目が覚めたらそこは

 目が覚める。身体のいたるところが痛い。一番痛いのは肩、次に頭。どうやら生きている。


「……ここ、は」


 見知らぬ天井というのはあまりに使い潰された表現だが、まさにそれだ。まともな天井を見るのも久々だ、おそらくは四年ぶりかそれぐらい。板張りっぽく見える天井はおそらく化粧板。そこにお金を掛けられるというのは、金持ちの証拠だ。


「お目覚めになりましたか。いま、お医者様をお呼びしますので」


 女性の声。それにしても医者にかかれるというのは珍しい。ホームレスにとってはVIP対応だろう。本当に何があった。


 そこで、気を失う前のことを思い出す。あれで助かったなら公爵家の関連施設か、ここは。


「……生きてる」


 視界はまだ安定しない。身体の痛みはかなり強い。それでも生きているとはなんと素晴らしいことか。上手く動けないので今は天井しか見えない。少なくとも、平民がいるような施設ではない。おそらくは戦闘の後ここに担ぎ込まれたのだろう。それはわかる。だが、どうしてここまで待遇が良いのかがわからない。


「目が覚めたかい。魔導鎮痛療法を実施するから、そしたらまともにしゃべれるようになるからね」


 おじいさんみたいな声が聞こえる。視線をずらそうとしたら、左瞼の裏が刺すように痛い。おそらくは眼球そのものに傷がついている。それでも、痛みを感じて、左目が動くということは、目は無事だったのか。なんだかピントは合わないものの、ある程度の視野は確保できている。


 だが、あの走馬灯の後、前世の記憶がはっきりしてしまい、言葉と思考と身体が一致していないような奇妙な感覚がある。これは本当に僕の身体か? そもそも自分が今アオとして思考しているのか、吾妻義郎として思考しているのか。確証がない。これまではアオとして考えていられた感覚があったのに、今は日本人だった頃の思考が多くを占めているように感じる。


 そんなことを悩む間にどんどん身体が軽くなる。すごいな魔導師のお医者様。初めてまともに魔導術を使ってもらえたはず。

 

「ここは、えっと……」

「バリナード城でございます」


 まさかの本丸だった。となると、このお医者様は公爵家お抱えの御用医師。腕がいいはずだ。助けたのは公爵家の人間だったので、そのついでということだろうか。これからどれだけのお金を払うことになるのかがわからない。一生掛けても返済できないんじゃないだろうか。そう考えるとおそろしくてぶっ倒れそうだ。もう横になってるけど。

 

「貴方様のお名前をお教えいただけますでしょうか。商会の協力者リストとの突合とつごうができず、貴方様のお名前すら把握できていないのです」


 女性の声。おそらく最初に声を掛けてくれた人と同じ声だ。

 

「アオ、といいます」

「アオ様。この度は公爵閣下と公女リコッタ様をお救いいただいたこと、バリナード公爵領の市民を代表し、御礼申しあげます。公爵閣下よりアオ様を賓客として扱うよう申しつけられております。何かございましたら、わたくし、ヴィクトリアまでお申し付けください」

「馬車のみなさんは、無事、でしたか」

「はい。ご乗車されていた公爵閣下もリコッタ様も無事でございます」

「そう……ですか。間に合ってよかった、です」


 どうやら間に合っていたらしいし、アレでよかったらしい。槍をぶん投げたことぐらいしかまともに覚えていないので、あの後どうなったのかはわからなかった。まあ、あの泣きそうな顔をしていた女の子が無事なら、それで、いいのだ。


「ヴィクトリア! あの方が目を覚まされたと……!」


 高音が耳に残るソプラノが飛び込んでくる。目線を下げると左目がこすれてとんでもなく痛い。さっきもこれで痛い目を見たなと思いつつ、なんとか顔を持ち上げて視界に収める。


 そうして見えたのは、なんというか……そう、ものすごくキラキラした子だった。


 あの時見たのと同じピンクブロンドの髪に白い肌。頬に当てられたガーゼが痛々しいが、あまり女性と縁の無かった僕から見ても、美しく整った見た目をしていると思う。そんな子の淡い紫色の瞳が見開かれて、僕を見る。なんだかどんぐりみたいな形だと場違いなことを思った。


