おやすみデイドリーマー
伏目しい
1 みなさん、仲良くするように
「今日からこのクラスに転校生がきます」
どこからか聞こえてきたその声で、僕は目が覚めた。
まだ少しぼんやりする頭で教室を見回すと、クラスメイトたちはみんな真面目な顔で黒板に向かっている。
慌てて身体を起こしたところで、教卓の向こうに立つ担任の赤縁眼鏡とばちりと目が合った。思わず愛想笑いを返した僕を、レンズ越しの目がぎろりとにらむ。
「今は校長先生とお話し中です。このあと紹介しますので、みなさん、仲良くするように」
担任の言葉を受けてクラス全員がうなずく。どの顔もまっすぐに前を向いていて、表情に大きな変化はない。
「先生」
すっと上げられた手に、教室の視線が集まった。
「どうぞ、ソノダさん」
担任にうながされて、ソノダメグミがその場で起立する。がたんとイスを引く音が、静かな教室に懐かしく響いた。
「以前、係を変えるという話がありましたが、変更はありますか?」
メグミの質問に、教室が少しざわめいた。
「あたしは、このままでもいいけど」
オレンジの髪飾りをゆらして笑うハナビに、ナツキが呆れた顔を見せた。
「そりゃお前はな、お花畑係」
「なによ、別に楽してるわけじゃないもん」
べーっと舌を出すハナビに、ナツキはおどけた顔で両手を頭の横でひらひらさせる。
「静かに」
さわさわとゆれていた教室の波が、担任のひと声でぴたりと止まった。
「係の変更はありません。全員、今の係を務めなさい」
担任の指示に、クラス全員が無言でうなずく。文句を言う者は誰もいなかった。この教室では先生の決定は絶対だ。
「では、これから連れてきます。みなさん、ちゃんと待機しておくように」
そう言い残して、担任は教室を出て行った。
靴音が遠ざかるのを待って、となりの席のサクラが話しかけてくる。
「久しぶりよね、転校生。どんな子かなあ?」
「さあね、女の子ってことくらいしかわからないな」
ちらりと後ろの席を振り返りながら答えると、ななめ後ろに座っていたシュンタが白い歯を見せて笑った。
「嬉しそうだな、サクラ」
「だって楽しみだもの。どんな子がくるかワクワクするわ」
「あんまり期待しすぎるなよ。この田舎にこんな時期に来るんだから、だいたい察しはつくだろ」
シュンタの言葉に、僕は「それはそうだ」と胸の内でうなずいた。
五月も半ばを過ぎようとしているこんな時期にくる転校生など、たいていがワケありに決まっている。
廊下の向こうから靴音が響いて、教室は一気にさわがしくなった。
がらりとドアが開いて、担任が入ってくる。その後ろから長い髪の少女がうつむきがちに入ってきた。
「みなさん、静かに」
担任の声に、教室のざわめきがさやさやとおさまってゆく。教卓の前に少女を立たせて、担任はチョークを取り上げた。カツカツと黒板がゆれる音が響く間も、少女はうつむいたまま、誰とも視線を合わせなかった。
「それでは、転校生を紹介します」
チョークの粉がついた手を払いながら、担任が教室を見回す。
「今日からこの二年A組で一緒に学ぶことになりました、ミシマユカリさんです。それじゃ、ミシマさん、挨拶して」
うながされるまま半歩進み出ると、転校生は少し目線を上げて、さっと教室を見回した。これまで何度も見てきた目が、探るように僕たちの顔の上をすべってゆく。
やがて小さく息を吐くと、転校生はぎこちない笑みを浮かべた。
「東京から来ました、ミシマユカリです。よろしくお願いします」
身体の横に伸ばされた手はかすかにふるえていたが、声はしっかりしていた。
「はい、ありがとう。ミシマさんの席は窓際の一番後ろです。わからないことは近くの人に聞くように、いい? では、朝のホームルームを始めます」
そう言って担任はさっさと黒板を向いてしまった。
