家出した伯爵令嬢の楽しい鍛冶工房生活〜前世はドワーフだったようです〜
小谷杏子
第1章 その欲求は魂の導き
第1話 幼い記憶を手繰り寄せて
もうどれくらい歩いただろう。
乗っていた馬に水分を与えようと湖に立ち寄ったら、森のざわめきに怯えた馬が、私から離れて消えてしまった。
弟のトーマンが手配した馬だけど、多分あの子、
王宮の裏門で別れを告げたトーマンの顔を思い出す。
『姉上、今がチャンスです! ああ愛しい姉上、あなたと離れるのはとてもとても寂しいけれど、亡き父上の言いつけに従い、あなたを自由にして差し上げます……!』
長々とそんなことを言って私を見送ってくれた腹違いの弟、トーマンは頬を涙で濡らしていた。
私に似ていない黒髪と鳶色の瞳、つりあがった目尻はお義母様に瓜二つだけれど、性格は正反対。泣き虫で甘えん坊でかわいい。
でももう十五歳。姉離れができないのは困ったものだわ。トーマン、姉上はあなたがとても心配よ……。
とはいえ、今の私は弟を心配できるほどの余裕はない。
王都の宮殿から馬で大きな町と森と林と湖を越えたけれど、先生のいる森はまだほど遠い。
少し前に見送った小さな宿場町で先生の居場所を訊ねると「もっと奥深くの森だ」と言われて気が遠くなった。
辺りはもう暗くて、ドレス姿じゃ心もとない。
おなかもすいた。パーティー会場では何も食べられなかったものね。
ヒールはとっくに脱いで、どこかへ捨てた。
あとはこの憎たらしいコルセットをどこかで取って捨てたい。けど、一人じゃ難しい。
人のいない森に入ってからにしましょう。
でも……。
森の入口に立った私は、ぼろぼろになったドレスの裾がヒュウっと恐ろしく翻ったのを感じた。
豊かなストロベリーピンクの髪の毛が追い風に煽られる。
さすがにこの夜の森に入るのは、こわい。
首筋が寒くなるほど暗い森では異様な音がしていた。
バサバサと不気味な音を立てて羽ばたく何か。ホーホーと遠くから鳴く何か。カサカサと蠢く何か──!
ふぅ……大丈夫よ、カトリーナ。私はやれば出来る子。暗い森だってへっちゃらでしょ。
それに決めたじゃない。家を出るなら、それ相応の覚悟をしないと。
お義母様の言うとおりにしておけば、確かに私は衣食住に困らず暮らせたかもしれない。でも愛もなく、自由もない生活になるのも目に見えていた。
だから私は無味乾燥な将来をあえて蹴り、裏切ってここまで来たのよ。
今さらこんな森に怯えて泣き寝入りなんてできるもんですか……。
その時、バサバサバサっと大きな羽音が立つ。木々の上を黒い鳥が飛び立っていった。
「っ!? ふぅ……お、おおおお落ち着いてね私ぃ……」
ダメだー! こわいものはこわいのよぅ! こんなひょろひょろな女の身一つじゃ、夜の森なんて歩けるわけがないのよぅ!
そうだわ、武器よ。武器を作りましょう。さて、何がいいかしらねぇ。
私は森の入口から後ずさり、地面に注目した。
木の枝と石と木の実、鳥の羽根。うん、これだけあれば即席の弓矢でもできるでしょう。
素材をかき集め、息を整えて両手をかざす。
イメージする。
小さいけれどよく飛ぶ矢、しなやかにしなる弓。もののレベルがいまいちだけど、魔力を込めれば何回か使えるはず。
温かい光が素材を包み、出来上がったのはイメージ通りの小型弓矢。女の私でも簡単に引けるサイズで、矢は二本。
二本かぁ……まぁ、ないよりいいわ。
よし。武器を手に入れたのだから、もう後戻りはできない!