「リコッタ様」


 おそらくメイドであろうヴィクトリアさんが声をかける。やはりあの子が公爵家のご令嬢だったのか。さっきも思ったが、綺麗な子だ。室内着なのだろうが、それでも十分華やかなワンピースタイプの洋服は、よく似合っている。


「リコッタ様、アオ様です。お目覚めになりましたよ」


 なんだか様付けをされるとかなりむずがゆいのだが、それよりもリコッタ公女の様子がおかしい。こちらを見て怯えたように目を見開いたまま、半歩下がっている。彼女の手は胸の前で縮こまっている。

 その仕草は、よく路地裏で見た。盗賊団の親玉に殴られる前の子どものような、そんな自分ではどうしようもないことに怯える時の顔だ。


「リコッタ様、ご無事で……」


 身体を起こそうと、右手をベッドについたつもりで、すっころんだ。痛みが走る。


「あがっ!?」

「アオ様!!」


 ベッドから落ちる前にお医者様とヴィクトリアさんに押さえつけられる。おかしい、確かに右手をベッドについたはず。なぜ体重が掛けられない。なぜ、僕は動けない。


 首をそろりと下に向ける。正確には横になった姿勢のままだから首を持ち上げた形だ。両手を持ち上げたはずなのにそこには何もない。


 両方の肩から先の腕が、消え失せていた。


「……ごめんなさい。ごめんなさい――――!」


 リコッタ公女の絞り出すような涙声が響く。あぁ、なるほど。これを恐れたのか。腕を失わせてしまったと突きつけられるのが怖かったのか。


「公女様のせいではありません」


 そう答えるので精一杯だった。


 それから、僕が意識を失った後のことを聞いた。


 公爵閣下やリコッタ公女を襲っていた犯人グループは、僕の投げた槍で弾き飛ばされ行方不明。残りの犯人グループは死者二名が残され、おそらく若干名は逃げ延びた。動ける馬を二匹探し出し、公爵閣下とリコッタ公女、無事だった騎士団長と僕の四人で現場を離脱、馬を全力で走らせ、馬がへばるたびに最寄りの村で馬を買い取り、乗り換えながら最速で城まで戻ったという。馬を乗り換えるたびに医師を探したらしいが、僕の傷を治療できる医療魔導師や医師はおらず、結局城まで連れ帰ることになった。


「公爵閣下と公女様に抱えられてバリナード城に駆け込まれたときにはもう……壊死しかけの腕を切り落とすしか手は無かったのです」


 淡々と、だが、寂しそうなお医者様にそう言われる。リコッタ公女が鼻をすする音が静まりかえったこの部屋に響く。


「そう、ですか。生きているだけ、儲けものですね」


 笑って答える。笑えただろうか。それでも、笑わねば。


「アオ様、なにかございましたらお申し付けくださいね」

「いえ、止血をいただけて、こんなベッドで休ませてもらった。これ以上望んだところで、僕にはお返しできるものはありませんから」


 そう言うととても悲しそうな顔をするヴィクトリアさん。きっとなにか応答を間違えた。


「アオ様は……その……」

「親には捨てられた身です。路上生活者がここの治療費どころか、宿代も払えるわけがありません。浮浪者をかくまってると噂がたつ前にここを出て行きますので、ご安心くださ――――」

「なりませんっ!」


 こちらが言い切る前にリコッタ公女が叫ぶように割り込んでくる。


「アオ様はわたくしの、そしてとと様……ではなくて、父上の恩人なのです。どうかそんな悲しいことをおっしゃらないでください」


 リコッタ公女はとても整った話し方をする。こんなに敬意をもって話してもらったのは初めてかもしれない。とと様というのは、おそらく方言かなにかだ。確か父親のことをそんな言い方をすると聞いたことがある。


「僕はただの浮浪者で、今回は歩荷としてたまたま同行したに過ぎません」

「ですが……」


 リコッタ公女も引き下がる気はないらしい。それでも、僕はそういうしかない。


 僕にはこれ以上、彼女たちに返せるものはないのだから。両腕がないのであれば、戦うこともできない。スキルだってない。そんな僕がこれ以上を望むのは、分不相応というものだろう。


「公女様。自分で言うのもなんですが、僕は本当に浮浪者なのです。なんの後ろ盾も、身分もない。平民以下の存在です。それを抱え込むことは、リスクです。僕を抱え込むことで得るものはほぼないと思います」