机に向かってかたい表情で歩き出す転校生を、四十八の眼がじっと見つめる。居心地が悪そうに席に着くと、転校生はシャツの胸元をおさえて深いため息をついた。
ふと視線を感じてまわりを見ると、少し離れた席からクラス委員長のユキナがじっと僕を見つめている。その視線に小さくうなずき返すと、軽くイスを引いて、首だけを後ろに向けた。口元に笑みを作り、できるだけ優しい声で話しかける。
「よろしくね、ミシマさん」
転校生――ミシマの肩がびくりとはねた。怯えたような目が僕を探る。怖がらせないように片手をふって微笑むと、ミシマはほっとした顔で小さくお辞儀をした。
◆◆◆
「ねえねえ、ミシマさん、東京に住んでたんだよね? スカイツリーとか行った? あと、ディズニーランドとか」
ホームルームが終わったとたん、サクラが嬉しそうにミシマに話しかける。にこにこした顔で机に飛びつく姿は、散歩をねだる小犬みたいだ。
「わたし、サクラっていうの。キシモトサクラ、よろしくね」
「あ、えっと、よろしく」
ぎこちなく笑みを浮かべるミシマに、サクラは嬉しそうに笑った。
「ねえ、ミシマさん、ユカリちゃんって呼んでいいかなあ?」
「え? あ、うん、いいけど……」
「やったあ! わたしのことはサクラって呼んでね」
ミシマの両手をとって上下に振りながら、「握手、握手」とサクラが歌う。見えないしっぽがゆれているようだ。
ミシマのとなりの席で、シュンタが笑った。
「ミシマさん、迷惑だったらはっきり言った方がいいよ、こいつ、すぐ調子に乗るからさ」
スポーツマンらしい爽やかな笑顔のシュンタを見て、ミシマの顔が少しこわばった。どう返事をしようか悩んでいるらしいミシマをぐいと引き寄せて、サクラがべえっと舌を出す。
「うるさいでーす、女子の友情に口出ししないでくださーい」
「口出しじゃないでーす、注意しただけでーす」
おどけたようにサクラの口真似をするシュンタを見て、ミシマの顔に笑みが浮かんだ。
「うるさいやつらでごめんね、ミシマさん、邪魔だったら遠慮なく言って、僕が叱ってやるからさ」
イスごと振り返って笑いかけると、ミシマは少し目を泳がせた後、小さく笑って首を振った。
「ううん、平気」
「そう? 迷惑じゃない?」
「うん。緊張してるから、話しかけてくれて嬉しい」
「それならよかった」
微笑んで、ぺこりとお辞儀をする。
「僕はアマノセイジ。ついでに、キミのとなりにいるのがタニザワシュンタ。うちのクラスの活動はたいてい席順で班分けするから、しばらくの間よろしくね」
「セイジはクラス委員長だからさ、わからないことがあったら遠慮なくきいてよ、ミシマさん」
シュンタが親指で僕を指さす。サクラがうふふと笑った。
「そうそう、すっごく頼りになる委員長だから。ね、セイジ」
「なんだよ二人して。くじ引きで押し付けられた委員長だろ、適当なこと言うなよ」
じとりとにらむ僕に、シュンタとサクラが明るく笑う。二人の声につられるように、ミシマもくすりと笑みをこぼした。
昼休み。
給食の片付けを終えてさわがしくなる教室に、サクラの明るい声が響く。
「ね、ヒナちゃん、行ってみたいよね、スカイツリー」
「そうねえ。でも、サクラは高いところ苦手じゃない?」
おっとりとした声でこたえるのは、サクラと仲の良いヒナだ。
「大丈夫よ、下を見なきゃいいんでしょ? ねえ、ユカリちゃん」
話をふられて、ミシマが慌てたように両手を振った。
「ごめん、わたしも社会科見学でちょっと行っただけだから、あまりくわしくないの」
「でも、電車の乗り換えとかわかるでしょ? 東京に遊びに行く時は案内してね」
にこりとするサクラに、ミシマは曖昧な笑みを浮かべる。
「邪魔をしてごめんなさい、少しいいかしら」
はしゃぐサクラの後ろに、一人の女子生徒が立った。
「ユキナちゃん」
