第参話 神の贄
神の贄は、贄を求める神に縁のある月の、新月の日に捧げられるのが決まりである。
この度私が贄となるのは、大神の配下である一柱、
つまりそれは、農産や水産にも直結する神ということであり、農村や漁村に建てられた小さな社はもちろんのこと、各地を治める大名たちも災害の際に要所になり得る場所などに、大きな神社や祭殿を建造したりなどしているようだった。
当然、四季家も過去に何度か大規模な山崩れのあった領地内の大山の麓に、雹雷水神の神社を建てていた。神社を建てるまでは山崩れが頻発し、そのたびに多くの犠牲が出ていたものの。神社が建ってからは山崩れがぱたりと起こらなくなったというのは、近隣では有名な話らしい。
もっとも、幼い頃から自立のみを目指して生きてきた私は、その手のことに関してはとんと疎く。雹雷水神の名前すら、神の贄になることが決まってから初めて聞いた有様だった。
悪天候を司る神というと、粗暴な印象があるものの、一体どのような神なのだろうか。自らを受け取る神に思いを馳せつつ、私は雹雷水神に最もゆかりのある月、即ち一年の中で最も災害が多発する八月の新月まで、ひたすら神の贄となる準備に励んでいた。
内側の穢れを出来るだけ溜めないようにするため、食事は一日一食、一汁一菜で済ませ、それ以外は水と塩しか摂ることを許されなかった。
雹雷水神及び、大王と大神から連なる神々の神話や信仰について徹底的に叩き込まれ、作法も身だしなみも全て矯正された。
体は毎日三回清められ、排泄も決められた回数しか行えず、睡眠の時間すら計られており。
普通の人間なら間違いなく気の狂ってしまうような、そんな生活を約三か月続けたところで、漸くその日が訪れ、私は神の贄へと仕立てられた。
贄を捧げる場である、雹雷水神の神社まで向かう道中。籠に揺られながら、私は簾の合間からぼんやりと外の田園を眺めていた。
この三か月で、体重も筋肉もごっそりと落ちており。元から白かった肌はさらに白くなり、まるで死人のようになってしまった。
実際、私が今着ているのは死人の着る左前の白襦袢であるし、長くなった髪からは艶が失われている。もう私を男だと思う者はいないだろうが、今度は死人に間違えられそうである。
もはや空腹も感じなくなってしまった。ここ数日間は一日一度の食事すら与えられていないものの、腹が張っているわけでもないのに、不思議と飯を食いたい気がしないのだ。
籠に乗せられる私を見て、父や冬美が何か嘲笑うように言っていた気がしたが、もはやそれもどうでも良かった。体重や食欲と共に、彼らに逆らう気力もごっそりとそぎ落とされてしまったのだ。
今の私には、目の前に恐ろしい姿をした雹雷水神が現れて、手を伸ばし貪り食おうとしたとしても、抵抗する気力も術も持ち合わせていない。恐らくそのための、「準備」だったのだろう。
どちらにしろ、あの日父の元に戻った時点で、私の人生は終わったようなものなのだ。今更何をしようと、何が変わるわけでもない。
麻痺した頭でそう考えながら、どれぐらい籠に揺られた頃だろうか。揺れていた籠が止まって、入り口の簾が上げられる。
「着きましたよ、雪様」
そう言って覗き込んできたのは、付き添いである雹雷水神の神社の巫女であった。今の私と違い、健康的な肌色をしたその娘は、私が籠から降りやすいように片手を差し出してくれる。
「ありがとう」
擦れた声でそう言って、私は彼女の手を取って籠を降りる。足元には藁の草履が用意されており、私がそれを履いてゆっくりと立つと、巫女はそっと手を離した。
「雪様、こちらが我が神社になります」
巫女の向けた視線につられるように、私が顔を向けると。そこには立派な石造りの鳥居と参道があった。参道の奥には、飾り気はあまりないもののしっかりとした造りの本殿が見える。
下町にあった、廃れたあの神社とは、比べ物にならないものの。今はどうしようもなく、あの廃神社が恋しくなって。私は胸がいっぱいになって、つい泣きそうになってしまう。
あの町に戻りたい。おかみさんに、源さんに、ケン坊に、また会いたい。
だけどそれは、叶わない。今から私はこの神社で、神にその身を捧げられるのだから。
「本殿でお父様―――神主様がお待ちです。ここから先は、おひとりでどうぞ」
はきはきと、あらかじめ決められていたのであろう案内の言葉を吐き出す巫女に。私は静かに頷いて、草履で地面を踏みしめ、ゆっくりと参道を歩き出した。
一歩、二歩と、転ばないように慎重に歩いて行くつもりだったが。この三か月で落ちた体力のせいで、どうしても足取りがふらついてしまう。