「アオ様は……ここを出て行って、どうするのですか」

「さあ……どうしましょうね。できることを今から探します。繋いでもらった命です。まあ、なんとかなるでしょう」


 最悪物乞いになって野垂れ死ぬかもしれないが、リコッタ公女に見つからないところでやらないといけない。そうなると移動が厳しいか。そんなことを考える。


「……それでも、あなたのうでも、左目も、わたくしが……アオ様からうばってしまったようなものなのに」

「ですから、それはあの襲ってきた人達のせいであって、公女様のせいではありません。それに左目が見えているのは幸運でした」

「え? 見えている……の、ですか?」

「え?」


 なにか会話がすれ違った。なんだろう。


「今も見えてますけど……目を動かすと痛いですが……」


 そう言うとぎょっとした表情を浮かべるお医者様。


「今、アオ様の左目は包帯で塞いでいるのですが」

「え、じゃあ、見えているこれは……」


 ヴィクトリアさんに左目を手のひらで塞ぐようにしてもらうと、ちゃんと手のひらが見えている。それはすなわち、左目が包帯越しに機能しているということだ。血の気が引くというのは、こういうことを言うのだろう。


「し、失礼します」


 お医者様が包帯を外す。外す包帯が見える。じゃあ、これまで見えてなかった包帯はなんだ。包帯越しに透視していたことになるが、そんなことあるのか。


「これって……」

「封魔結晶……!」


 ヴィクトリアさんとリコッタ公女が同時に驚いた表情を浮かべる。なにか、まずいことがおこったことだけがわかる。


「えっと……僕の左目、どうなってるんでしょう?」


 ヴィクトリアさんが手鏡を持ってきてくれた。鏡なんてあるのか、と思いつつ覗き込む。見た目は普通の瞳に見えるが、左目だけ色が淡い水色に変わっている。それよりも気になったのは、髪の色が一部変わっていることだろうか。前まではほとんど黒に近い濃紺だったはずだったのだが、前髪が一部脱色されて、スカイブルーといった感じの色に変わっていた。


「これ、なにが、どうなってるの?」


 答えが出ないことをわかって問いかける。重たい沈黙が落ちる。そうしていると、部屋に誰かが入ってきた。


「失礼する」

「公爵閣下!?」


 綺麗に切りそろえた金髪の大男が入ってくると、ヴィクトリアさんとお医者様が胸に手を当てる敬礼をした。僕も敬礼をしようとしたが、腕がどちらもないので頭を垂れることにした。


「リコ、飛び出すのはいいが、あまりお転婆ではいけない」

「申し訳ありません。父上」

「リコが真っ直ぐ感情を表してくれるのも珍しいから止めなかったが、次からは気をつけなさい」


 さっと頭を下げるリコッタ公女。公女様は多分身長的にも僕より下に見えるから、おそらく四歳ぐらいだと思うのだが、礼節を叩き込まれているようだ。僕も前世の知識がなければどうなっていたか、わからない。いや、日本とここのプロトコルが同じである保証はどこにもないんだけど。

 

 それにしてもこの男性、公爵閣下はいるだけで威圧感がある。白いダブルのジャケットは軍服だ。護衛の兵士の指揮官クラスが似たデザインの服を着ていたから間違い無いだろう。瞳の色はリコッタ公女とおんなじだ。親子なのに似ているのは瞳ぐらいだろうか。リコッタ公女は母親似なのかもしれない。そんなことをどこかのんきに考えていたら、リコッタ公女の瞳がすっと細くなる。


「アオ様がお目覚めになったと聞いて、いてもたってもいられず……」

「ふむ、アオ君というのか。先ほどは大変世話になった。貴殿がいなければ私もリコも無事では済まなかっただろう。……改めて名乗ろう。私はバリナード公爵家当主、トマス・バリナードである」

「アオと申します。名字はございません。ただ、アオとお呼びください」


 本来ならば、握手などをしたいところだが、腕がないのでできない。笑いかけて敵ではないと示して頭を下げ直す。

 