クラス委員長のユキナが、僕たちを見下ろしている。その静かな視線に気圧されるように、ミシマは軽く息をのんだ。
「クラス委員のシラハマユキナよ。先生から校舎を案内するように言われているの。ミシマさん、悪いけど一緒に来てくれるかしら」
「あ、はい」
つぶやくように小声で返事をしたミシマが立ち上がる。
「ありがとう。あまり時間は取らせないようにするわ」
うなずいたユキナが踵を返すと、動きに合わせて紺色のスカートがひらりとゆれた。
「アマノくん、あなたも来るのよ」
「へ、僕も?」
「当然でしょう? あなたもクラス委員なんだから」
名を呼ばれて驚いている僕に、ユキナが呆れた顔を見せた。
慌てて立ち上がる僕の背後で、シュンタがミシマに耳打ちする。
「あれがA組名物、しっかり者のユキナ委員長と、うっかり者のセイジ委員長だ」
くふふと笑うサクラのとなりで、ヒナもにこりと微笑む。どうやら誰もフォローはしてくれないらしい。
「なんだよ、みんなして」
「ほら、早く行きましょう。昼休みが終わってしまうから」
呆れた声のユキナにうながされて、僕とミシマは慌てて教室を出た。
◆◆◆
校舎の案内はすぐに終わった。
なにせ田舎の小さな中学校だ。各学年は一クラスしかなく、生徒数も六十人程度。学校のまわりは畑ばかりで、授業中もよくカエルの鳴き声が聞こえてくる。
「退屈なところだろ、畑ばっかりでさ」
ユキナの後をついて歩きながら、僕はミシマに話しかけた。
「のどかって言ったら聞こえはいいけど、たんに田舎ってだけなんだ。市街地まで行かなきゃ電車はないし、バスの本数も少ない。ミシマさんが住んでた東京に比べたら不便で仕方ないとは思うけど、慣れるまでは我慢して」
ごめんね、と頭をかいて見せると、ミシマは強く首を振った。
「そんなことない、すごくいいところよ、自然がたくさんあって」
空を見上げて、ミシマは微笑んだ。
「わたし、ここに来てよかった。クラスのみんなも優しいし」
「そっか。そう言ってくれると嬉しいよ」
少しだけ遠い目をしていたミシマが、僕を見て嬉しそうに笑う。昇降口まで来ると、ユキナは足を止めて振り返った。
「それじゃ、案内はここまで。アマノくん、教室までミシマさんを送ってくれる?」
「わかった。ユキナは?」
「私は次の授業の準備を頼まれているから、職員室に寄ってから戻るわ」
「次の授業って社会だったか? 紙の資料集を使うって話だったよな。手伝おうか?」
僕の言葉に、ミシマもうなずいた。
「あの、わたしも手伝う、から」
おずおずと申し出るミシマを、ユキナは首を振って断る。
「いいえ、結構よ。これは私の仕事だから。クラス委員のアマノくんはともかく、あなたには頼めないわ」
ぴしゃりとはねつけるような声に、ミシマの肩がびくりとふるえた。
「それじゃ、先に戻ってるよ。片付けは手伝うから、いつでも声かけて」
「ええ、ありがとう」
そう言うと、ユキナはさっさと廊下を歩き出す。
「わたし、シラハマさんに余計なこと言ったかな」
遠ざかる背中を見ながら、ミシマがつぶやいた。
「余計なことって?」
「手伝う、とか。なんか、でしゃばったこと」
「ああ、違うよ」
不安そうに曇る顔をはらすように、少し大袈裟に手を振って見せる。
「ユキナは責任感が強いから、自分の仕事をまっとうしようとしてるだけだよ。ツンツンしてるみたいに見えるかもしれないけど、怒ってるわけじゃないから安心して」
「……そう」
ミシマの表情に暗い影が落ちる。何かを押さえつけるように、ミシマは自分の腕を強く握りしめた。
――これはまた、ずいぶんと根が深そうだ。
力なく進む足取りに歩調を合わせながら、僕は心の中でそっと息をはいた。
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