いつの間にか周囲には霧が立ち込め始めて、視界も悪くなってきて。そんな中で一歩踏み出した時、運悪く足元に窪みがあったのがよくなかった。
「あッ……」
あと少しで、本殿に辿り着くといったところで。窪みに足を引っかけた私は、そのままぐるんと仰向けに転ぶ。
頭を打つ。本能的な恐怖が体を駆け巡るものの、気づいた時にはどうしようもなく、倒れ込む中でぎゅっと目を閉じることしかできなかった。
「ッ……」
だがしかし。恐れていた衝撃はいつまでもやって来ず、私が恐る恐る目を開くと、そこには一人の男の顔があった。
流れるような純白の白い長髪に、きめ細かい白い肌と細く長く整った顔の左右で輝く、金色の双眸は縦に長い瞳孔をしている。衣服は何故か紋付き袴を着ており、黒い羽織と白い髪の対比がまた美しかった。
一瞬、彼とどこかで会ったような気がしたが。思い出す間もなく、私は自分が彼に支えられていることに気付いた。
「大丈夫かい」
「は、はい」
そう問いかける男に、私は慌てて立ち上がろうとするが、やはりどうしてもふらついてしまい。そんな私を支えるように差し出された男の手を、思わず握りしめてしまった。
男の手は艶やかな肌触りをしていたが、節々のごつごつした感触が、紛れもない男性の手であると伝えてくる。離さないように、男は私の手をしっかりと握り返すと、金色の瞳で私の体を上から下まで眺めて、不満げな表情を浮かべた。
「せっかくの輿入れだというのに、あまりにも不吉じゃあないか」
「え、こしい、れ」
「ということで、着替えを頼むよ」
男が握っていない方の手の指を鳴らすと、見たことのない生物が周囲に数匹現れる。男の髪と同じように真っ白で、鱗を持った鼠のようなその生物は、怯える私の前で、どこからともなく上質な生地で仕立てられた白無垢の衣装を運んできた。
驚き戸惑う私の肩を抱き寄せ、男が耳元で囁く。
「怖がらなくていい。あれは私の眷属だ、お前に害を為すことはないよ」
「……あなたは、もしや」
「さあ、私の花嫁殿を相応しい姿にしておくれ」
男が声を張り上げると同時に、彼は手を離し、私の周囲を霧が包み込む。真っ白で何も見えない中で、周囲をあの眷属とやらが動き回る気配がし。
濃い霧が薄らぐ頃には、私は白無垢へと着替えさせられ、化粧まで施されていた。血色の悪い肌も、やせ細った体も、これなら少しはましに見えるかもしれない。
「これで見栄えは良くなった。大丈夫かい、雪」
「は、はい……あの、あなたはやはり」
戸惑いながら、私が恐る恐る尋ねると。男は金色の目を細め、ちろり、と唇の間から先の割れた長い舌を出して名乗った。
「そういえば名乗ってなかったね。私は雹雷。贄であるお前を貰い受ける神にして、君の夫となる者だよ」
「雹雷水神様、先程はとんだご無礼を働いてしまったことをお許しください……お、夫、ですか。私が、あなたの」
慌てて跪き、頭を下げつつも。やはりどうにも、彼の言っている話がのみ込めなかった。
言動からして、雹雷水神が私を娶るつもりだということは分かるのだが、そもそも私は生贄として捧げられたはずだ。それなのに、一体どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
困惑する私に、雹雷水神はそっと身をかがめると、白無垢の肩に触れて、やや不満そうに言った。
「頭なんて下げなくていいし、私のことは雹雷でいい。これから
「し、失礼いたしました」
慌てて顔を上げた私に、彼は頷くと再び手を差し出す。
「いきなりで戸惑うのは仕方ない。向こうに車を待たせているから、常世に向かうまでの間に、ゆっくり話そう」
「……はい」
素直に手を取った私に、彼は満足そうに微笑むと、こう付け足した。
「ああ、それと。着せておいて言うのもどうかと思う、着なれない服でさっき以上に転びやすいだろうから」
「……え」
一呼吸おいて、私は雹雷水神、否雹雷が気遣ってくれているのだということに気が付いた。
現に彼は、私が転ばないよう、しっかりと手を握りゆっくりと参道を歩いて行ってくれる。
正直、食い殺されることを覚悟していた身としては。拍子抜けするというか、あまりにも予想外過ぎてどうしてよいのか分からないが。
体も心も、弱り切っている今は、彼のそんな優しさがしみ込んでいくようであり。
手を繋いで、一歩ずつ歩いてゆくたびに。自分の心へ徐々にあたたかさが戻ってくるのを感じながら、私は雹雷とふたりで、霧の中を歩いて行った。
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