃げ遅れた村人の悲鳴が交錯する。


「立て。まだ終わらん」

血まみれのコリンが、肩で息をしながら立たせてくる。鍋蓋はどこかへ飛んだらしい。

「ベルクトさん死んだんだぞ! 俺は……」

「だったら、死にっぱなしにさせるか?」

笑っているのか泣いているのか分からない顔で、コリンが拳を握りしめる。

「ここで諦めたら、ベルクトさんが鍋蓋笑い話にされるだけだ!」

「鍋蓋なのかハンマーなのかどっちなんだよ……!」

「細けえことはいいんだよ!」


叫び合い、二人は再び影獣を追った。黒煙の尾を追って村の外縁へ出ると、影獣は霊峰グランス方面へ向かい、闇へ溶けていく。


ライルは追う足を止めた。村へ振り返ると、聖樹が崩れ落ち、濁流のような炎が最後の屋根を呑み込むところだった。


(ここまでか……)

剣を突き立てたまま、膝が崩れた。耳鳴りが止まらない。残響か、絶望の鼓動か。


「ライル……」

コリンの声は遠い。

(守れなかった……誰も、何も……)


視界を塞ぐ涙の向こうで、夜空は光も星も呑み込み、ただ黒かった。


――ブレイ村は、こうして燃え尽きた。

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