五臓六腑に沁みるのは、何だ?②
「いや、ごめんて」
「俺に謝んなって。しゃーないじゃん。独身会社員の飯なんて大体こんなもんじゃね?」
「それはまぁそうなんだけど」
これが向山田さんなら確実に二回ほど『飲み(という名の合コン)』が入っているだろう。現に誘われたし。断ったけど。とりあえず、居間のローテーブルの前に向かい合って座る。
「相当疲れてるだろ、幸路さん。顔に出てるわ」
「マジかぁ。顔にも出てるかぁ。すっごかったんだよ、ここ最近さぁ。いや、違うぞ? 俺じゃない。俺のやらかしじゃない」
「あいつか? こないだ冷麺食ってたやつ」
「そ」
「まぁ、そんなこったろうと思ってさ。疲れてんのは精神的なやつっつぅの? そっちだけかな? って思ってたんだけど、いまの聞いた感じ、胃も疲れてそうだなって」
「胃も……。言われてみれば」
疲れていたり、飯の用意が面倒になると俺は暴食に走りがちだ。といっても量が食えるわけではなくて、手軽に食えるジャンクなものに手を出してしまう、という意味でだけど。だからたぶん、連日のジャンク飯に胃は疲れているはずだ。
「大方そのコンビニ弁当とかカップ麺もさ、焼肉弁当とか、かつ丼とか」
「うっ」
「大盛のこってり味噌ラーメンとか、油そばとかだろ」
「うっ。どうしてそんなお前、見てきたみたいに」
ああもう正解ですよ。何ならそれに
「ってことがわかったんで、精神的な疲労だけならがっつり飯にしようと思ったけど、胃が疲れてるっつぅなら路線変更だ」
言うなり多希は、パァンと両腿を叩いて立ち上がった。何だ何だ。
「ちょい待ってろ。そういう時にちょうど良いやつ作ってやる」
「お、おぉ、サンキュ」
キッチンへ向かう後姿が勇ましい。
「なぁ多希」
「んあ?」
ジャー、と手を洗っている背中に声をかけると、ちょっとのんびりした声が返ってきた。
「作ってるとこ見てて良い?」
「え。良いけど。何で?」
「何で、って。見たことなかったからさ」
「そういやそうだな。好きにすれば」
「そうさせてもらう」
のろのろと歩いて多希の隣に立ち、彼の手元を覗き込む。
「何作るか当ててみ」
「無理だろ」
「そっか?」
楽しそうにそう言って、冷凍庫からフリーザーバッグをいくつか取り出す。チャックを開けて、中のものをざらざらと片手鍋に入れた。みじん切りの玉ねぎと、千切りのにんじん、それから小さな角切りの大根だ。
「えっと、これは玉ねぎと、にんじん、大根、だな?」
「正解~」
「それと、これはほうれん草、か?」
「ブー、小松菜~」
「見分けつかねぇ」
「いやいや、よく見りゃわかるって。茎なんか全然違うしな? それに小松菜はな、アクが少ないから下茹でなしで冷凍出来るんだぞ? しかも、凍ったまま使えるし、栄養も逃げない! ほうれん草よりも安いし、安売りン時に多めに買って冷凍しとけ! 自然解凍でお浸しになるから!」
「お、おう……」
なぁ多希、お前本当は賢いだろ。俺にはない知識だぞそれ。
「あとはそうだなぁ、きのこも欲しいな」
持っていた野菜のフリーザーバッグを冷凍庫に戻し、代わりにきのこが入っているバッグを取り出して、ざらざらと鍋に入れた。
「どうだ? わかった?」
「いや、無理でしょ。もうちょいヒントくれ」
「仕方ねぇな」
コト、と鍋をコンロの上に置く。火をつける前に、ごま油を一回し。
「先に油を敷くんじゃないのか?」
「んー? その辺は適当だな。今回はこれでいーの」
「そういうもんなのか」
「俺はな」
ジャッジャッと炒めていると、ごま油の香ばしい香りが漂ってくる。もうこの時点で鍋の中に手を突っ込んで貪り食いたい衝動に駆られるが、落ち着け佐藤幸路。どう考えてもいまの状態では食えない。匂いに騙されるな。
「ふはは。そんな顔すんなって」
「……どんな顔だよ」
「『待て』って言われてる犬」
「くそぉ……。でもその通りなんだよなぁ。なぁ、これ何になるんだ?」
「見とけって」
しばらく見守っていると、「うーん」と唸った多希が、やっぱもうちょい、とか言い出して、冷蔵庫を開けた。ハーフベーコンを取り出し、パッケージの上からナイフを押し当てていく。
「えっ、それで切れんの?」
「お? やらねぇ? まな板と包丁出すのめんどい時とかにさ。今度やってみ、全然切れるから。包丁使うなよ。うっかりパッケージも切れちゃうから。ナイフとか、あとまぁ、定規とか使え」