「閣下、お身体はもう大丈夫なのですか」

「はは、まだ子どもなのに礼儀正しいな。バリナード公爵領は学問と技術の地だ。我が国の技術と良い医者があれば、こんな傷、すぐになんとでもなる」


 そう言いつつも肩を持ち上げている公爵閣下。いろいろ刺されたり大変だったと思うのだが、つくづく恐ろしい。それでも左肩の上がり幅が低い。多分鎖骨かどこかを折っているのだろう。

 

「あの、父上」


 リコッタ公女が公爵閣下になにかを呟いている。僕の位置からは聞こえない声量だ。


「ふむ……」


 公爵閣下が顎に手を置いて考え込むような仕草を見せた。何を言われたのか正直怖いし、この先を聞くのが怖い。


「アオ君、君はいくつだね」

「正確にはわかりません。おそらく六歳だと思います」

「そうか、ならリコと同い年だな」


 そう言いながら、公爵閣下は僕が寝かされているベッドの側に寄ってくる。


「そうだというのに、あの攻撃はすごかった。君はもともと魔導師の素質があったのかい? ……いや、聞くまでもないな。元々才能が開花していたのであれば、とっくにリクルーターが接触しているはずだ」


 公爵閣下にイスを差し出すヴィクトリアさん。イスにかけた公爵閣下と、ベッドで上体を起こしている僕では、それでも公爵閣下の方が背が高い。


「君が我々のために使ってくれた魔法……魔導術ではなく、あえて魔法と呼ぼう。あれは、何だ?」

「……わかりません。ただ、必死だったので」

「そうか。私にも何であったかわからんが、あの場で狼藉を働いた五人をまとめて吹き飛ばした腕は確かだ。そして、君の左目。……おそらくだが、運んでいた封魔結晶が癒着していると考えられる」


 そう言われるがピンとこない。


「あの、封魔結晶とは一体……」

「高純度の魔力結晶だ。我が公爵領で産出される水晶の一種を用い、魔力を蓄積、任意のタイミングで解放が可能なものだ」


 そう言って公爵閣下は胸元からペンダントのようなものを取り出し、そこにある青い結晶を見せた。


「このような石に見覚えはあるかな?」

「おそらく……荷馬車の爆発で飛んできたものが、左目に刺さったと思います。爆発の直後、左目が真っ青に一瞬光ったのが見えたので……」


 ため息をついた公爵閣下。


「今回の荷の中には、確かに高純度の封魔結晶が含まれている。それがあの襲撃の際、君に直撃したと考えるのが無難か……運が良いと言うべきか、悪いというべきか」


 概ね運が悪いと言い切っていいのではないかと思うが、さすがにこの空気で口に出す勇気は無い。


「つまり、その宝石のようなものが、僕の身体の中にあると考えてよいのでしょうか」

「あの出血量で君が生き残っていることや、攻撃の威力からして間違いないだろう」

「その封魔結晶が僕の出血を抑え、失血死を防いだ……ということですか」

「確証はないが、おそらくそうだ。封魔結晶が体内に取り込まれた事例はあまりない。しかも、そのほとんどが封魔結晶の魔力に耐えきれず、身体が内側から自壊するのが通例だ。封魔結晶が君を迎え入れたということは、奇跡に近しいものがある」


 公爵閣下の言葉を信じるなら、僕は死んでいるはずの人間だということらしい。


「……そうなると、僕は希少な検体ということでしょうか」

「君はそれを望むかい?」

「そもそも僕に選択肢はないのでしょう」


 そう答えると、リコッタ公女の視線が下がった。そんな悲しい顔をするべきではないと思うが、僕が声をかけて良い方ではないはずだ。


「選択肢がない。……面白い言い回しだ。なぜそう思う」

「閣下も公女様も貴族であられます。そして、閣下はこの土地を治める方です。一方で平民、それもこの身一つしか持たない浮浪者である僕です。比べるまでもなく、閣下の判断が尊重されるべきです」


 そう口にする。ここで変に公爵閣下に楯突くのも賢い選択肢とは言えまい。


「……君は、本当に老成しているな」

「子どもでいることなんて、許されませんから」


 これはさすがに棘が立ちすぎるか。返ってくる言葉はなかった。


「……そうか。ならば」

「お待ちください、父上」


 リコッタ公女が待ったを掛けた。なにか決意をしたような強い視線が僕に向けられている。




「決めました。わたくし、アオ様のところに嫁ぎます!」




 いや、なんでそうなる。

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