どうぞごゆっくりと言われても①

「おぉ、すっかり忘れてた」


 けろりとした声でそう言いながら、多希が拘束を緩める。すかさずそこから抜け出して体勢を立て直した。ベタな漫画なら口笛の一つでも吹く展開だが、さすがに怪しすぎるので、とりあえず何事もありませんでしたが? みたいな顔を作ってみるも、我ながらどうにもぎこちなく、何だか俺だけが焦っているようでカッコ悪い。いや多希よ。どうしてお前そんな堂々と出来んの? 結構痛いところ見られたと思わん、俺達?


「この人が幸路さんだ。こないだ話したろ?」


 えっ何?

 既に何を話してんの?

 

「うす。ども」

「え、あ、ども。幸路です」


 陽介さんくらいありそうなデカい男が、ぺこりと頭を下げるのに合わせて、俺も一応会釈を返す。デカいはデカいが、顔と声に幼さがある。さては、高校生か?


「そんでこいつはな、訳あってちょっと居候してるタヌキのポンポコだ」

「待って待って待って。急におかしい。え? 何? タヌキのポンポコ君っていうの? 絶対そんなわけないだろ。君、人間だよな?」

「タヌキのポンポコっす」

「いや認めるなよ、そんな真顔で! えっ、でも本人がそう言ってるってことはマジってこと? あっ、わかった! 名字が田貫たぬきとかそういうことな? まぁそういうことなら、うん、ポンポコではあるかもだけど。いや失礼だろ!」


 えっ、何これ。俺もう酔ってんの? 飲む前から!?


「落ち着け幸路さん。――な? 話した通り、面白いだろ」

「うす」

「待て待て待て。俺の情報『面白いやつ』なのか?」

「いや、俺の『大事なメシ友』。『一緒にいてすごく面白い』って言っただけ」

「多希さん、それ以外にも『特別』とも言ってたっす」

「おう、言った言った」


 出た。

 またしても『特別』というワードが出た。でも何だろ、この軽さ。もしかして多希にとっては結構軽めの言葉だったりするんかな? だとしたらそれで舞い上がっちゃう俺、痛いやつじゃない?


「んで、ポンポコは何しに来たんだ? 腹減ったんか?」

 

 やっぱ足りねぇか、あんだけじゃ、と言いつつ、後方の炊飯器に視線をやる。成る程、あの飯はこのポンポコ君が食べたやつらしい。


「いや、喉が渇いたので水をもらいに」

「おう、飲め飲め」

「うす」

「勉強順調か? 遅くまでやるなら夜食持ってくけど」

「いや、今日は早めに寝るっす」

「あそ? まぁ睡眠は大事だからな」

「うす」


 会話のキャッチボールは出来ているものの、口数は少ないタイプらしい。俺が知ってる多希の周囲の人間は一撃必殺(声がデカい)か、手数で勝負(ちょこまかうるさい)だから、こういう真面目で大人しいタイプはめちゃくちゃ新鮮だ。


 結局本名がわからないポンポコ君? タヌキ君? は水を一杯飲むとぺこりと会釈をして「どうぞごゆっくり」と言ってのそのそと去っていった。いや、どうぞごゆっくりと言われても。


「悪いな、言うのすっかり忘れてて」

「いや、良いんだけど。えっと、新しい下宿生、ってこと?」


 だとすると、これで『下宿山家』は満室だ。嘘だろ。とっとと決めておけば良かった。いやいやでも本来ここはそういう未来ある若者を格安で住まわせることが目的の場所のはずだ。それにまぁ、タヌキ君だっていつかは卒業するわけだし。あっでも進学先が仙台だったらここから通う可能性も……?


 もやもやとそんなことを考える。


 すると、「んー」と多希が軽く目を瞑って首を左右にカックンカックンと振る。


「どうだろ。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」

「どういうことだ?」

「あぁ、そうそう、それで幸路さんに相談したいって思ってたんだよな」

「俺?」


 まぁ座って飲もうぜ、と着席を促される。おう、と席に着き、発泡酒の缶を開けた。


「ほら、俺の周りってちょっと特殊? っていうかさ、フツーのサラリーマンがいねぇのよ。俺はこんなんだし、陽ちゃんはいま無職のマッチョだろ? ヒロはフリーのデザイナーだしさ」

「無職のマッチョって言い方ァ……」


 もうちょい何かあっただろ? その、求職中のマッチョ――じゃなくてインストラクター! 求職中のインストラクターとかさ!


