第陸話 新しい名

 神の贄として雹雷に嫁入りしてから、三か月の月日が過ぎた。

 最初は常世の暮らしの、現世との違いに戸惑うことが多かったものの。三か月が過ぎ、漸く慣れて来たといったところだ。

 身の回りの世話は雹雷の眷属が行ってくれるため、不自由することはなかったが。何もすることが無いと言うのも退屈であるため、私は自分に出来る様々なことをやりはじめた。

 朝晩五十回ずつの素振りも再開したし、下町にいた頃は自炊をしていたため、その時の経験を生かして朝餉と夕餉の料理は、私が自らの手で作るようにしている。

 もちろん宴会で食べたような、料理を司る神が作ったようなものには遠く及ばない味ではあるものの、それでも味は十分美味しいし、雹雷は喜んで食べてくれている。

 そんな生活のおかげか、落ちていた体重と筋肉も徐々に戻ってきており、肌色もずいぶんよくなってきたと自分でも感じている。

 もっともそれに比例するように、雹雷との夜の営みも激しくなってきたのはどうかと思うが。私がここにいるのは彼の子を孕み産む為であるため、当然のことであると言えるだろう。

 とはいえ雹雷は最初に言った通り、私のことを決して家畜のように扱うことも無く、激しいとはいえ毎回丁寧に抱いてくれる。

 夜の営み以外でも、方々で信仰される人気のある神としての忙しい日々の中、出来る限り時間を作って、この屋敷で過ごすようにしてくれているらしく。妻として、それなりに大事にされているのではないかと私は思うのだ。

 だからその期待に、応えなければならない。家のことをこなす合間に、雹雷から与えられた書物で、神々や常世について学びつつ、私はそう強く思い続けているのだが。

 そこはあまり望まれていないのか、大切にしてはくれているものの、雹雷は基本的に私に何かを望むことはなかった。

 素振りや料理、常世についての勉強など、私のやることを咎めはしないものの。何かを頼んだり、どこかに連れ出したりするわけでもなく、ただ勤めを終えた後家に帰って来ては、私の作った料理をおいしそうに食べ、その後は寝室で体力の許す限り抱き潰し、翌朝に何事も無かったようにまた勤めに出向いて行く。

 会話はあるものの他愛ないことばかりであり。平穏と言えばそれまでだが、雹雷の支えになりたいと望む私にとって、それは少々物足りなく、かつ寂しいものがあった。

 やはり結局のところ、子を産む以外はどうでもいのだろうか。頭をよぎるそんな考えを振り払うように、私は今日も竹刀を振るう。眷属の用意してくれたこの竹刀は、重過ぎず軽過ぎず私の手によく馴染んでくれる。

「四十八、四十九、五十!」

 きっちり五十回、素振りを終えると、私は庭の片隅に建てられた物置に竹刀を片付けた。

 手拭いを濡らし、軽く汗を拭ってから厨房に向かう。今日の夕餉は里芋と竹輪の煮つけに、根菜の汁物、鰤の照り焼き、かぶの漬物を用意する。

 てきぱきと調理を済ませ、配膳を終えたところで。表から車の音がして、雹雷が帰って来たのが分かった。

 玄関に向かうと、ちょうど扉が開いて、外出用の着物を着た雹雷が入ってくる。彼は私を見ると、目を細めて微笑んだ。

「ただいま」

「おかえりなさい、雹雷」

「いい匂いがするね」

「ちょうど今用意が済んだところです。着替えたら、一緒に食べましょう」

 私の言葉に、雹雷はゆっくりと頷く。そんな彼の横で、眷属が部屋着の小袖を運んできたところだった。

 着替えを終えた雹雷と共に、私はお膳を置いた居間へと向かう。それぞれの膳の前に座り、私達は同時に手を合わせた。

「いただきます」

 私が料理に使った、鰤も里芋も根菜も、全てそれを司る神がいる。彼らから頂いたこれらの食材に感謝を示すためにも、食事の際には必ず「いただきます」というのが、常世の決まりの一つなのだ。

 箸を手に取り、私の作った里芋と竹輪の煮つけを口に運んで、雹雷は嬉しそうに微笑んだ。

「うん、美味しい」

「ありがとうございます」

 料理を褒められるのは嬉しいが、やはり何か物足りない。せめて「明日はこれを食べたい」ぐらい言ってくれれば、喜んで作るものを。

 とはいえ聞き出す勇気も出ず、ちらりと雹雷の顔を伺っても、何が変わることはなく。

 何とも言えない気持ちを抱えたまま、私も自分の箸を手に取り、食事を始めようとしたのだが。

「そうだ、雪」

 雹雷に名前を呼ばれ、私は手を止めて彼に視線を向ける。

「お前に話しておきたいこと、いや頼みたいことがあるんだ」

「……それは」

 自分が思わず、目を見張っていることがわかった。この屋敷に来てから、雹雷が私に何かを頼むのは、初めてのことだった。

 昂る気持ちを押さえつつ、私は箸を置いて居住まいを正す。

「何でしょう。何なりと、お申し付けください」

「お前が常世に来て、私の妻になって三か月が過ぎただろう」

「はい」

「常世にも、随分と馴染んできたはずだ。だからそろそろ、雪の神としての名前と装いを、決めなければならないと思ってね」

「私が、ですか」

 予想外の話が出てきたことにより、私は一瞬眉をひそめたものの、すぐに思い出した。

 常世で生活していくうちに、人間は神に成ってゆくという。正確には常世のものを食べていくことで神に近づくということらしいが、たった三か月で成ってしまうものなのだろうか。

