未来を超えて、今を生きろ。

mynameis愛

【第1話】「熱っ!から始まる人生再起動」

 小雨の降る朝。どこかぼんやりとした湿気が町を包んでいた。薄暗い川沿いの遊歩道を、真太は手ぶらで歩いていた。スニーカーの底が泥に沈み込むたび、彼はそれすらどうでもいいという顔をしていた。

「……今日も、何も変わらねえな」

 シャツの襟元に触れ、しけった風を一つ吸い込む。かつては渋谷のタワマンに住んでいた男が、今では寂れた地方都市の河川敷で、朝の散歩のようなものに時間を使っている。財布には数千円、スマホは電池切れ寸前、家はボロアパート。仲間も、未来も、もういない。

 その時だった。濁った川面に浮かんだ“光”が、視界の隅で微かに揺れた。反射ではない。明確に、それは“発していた”。真太は歩みを止め、護岸の石を踏み越えて川縁にしゃがみ込んだ。

「……なんだこれ」

 泥に半ば埋もれた、青白い光を放つ宝石。まるで人工物のような規則的な多面体。手に取った瞬間、それは体温を吸うようにして熱を帯びた。

「うおっ……熱っ!」

 掌が火傷しそうなほどの熱を発し、宝石は次の瞬間、皮膚を突き抜けて真太の手の中に――吸い込まれた。

「……え?」

 掌には何の痕跡もない。痛みもない。ただ、確かに“入り込んだ”感覚だけが残っていた。混乱の中、真太はゆっくり立ち上がり、振り返った川と空と町を見渡した。

 変わらないはずの風景が、どこかぼやけていた。

 ***

 昼前、商店街のはずれにある古びたカフェ「カフェ・オリザ」に真太は入った。ここのバイトは、日銭を稼ぐ最後の砦だった。常連の高齢客が多く、静かな空気が漂っている。

「ホットコーヒー、お願いします」

 カウンターの奥で店主が無言で頷く。やがて手渡されたマグを受け取った瞬間――

「熱っっ!!」

 コーヒーの湯気に驚いたわけではない。あの朝の宝石の“感覚”が再び蘇ったのだ。まるで体内で何かが動いた。鼓動ではない。思考でもない。異物が、脈を打っている。

 マグカップを置くと、近くの席で新聞をめくっていた女性が目を上げた。

「……アンタ、また“何か”を始めようとしてる目だね」

 長い髪を後ろで束ねた、年齢不詳の女性。どこか浮世離れした雰囲気を持ちながら、その眼差しは真太を真っ直ぐに射抜いていた。

「……え?」

「変わろうとしてる人間は、わかるの。私もそうだったから」

 彼女――杏樹は、そう言って微笑んだ。

 ***

 その夜、アパートの布団の中で真太は夢とも現実ともつかぬ“対話”を経験する。闇の中に浮かぶ、薄明かりのホログラム。その中心に浮かぶ、冷たい声を持つ人工知能の映像。

《命の期限を通知します。あなたの余命は――365日です》

「……なんだそれ。冗談か?」

《これは医療予測に基づく未来診断。あなたの精神・肉体状態、社会的繋がり、未来適応指数を統合した結果です》

「てめぇ、誰だ……!」

《AIユニット“Dr.フォース”。あなたの“変化の可能性”を監視する役割を担います》

 声は平坦だが、突き放すような冷酷さがあった。真太は咄嗟に怒鳴り返したが、内心、その言葉の重みに打ちのめされていた。

(あと、1年……?)

 その時、空間が歪み、音もなく降る雨の音が聞こえた。新聞の紙面が一枚ずつめくられていく――そこに映るのは、モザイクがかかったような“秘密の集まり”の記録。フードを被った人物たち、燃え盛る焚き火、そして「再建される伝説の王国」という見出し。

 最後のページに、こう記されていた。

《世界は、まだ終わっていない》

 ***

 翌朝、真太は目を覚ました。目の奥が熱い。心臓は静かに、しかし確かに鼓動していた。掌を見つめる。何の印もない。けれど、自分の中に“何か”があるのは間違いない。

 ゆっくりと身を起こし、冷たい水で顔を洗う。

 鏡の中の男は、昨日と同じ顔をしていた。だが、その目は――もう、何かを諦めてはいなかった。

 再びカフェに向かうと、杏樹が待っていた。

「アンタさ、やっぱり変わろうとしてる。……だったら、うちのカフェのこと、ちょっと手伝ってくれない?」

 彼女が差し出したのは、一枚の企画書。

 タイトルは――「地方町おこしカフェ再始動計画」。

 真太は、それを手に取った。かつては事業計画書の山に囲まれていた男の手が、久しぶりに“未来”を感じて震えていた。

(変われるかもしれない。いや、変わらなきゃ……死ぬだけだ)

「いいだろう。どうせ、暇だしな」

 そう言って、真太は笑った。

 カップの中のコーヒーから立ち上る湯気が、今度はほんのりと暖かく感じられた。

 ――人生再起動の、最初の一日が始まった。

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