「キッチンに定規はないだろ」
「そっか?」
「え、あるの?」
「お菓子作る時に使うやつな」
「お菓子? 作んの? 作れんの?」
「作れるわ。舐めんな。今度作ってやろうかぁ?」
横目でこちらを見、にへ、と笑う。その笑みが何だか艶っぽくて、どきりと心臓が跳ねる。どうにか「こ、今度な」と絞り出したけど、何だか今日の多希は心臓に悪い、気がする。いや、お前。何、お菓子も作れちゃうのか。そのナリで?! いや、見た目は関係ないけどさ。
「言ってなかったっけか」
そんなことをぽつりと言いながら、パッケージを開け、細く切られたベーコンを鍋の中に入れる。おお、本当に切れてる。
「何が」
「月イチで近所の保育園でお菓子作り教えてるって」
「ウッソ、マジで!?」
「あー、その反応は言ってなかったな。いや、マジマジ。お菓子の先生。結構な、評判良くてさ」
そこの園長、母ちゃんの知り合いでさ、なんて言いつつ、調味料の棚から薄黄色の粉が入った瓶を取り出す。鶏ガラスープの素だろうか。コンソメならもうちょい色が濃いはず。鍋に水を入れ、瓶の中の粉をスプーンで二杯。大さじとかのスプーンではない。こいつ、目分量で作ってやがる。くそ、参考にならねぇ。
「こないだはカップケーキだったな。焼くのはさ、園児達がお昼寝の時間にやるわけ。で、俺は焼き上がるのを見届けたら帰んの。で、園長からな、園児達がごってごてにデコレーションした画像が送られてくんの。もうすっげぇよ、甘そうでさ。園児、容赦ねぇの。クリーム山盛り~の、カラースプレーぶっわぁ~、みたいな」
思い出したのか、ふはっと笑う。俺の勝手な推測だけど、多希の母さんは、自分が死んだ後も多希が一人にならないように、と考えていたのかもしれない、なんて思う。現に多希はとても楽しそうなのだ。
「ああそうそう、忘れてた忘れてた」
冷凍庫から小さなフリーザーバッグを取り出す。今度は何だ。
板のようになっているそれを袋の上から折り曲げて割り、欠片を一つだけ出した。ニィ、と笑って俺の鼻に近付けて匂いを嗅がせて来る。ふわ、と独特な香りだ。これは――。
「生姜だ」
「そ。幸路さんって内勤だろ? 冷房ガンガンの中働いてんじゃね?」
「そう……だな。結構効いてる」
「んで、家ン中もそうだろ? で、風呂上りにアイス食ったり、キンキンに冷えたビール飲んだり」
「何で全部わかるんだよ」
「わかるって。てかさ、この時期は皆そんな感じじゃね? 俺だってそうだしさ」
だから別に幸路さんが悪いとか、そういうのが言いたいんじゃなくて、と鍋に生姜を入れて、お玉でぐるぐると混ぜる。くつくつと煮立っていた鍋の中身は、凍った生姜のお陰で温度がわずかに下がったようで、少し大人しくなった。もうわかった。とりあえず、汁物ってことは。
さて、と戸棚から丼を二つ出し、その一つを俺に手渡す。
「おら、食いたい分だけよそえ」
視線を俺の後ろにある炊飯器に移す。おう、と返して回れ右。かぱりと蓋を開けると、少しだけ減った飯があった。
「多希は先に食ったのか?」
「いや? 幸路さん待ってた」
てことは他に食ったやつがいるんだな。八尋か。そういや姿を見ていない。仕事だろうな。仕事の時は部屋にカンヅメだって聞いたし。しかし、茶碗ではなく丼を寄越すとは。汁物しか作ってないけど、どうするのだろう。
「それじゃ、これくらいで」
茶碗で食う時と同じくらいの量を盛って、多希に渡す。おう、ちょうど良いな、と言うと、もう一つの丼を「同じ量で俺の分も頼むわ」と渡してきた。
「んで、よそったら、テーブルの方頼む。これな、レンゲで食うから、えっと、そこの引き出し。そうそう。開けて。あるだろ、レンゲ」
視線で示された先の引き出しを開けると、きれいに仕切られた中に様々なカトラリーがきちんと整頓されている。こういう几帳面なところはあるのになぜ盛り付けは雑なんだ。『
「レンゲと、あと、コップとお茶な」
「おう」
食器棚からコップを二つ、冷蔵庫から麦茶のボトルを出して居間に運ぶ。あっという間に準備が出来たらしい多希が盆の上に丼を二つ乗せて後をついて来た。
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