私はグッと目に力を込め、小さな弓矢を持って森に入った。
中は案外、歩きやすい道だった。ここは確か隣町を結ぶ道路なのよ。
じゃあ、魔獣だっていないはずよね。野生動物はいるかもしれないけど。
しばらく警戒しながらまっすぐ歩いていく。
時折、動物らしき何かが動く音がし、そのたびに弓矢を構えた。
なんにも見えない。明かりがほしいよぅ。
月明かりも雲に隠れてしまえば、あたり一面が濃い闇となってしまう。そのたびに足がすくんでしまう。情けない。こんな森、昔ならすぐに走り抜けられたのに……。
って、またなんか変なことを考えてるわ。
私は頬を思い切り叩き、疲労で弱った頭で考えた。
小枝を拾う。なんの変哲もない木の棒を撫でるように魔力を込める。先端に魔法の光が灯り、即席のライトができた。
私の魔力じゃ随分弱い光だけど、やっぱりないよりはいい。
だんだんぬかるんだ道になっていき、時折鳥の鳴き声に驚かされながらも進んだ。
そうして今度は道路脇に伸びる細長い道を見つけ、そちらへ足を向けた。
もうすぐ先生の住む家が見えてくる、はず……!
逸る気持ちとは裏腹に足はどんどん重たくなっていく。出番のなかった弓矢を握ったまま、ひとまず植物をかきわけながら進んだ。
「ここだぁ〜!」
その家は、思ったよりも立派なもので、しっかりとしたレンガ造りの平屋の横に円柱形の塔、小さな畑の横には人工的に作られたような小川があり、水車が回っていた。
ようやくたどり着いた質素な家がオアシスに見え、さっそくドアに向かい、木製の扉をノックする。
「先生! エカード先生! 私です! カトリーナ・ライデンシャフトです!」
何度か声をかけてみたけど、ドアの小窓を覗いても中に人がいる様子はない。
ノブを回してみるも、厳重に魔法がかかっていて開かない。
「う、うそでしょ……ここまできて、お留守なんて……」
もう限界だった。私はその場に崩れ、ドアにもたれかかる。
あ、ダメだ……意識が遠のく……。
***
美しく磨かれた床と壁と窓。調度品も洗練されていて、花瓶には季節の花が生けてある。ベッドも大きくてふかふか。白を基調とした部屋には塵ひとつない。高い天井には繊細な花の絵が描かれている。分厚い魔導書から絵本まで様々ある本棚。淡い色のかわいいドレスが詰まった洋服箪笥。それらを置いても余るほど部屋は広い。
きちんと整頓された私の部屋は完璧なまでに美しい。
けれど、どんなに美しく解放的な広い部屋であっても、鳥かごのように思えてしまう。
そんな窮屈な空間で、先生──エカード・エアフォルク先生は透き通るような紫色の優しい瞳で私を見つめながら言った。
『その強い信念を、どうか永遠に忘れずにいてくれよ、カトリーナ』
端正な顔立ちで儚げなたたずまいをした人だけど、その目には芯の強い光が宿っていた。
クールで大人しく、まだ子どもだった私にもそう笑いかけることはなく、淡々と仕事をこなすかっこいい人。
初めて会ったときは、私が四歳で先生が十二歳頃。共に成長したけれど先生のほうがはるかに先に大人になり、常に大きな存在だった。
それが、なぜだかその日の先生は不気味なほど優しく、泣きそうな顔で笑っていた。
わけはあとでわかった。あの言葉を境に、彼は私の前から姿を消してしまったのだから。
先生がいなくなってからの私は自分らしくあることがどれほどつらく、険しいものであるのか思い知った。
エカード先生、私はもうすべてを捨てる覚悟でここまできたんです──
「……だから、どうか、私を……私と一緒に、夢を」
「寝言?」
うっすらと戻りつつある意識の向こうで、低い男性の声がする。
閉じたまぶたの向こうであたたかな明かりを感じ、ゆっくりと開くと紫色の瞳が私を覗き込んでいた。
「せ、んせい……?」
「あぁ、目が覚めましたか。お嬢様」
んんっ!? 誰、この人!
