第4話 淑女の部屋に眠る証
馬車はやがて、静かなる
もし晴天のもとであったならば、なだらかな
我々の住む『エルドミア』の町を発ってから、およそ三時間が経過した頃であった。馬車が泥の跳ねる田舎道を抜け、緩やかな丘陵を越えると、やがて目指す屋敷の輪郭がぼんやりと現れてきた。
アッシュボーンの外れに建つその邸宅は、いかにも地方地主の威厳と伝統を誇るかのような佇まいをしていた。二本の太い石柱からなる門は、長年の風雨に晒されてなお堂々とそそり立ち、その奥には三階建ての石造りの本館が、重苦しい沈黙をもって我々を迎え入れていた。
屋根には苔が点々と生え、窓の縁には黒ずみが目立っていたが、手入れの行き届いた芝生と、控えめに刈り込まれた植栽が、住人の几帳面な性格を物語っているように思えた。
敷地の一角には、年季の入った厩舎と、召使いのための長屋が控えめに建っていた。どちらも派手な装飾はないが、石積みの精度と鉄製の留め具の堅牢さには、無駄を好まぬ実用主義の片鱗が垣間見える。
背の高い扉をくぐると、家の中には肖像画、東洋の骨董品、本棚、暖炉などが並び、格式のある生活感があった。
邸内には、メイドに執事、料理人に馬丁と、基本的な職種の使用人が一通り揃っていたが、その数は屋敷の規模にしては驚くほど少ないように思われた。
レジナルド自身の案内で、我々は艶やかな絨毯の敷かれた高級感のある階段を上がり、二階にあるクラリッサの部屋にて捜査を開始した。
誰よりも先に部屋に入ったハーデットは、中央で立ち止まると左腕を腹部に添えるように巻きつけ、その上に右肘を据えると、顎に指を当て、じっと周りを観察し始めた。私は彼の邪魔をしないよう、扉からその様子を見たが、レジナルドも私の隣に陣取った。
私はサッチェルバッグに入った革製のスケッチブックに手を伸ばしかけたが思いとどまった。新聞の挿絵に使用するかもしれないので部屋の様子を描いておきたいが、一方で、横で私が絵を描く様子を見るであろうレジナルドへの説明が億劫であったのだ。
私は生まれも育ちも平凡な男であるが、一点だけ誇れるものがあった。それは目にした情景をそのまま絵にできることである。これは死体浮遊事件の目撃時に大いに役立ち、ハーデットには人間射影機であると評価された。
厳密に計算したことはないのだが、数分ほどであれば経過してもまだ再現可能であるから、やはり必要だと判断した際にはあとで描き起こすことにした。もしくは、死体浮遊事件の掲載時にも一部でやったように、改めて描きたい場所に戻っても良いだろう。
クラリッサの部屋は、いかにも几帳面な住人の性格を映し出しているかのように、隅々まで整えられていた。床には淡い紫色の絨毯が敷き詰められ、壁際には無蓋の寝台と木製の本棚、手入れの行き届いた文机が並んでいる。部屋の一角には、繊細な細工のほどこされた鏡台と、肘掛け椅子を添えた衣装ダンスが鎮座していた。
窓辺の台には小振りな置時計と陶製の花瓶が置かれていたが、その中の一輪の花はすでに萎れて首を垂れ、まるでこの部屋に何かが終わったことを告げているかのようであった。ドアの近くには、使い古された真鍮製の呼び鈴が控えめに据えられていた。
言葉を発する者がいないので、窓を打ち付ける雨音がなければ完全な静寂であったろう。
私はふと、ハーデットがこちらをじっと見ていることに気が付いた。その目線の先を辿ってみると、右手の扉には真新しい南京錠があった。
「ああ、それですか」我々の視線に気が付いたレジナルドはわずかに肩をすくめ、苦笑の気配を含んだ声で言った。「やむを得なかったのです。クラリッサは精神錯乱で危険な状態でしたので。大切な妹ですが、私には使用人たちの安全を確保する義務がありますから」
「その状況では致し方ないでしょうね」ハーデットが同情するように言った。
一通り観察による思索を終えたようで、続いて彼独特の捜査が始まった。何事かぶつぶつ言いながら壁を指先でなぞったり、腹ばいになってあちこち見たかと思えば、椅子に座ってじっと天井を見つめたりするのだ。
それは紳士然とした彼の面影とは程遠い姿であり、私は彼を訝しげに見つめるレジナルドを視界に入れ続けることができなかった。
当人は全く気にしていないと見えて、椅子に座ったまま、目の前の文机の引き出しをあけた。手をいれて漁ると、コツコツと叩いているのが音でわかった。
「二重底になっている」薄い木の板を取り出した。するとその木の板に手紙のようなものが張り付いていた。
「手紙のようだ。引き出しの内側にあった、木のささくれに封筒の端が引っかかったのだろう」手にした手紙をひっくり返し、「クラリッサへ、となっているが差出人の名前はない」封筒を間近で見たり、手触りや匂いまで仔細にあらため、「安物ではないが、上流階級の者が使うような高級品ではない」
ハーデットは躊躇なく手紙を読み始めた。
「ただの恋文だね。普段、字を書く習慣のない、高等教育も受けてはいない者が丁寧にしたためている。レジナルドさん、クラリッサさんに恋人の存在はありましたか?」
「いいえ、私は存じておりませんが……」
「なるほど」
「関係なさそうかい?」
私の問いに対し、ハーデットは笑った。
「まさか。ただの恋文が、引き出しの二重底に隠されていたのだよ」そういって手紙を丁寧に内ポケットへ仕舞い込んだ。
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