一見壊れない、壁を、殴る。への応援コメント
演繹法に対抗する論法として帰納法があり、そちらの方がまだ論法としては説得力がありそうですね。師匠の言うように、演繹法は大前提あってこその論法ですものね。
そもそも合理論と経験論でも、後者の方が説得力があると思うし。
作者からの返信
七月七日-フヅキナノカさん
コメントに、感謝の合掌を(o'∀'🙏)
演繹法は、所詮はどこぞやの馬の骨が「そうなのだ」と決めたものでしかありません。
究極的には演繹でいう大前提(なぜかそういうことになっている)も、元を辿れば帰納的に導かれた正確性の保証のない推論に過ぎません。しばしば『教科書』的な存在が、真の正誤はともかく現段階での『正解』を提示しますが、それは教科書という局所的枠組み内での仮のローカルルール、ベータ版でしかなく、1192つくろうは1185つくろうになるし、アウストラロピテクスはサヘラントロプスチャデンシスになります。
ルールは油粘土のように流動的です。より良い世界のために練り直すためにあります。そうでなければ秩序という大義名分をたてにするも事実上は単なる支配ツールに過ぎないという洗脳の入れ子に成り果てます。
つまりはルールは、創造的破壊すなわち改善を前提としなければ、謬見偏見大誤算思い込みでありつづけかねません。
全人類が協調して帰納ラッシュを重ね、地道に真理へと近づいていく、しかないのです。
それを阻むのはいつも、知恵と熟考と経験を投資すればおかしいと気づけるはずのルールの元で法外に暴利を得る、既得権益側です。
今に忌々しきがあれば辟易し、昨日を疑うは帰納であり、明日に亜種を生む。されば今は素晴らしくあり続けるでしょう。同時に今への感謝も忘れてはなりません、が。
一見壊れない、壁を、殴る。への応援コメント
初めはいいアイデアだと思ったものが、だんだん状況が変わり、ついには足枷になることもありますね。ルールを決める人は柔軟性が必要です。
そんな中で、その時その時に、何らかの結論を出さなければならない政治家や教育者は、ほんとうに大変な仕事だと思います。
作者からの返信
ヤマシタ アキヒロさん
コメントに、感謝の合掌を🙏
ですね。ルールは改善が前提のもの、硬すぎず、柔らかすぎない、であるべきなのでしょう。
場面ごとに一旦の結論を出すために、持てる全てを磨くのが、人類普遍の毎日の宿題なのかもしれません