 そもそも、私に神に成ったという実感はない。むしろ望まれている子供もまだ出来ていないのに、もう神に成ってしまって大丈夫なのだろうか。

 そんな不安げな内心が顔に出てしまったのだろう。雹雷は私を安心させるように手を伸ばし、そっと頭を撫でる。

「何事も早いに越したことはないからね。今まで正装が無い故に、お前をこの屋敷からあまり外に出せはしなかったが。正装が出来たら、ふたりでいろんなところにいこう」

「そう、だったんですね」

「うん。それで、雪はどんな装いが好みかな」

 雹雷の言葉に、私は少し考え込んだものの。あまり間を置かずに顔を上げて、彼に告げた。

 私の身にまとう正装など、一つしかあり得ない。


 青みがかった白い髪を、麻紐でひとつに結い上げる。

 下は濃紺の袴、上は白の生地に、水色の糸で雪を表現した意匠が施された裃。腰には一本の刀が下げられており、その銘を「細雪」という。

 正装に男の衣装を仕立てて欲しいと頼んでも、雹雷は何も言わずに頷いてくれた。むしろ雪らしい、とさえ言ってくれたほどだ。

 仕立てを司る神と鍛冶を司る神に、衣装と刀の注文を出して半月。ぴったりと今日、両方が完成し屋敷へと届けられたのだ。

 今日はたまたま休みであった雹雷に、着てみて欲しいとせがまれて。こうして身にまとい、姿見の前に立っている。

 眷属の手を借りずに着替えるのは久しぶりだったが、こうして男の装いに身を包むと、ぱりっと気が引き締まる思いがして、己の存在をはっきりと自覚させてくれるようだった。

 しばらくじっと、私は姿見に映る、男姿の自信を見つめていたが。背後で襖の開く音がして、我に返ると振り向いた。

「これは……凄く、似合っているね」

 そう言う雹雷自身も、己の正装に身を包んでいる。雹雷の正装は深紅の小袖に、髪と同じ純白の羽織を纏い、手には金と赤の組紐を結んでいる。

 もっとも雹雷の場合は、これとは別に武者鎧のような正装があるのだが。それは災害の神として、現世に災いをもたらす時にしか身に付けないという。

 そのため、普段神として外出する時は、もっぱらこの装いをしている。青を基調とした私の正装と対になっているようで、恥ずかしくもあり嬉しくも感じながら、私は静かに頭を下げて見せた。

「素敵な衣装を、ありがとうございます」

「そんなに、畏まらないでくれ。妻に良い服を贈りたいというのは、夫として当然の性だからね」

 頭を上げた私に、雹雷はそう言って微笑んで見せる。嬉しそうなその表情が、彼がこの姿を心から喜んでいることをはっきりと伝えくれて、私は胸がじんと熱くなるのを感じた。

「それで、後は名前だけだけど。確か、もう決めていると言っていたよね」

「はい」

 神としての私の名前は、正装の衣装が出来上がったら、雹雷に告げると約束していた。

 私は真っ直ぐ雹雷を見据えて、口元に笑みを浮かべ、それから静かにその名を口にする。

「氷雪。あなたの名と、響きを重ねたいと思い、この名を考えました」

 私の名乗った名前に、雹雷は大きく目を見開いたものの。すぐに形相を崩し、頷いて片手を差し出した。

「とても良い名前だ、氷雪」

「ありがとうございます」

「それじゃあ、その名を命名の神に告げに行こうか。お前の正装を、都の人々に披露したいというのもある。お前の姿を見たら、皆きっと振り向くに違いないよ」

「それは……少し言い過ぎかと」

 しかし言葉とは裏腹に、私はそっと雹雷の差し出した手を握る。それに応えるように、雹雷も握った手の指を絡めて来た。

「そうだ、雹雷」

「ん、どうかしたかい」

「今晩、食べたいものはありますか」

 この屋敷で過ごしていた日々の中で、悶々として聞けなかったこと。しかし正装によって勢いがついたのか、気づけば問いかけは私の口からするりと飛び出した。

 雹雷はしばし逡巡する様子を見せてから、私に向かって答える。

「そうだねえ。筍、筍の炊き込みご飯が食べたいかな」

「分かりました、腕によりをかけて作ります」

 微笑んで、私は雹雷と共に屋敷を出る。腰に感じる刀の感触が、とても心地よかった。

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