ううん、やっぱりエカード先生だわ。紫色の瞳は相変わらずなんだけど、仏頂面に無精髭が。さらに伸びっぱなしの銀髪は艶がなく、無造作に後ろでくくりつけてるし、以前よりもみすぼらしい……あの麗しの青年はどこへ!?
それになんなの、その口調。昔の先生は私を「お嬢様」なんて呼ばなかった!
あまりの驚きで私の目は一気に覚め、体は羽のように軽く起き上がった。
どうやら家の中の寝台に寝かされていたようで、近くに暖炉の火がある。
エカード先生らしきその人は私の様子を見てくれていたのか、椅子をベッド脇に置いて座っていた。
「あ、のぅ……エカード先生、ですよね? エカード・エアフォルク、さん。元王立学術研究所きっての天才錬金術師の……」
おずおずと訊くと、彼はため息混じりに立ち上がり、頭を掻いた。
「そんな人間は知りませんよ」
「えぇーっ!? でも町の人に聞いたらここだって! あ、覚えてませんか? 私、ライデンシャフト伯爵の娘で、カトリーナです! あの頃はまだ七歳でしたけど」
「もう平気そうですね、お嬢様。さぁ、お帰りください」
「いや、ですから……というか、その話し方やめてくださいよ。昔みたいに……」
「だから知らないと言ってるんです」
先生はにべもなく言い捨てると、私の腕を掴んだ。
すっごく不機嫌そう!
「そんな、わざわざ助けてくださったのは感謝しますけど、回復したら帰れだなんて……せめて話だけでも聞いてください!」
抵抗をこころみようと踏ん張っても無理で、先生の強い力にかなわない私は呆気なく家から追い出された。
「もうすぐ商人の馬車がきますから。それに乗ってお帰りください」
「馬車の手配までしてくれてる!? ハッ、もしや、お義母様の差金ですか!? ねぇ、そうなんですか!?」
すると彼はうるさそうに顔を歪めて態度を変えた。
「えぇい、うるさい! 君のお義母様なんて知らない! とにかく帰れったら帰れ!」
ピシャリと言われ、私は驚いて口をつぐんだ。
エカード先生は気まずそうに目をそらす。掴んでいた私の腕をはなし、ドアを開けて外へ促した。
「お願いです。帰ってください。ここはあなたみたいな人が来るところじゃない」
前髪に隠れて見えない先生の目。今までどんな思いで、ここで過ごしていたのか私には知る由もない。
すると、森の向こうから明かりが近づいてきた。小柄な青年がランタンを持ってやってくる。
「おや、旦那。お出迎えとは珍しいなぁ」
飛び跳ねたブロンドの髪の毛の上にハンチングをかぶったその人は、赤褐色の丸い瞳を私と先生に向けて調子良く笑う。
「グレル、このご令嬢をお屋敷まで送ってってくれ。場所は、えぇと、ライデンシャフト領のディアマント村……」
「はぁ? おいおいおい、旦那! 俺は商人なんだぜ! そういうのはちゃんとした御者雇ってくんねぇと」
グレルと呼ばれた青年は、エカード先生の冷たい瞳に睨まれ、短く悲鳴を上げて後ずさった。
「僕は今から仕事だから。いいな、グレル。任せたぞ」
「どうせ飲みに行くくせに……あ、ハイ、わかりましたよぉ。そんな顔で睨まないでくださいぃ」
すっかり萎縮したグレルは私をジロっと見やり、不審そうに手招きした。
「それじゃ、どーぞ、お嬢様。ちと狭いですがね」
「いや、でも私は……」
でも、先生も外へ出る用事があるらしく、マントを羽織ると外に出た。
こうなったら私も出るしかなく、ため息をついて再び冷たい外へ足を踏み出す。
エカード先生はドアに魔法をかけると、さっさと町の方へ向かった。
「お嬢様、早くしてくださいな。こっちも仕事なんでさ」
グレルが馬車の方へ向かい、私はどうにもならず彼についていくことにした。
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