第6話 ひこうき雲

 映画館を出た二人は、人込みをすり抜け、繁華街からやや外れ、大きな河川敷を見渡せるカフェレストランに入った。康博は必死にインターネットで検索し、余り背伸びしすぎないお店を選んだ。白を基調とした、テーブルも椅子もシンプルでお洒落な店内は若い同年代の人が多かった。康博は流れている音楽がなにがしかのK-popっぽいのに満足した。香織はとてもお洒落なお店ですね、と言いながら席に着き、スマホを取り出して店内を撮影している。康博はメニューを見て、全く見たことも聞いたこともないそれらの中から「パスタ」とか「ライス」とか知っている言葉を見つけ、適当に注文した。幸いなことに香織には食べやすそうなカレーが出てきたが、康博には不思議な味付けのパエリアが出てきて、目を白黒しながら平らげた。無邪気な香織はとてもおいしかった、とご満悦の表情で、それを見た康博は、まぁ、いいか、とうなずくのだった。


 レストランを出た二人は、少し散歩しよう、と窓から見えていたS川の砂の歩道に沿って歩くことにした。日差しはなかなかにきついが、幸い随所に街路樹があるので日陰には困らない。

「康博さんは大学でどんな勉強をしているのですか」

 香織が真面目な顔で質問してきた。康博は日本文学を中心に勉強している、と答えた。

「私は坊ちゃんが好きです。去年国語の授業で習いました。赤シャツでしたっけ、悪い教師をやっつけちゃうところとか」

「ああ、坊ちゃんは痛快ですね。僕も楽しく読みましたね」

「お父さんが昔、夏目漱石はいい作家だから読みなさい、と言っていました」

 康博は眉をひそめた。そういえば、香織の父親はどこにいて何をしているんだ? 今日まで一切話題になったことはなかった。迷ったが、聞いてみることにした。

「そういえば、お父さんはどうされたのですか」

 一瞬、香織の動きが止まった。そして、きっぱりと言った。

「離婚してもういません。九州のほうにいるみたいです」

 康博はそれ以上は何も言わなかった。人には触れてはいけない、触れなくてよいことがあることを彼は身を持って知っていた。今日まで何度孤児の自分のことを人に説明してきただろうか。それによってすり減るものがあり、それを回復させる方法を未だ彼は知らない。香織も口を開かない。でも、二人はちっとも気まずくなかった。むしろ心が通い合っているのを感じた。お互い、傷を、痛みを抱えているのだ。

「少し座りませんか」

 木陰にベンチを見つけた彼はこう声をかけた。康博の誘いに、香織はこくんとうなずいて並んで腰を下ろした。

 彼らの見つめる川の水がおおきく優しく流れてゆく。全てを包んで、全てを癒すように。

「あっ、見て、康博さん。ひこうき雲!」

 見上げた大空には真っ白で細長い雲が果てしなく向こうまで続いていた。終わりの部分は見えなかった。どこまでもどこまでも続いているように見えた。

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