 でも言われてみれば確かにその中に俺のようなスタンダードなサラリーマンはいない。多希はこの下宿と裏のアパートの大家さんで平日はバイトしてるって言ってたし、あと何だ、その、月イチの『お菓子の先生』だし。


「さっきのポンポコな、受験生なんだけどな」

「三年生なのか。道理でデカいわけだ。俺も大変だったなぁ、受験。そうかそうか、頑張ってんなぁ」


 就活も大変だったけど、大学受験もそりゃあ大変だった。あの頃はこれが人生の山場だと思ったものだ。まぁ、その後の就活で上書きされたけど。でも高校三年の幸路少年にとってはそうだった。これで人生のすべてが決まると思ってたし、いまでも『人生のすべて』は言い過ぎだとしても、あれである程度は決まったと思っている。あの時頑張って覚えた公式やら用語やらは既にすっぽり抜け落ちてしまったけれど、努力は実る、なんていう月並みな言葉はやっぱりその通りなんだなって思ったし、実らない努力があるのも知った。何だか矛盾しているとは思ったけど、大人達はそのどちらも言ってくる。成る程こういうことか、と思ったりして。それはいまも俺の中に生きている。


 確かに努力した分だけ成績が上がるってわけではなかった。努力の方向が違ったりもした。だけれども、一つの目標に対してがむしゃらになる経験と、自分の努力の結果が合否というわかりやすい形で示される体験は、確実にその後の俺に影響を与えたと思う。


「でもな、実はまだ進路が決まってない」

「え。でも受験勉強してるんだよな?」

「んー、いまは受験勉強っていうか、模試の勉強なんだけどさ」

「ほお」

「その点数によって、ここで下宿するか否かが決まる」

「ほう?」


 多希の話によると、タヌキ君は家族と色々あって(さすがにそこは本人の了承なしには聞けない)家出したところを八尋が拾ったらしいのだが、とりあえず、まぁ頭を冷やすという意味で、数日泊めることになったのだとか。


「しかし、ここがちゃんとした下宿とはいえ、突然知らんやつから『お宅の息子さんをお預かりしています』っつって信じてもらえるもんなのか? 普通に誘拐みたいじゃね?」

「それな」


 案の定、タヌキ君から電話を替わった際は怪しまれると思ったらしい。というか、その段になってそこに気付いたのだとか。あっ、よく考えたら俺、怪しくね? と。いや遅いって。多希らしいといえば多希らしいけど。


「それがさ、全然疑われないんだよ。『それじゃあお願いします』って一言」

「嘘だろ」

「一応な? 言ったんだよ、これこれこういう下宿をしている者です、っていうのはな? いまはおおっぴらに募集はしていないから、元下宿ではあるけど、って」

「それを丸っと信じたのか? それはそれで危機感なさすぎじゃね?」

「だよなぁ。ヒロも拍子抜けしてた。だからなんていうか……あんましこういうこと言いたくはねぇんだけど、その、もしかしてさ」


 ちょっとその、厄介払い、みてぇなさぁ、と多希なりに言葉を選んだつもりなのだろう、あまり配慮出来たワードチョイスではないかもしれないが、気持ちは伝わってくる。


「まぁ、考えたくないけどそういうことかもしれないな。いやでもわからんぞ。ここが謎の口コミでめっちゃ有名になってるって説も――」

「それじゃ家出少年の駆け込み寺になってるだろ、いまごろ」

「確かに」


 重苦しい雰囲気を吹き飛ばすための軽口ではあったが、まるきりの絵空事というわけでもなかった。口コミの力は侮れないし、いまはSNSだってある。誰が見てるかわからないし、誰と誰が繋がってるかなんてわからないのだ。


 タヌキ君は受験生だし、実家がどこにあるのかはわからないが、その後の進路によってはそこを出て一人暮らしをした方が良い場合もある。それで下調べをしているうちに、過去に下宿をしていたというここの存在を知って――なんて話もあるのかもしれない。かなり低い確率ではあるが、事実は小説よりも奇なりという言葉もある。俺なんかはその言葉をこれでもかってほど痛感した口だ。


「ま、だったら良いんだけどさ」


 そう雑に締めて、多希は続きを語り出した。

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