『俺』に向けた飯の誘い②

「――っい、いやいやいやいや!」


 夢にまで見た――は大袈裟だけど、でも、それくらいの誘いだった。食ってみたいとは、あの時初めて焼き鯖とひじき煮の画像を見た時から思ってた。クソ、何県だよ、どこだよと悔しい思いをした。ノリで『いまから行くわ』と挙手してやろうかと何度思ったかわからない。


『食ってみたいんだけど、マジで。』


 落ち着け落ち着けと言い聞かせて、そう返すのがやっとだ。

 ちょっと乾いてきたナポリタンを冷めきったスープで流し込む。


 でも、と考える。


 例えば、だ。

 いますぐは無理でも、例えば来週の金曜ならどうだろう。もういっそ夜はネカフェとかに泊まる覚悟で、その用意をして。会社終わったら車かっ飛ばして――いや、半休取ったって良いしな。そうか、その手があったよな。何、毎週なら厳しいけど、数ヶ月に一回とかならさ。


『割とマジで食いに行きたい。食いに行って良い? さすがに今日は無理だけど、来週の金曜とか。』


 文字を打つ指が震えた。

 俺んちメシ氏の飯を食えるかもしれない。

 先着五名で、五百円のやつ。


『メシ氏、どこ住み?』


 自分ルールどこ行ったよ。二往復のはずだろ。何で俺、返事も待たずにこんな食い気味で返してんだ。でも、こんなチャンス二度とないかもしれない。


『教えたら、食いに来てくれる? ゆきじさん』


 ゆきじ、というのは俺のアカウント名だ。捻りも何もない、本名の『幸路ゆきじ』。そのまま。悲しいかな、俺には遊び心ってやつがないのだ、昔から。RPGの勇者の名前だって『ゆきじ』だった。別にそこまで自分の名前を気に入ってるわけでもないのに。


『行く。たぶん。外国とか離島なら厳しいけど。日本国内で、出来れば陸続きなら。』


 もう二往復とかどうでも良い。逃がすか。その一心だった。あんまりぐいぐい行ったら引かれるかもとか、そんなのも頭になかった。


『そっちと陸続きかはわからん。仙台なんだけど、どう?』


「おいマジかよ!」


 思わず声が出て、腰が浮いた。

 仙台って、仙台だよな?! 宮城県の仙台市だよな!? つまり、ココってことだよな?!


『俺も仙台なんだけど。』

『マジで? 何区? 俺、青葉区。愛子あやし駅の近く』


 待て待て待て待て。

 何だこの偶然。

 俺だって愛子住みだっつぅの。

 あの時の『時屋TOKIYA』って愛子の時屋かよ!


『なぁマジで、俺、いまからでも行ける。俺んち、開成通り沿いの24ニーヨンマートの近く。』

『は? あのJAの裏の24?』

『マジで行くぞ、俺。飯食っちゃったけど、行って良い? 酒が飲めるなら酒買ってくし。』

『マジで来いよ。全然飲むわ。俺ツマミ作るし。』


 俺はずっと前傾姿勢だった。片膝を立て、いますぐにでも走り出しそうな姿勢でスマホを握り締め、自分至上最速のフリック入力をキメてた。

 

『じゃ、愛子駅に着いたらメールする。』

『わかった。』


 〆は何ともあっさりしたものだった。それでも俺の熱はまだ冷めない。心臓はどくどくとうるさいほどに脈打っている。まだ一歩も走り出してないというのに。

 

 えっ、何だこれ何だこれ何だこれ。

 俺、一生分の運使い切ってね?


 とりあえず、くたびれた部屋着を脱いで、ジーンズとパーカーに着替える。財布とスマホと家の鍵を持って24マートコンビニにダッシュした。カゴにビールを数本ぶち込みながらも、足元は何だかふわふわしていた。メシ氏がどれだけ酒を飲めるのか、ビールで良かったのかとか、そこも確認しときゃ良かったと後悔しつつレジに並ぶ。


 それで、袋をガサガサさせながら息を切らせて愛子駅に行くと、何やらそわそわしながらスマホをチラチラしている、すらりと細身の男がいた。


 絶対アイツだろ。

 ちょっとプリンになってる長めの金髪をハーフアップにして、耳は軟骨までバチバチのピアス。アカウントページのプロフには二十五とあったけど、年上かもわからない俺に対してのっけからタメ口だったし、口調からしてちょっとやんちゃな印象だったから、まぁ想像通りではある。


 こほん、と軽く咳払いしてから『着いた』とDMを送ってみると、スマホ画面を見た彼はきょろきょろと辺りを見回し始めた。ばちりと目が合い、コンビニ袋を顔の辺りまで持ち上げる。


「えっと、酒、買って来たけど。メッシで合ってる?」


 そう言ってから、心の中の発音のまましゃべってしまったことに気付いて、かぁっと顔が熱くなる。どうかうまいこと『メシ氏』で変換されてますように。そう願ったけれども。


 するとメシ氏は、一瞬きょとんと眼を丸くしてから、それをキュッと細め、鼻の付け根にしわを寄せて「メッシて」と笑った。駄目だったかと落胆すると共に、その表情が二十五という年齢よりも若く見えて、あどけなさにどきりとする。


「まぁメッシでも良いや。『ゆきじ』さん?」

「そ、幸路。ええと、この度はお誘いいただいて?」

「あぁ、そういう堅苦しいのナシナシ。飲も。奇跡に乾杯しようぜ」


 奇跡に乾杯。

 それは確かに。

 もうどう考えたって奇跡としか言いようがないのだ。だってそうだろ。東京ならまだしもさ。


 メシ氏の家は、本当に駅の近くだった。愛子駅の近くにある時屋レンタルDVD店の裏のなんかでっかい家。さらに言えば、隣は交番だった。成る程、この立地ならSNSで知り合った見ず知らずの他人を家に呼んでも滅多なことは起こらんわな。


「お邪魔します」


 と前を歩く家主に向かって小声で呟くと、笑い混じりの声で「邪魔じゃねぇし」と返って来る。いやいや、これはその何だ、礼儀ってやつだから。思わずそう突っ込む。


 テーブルの上に俺が買って来た缶ビールを数本並べる。そこには既に先客がいた。確実に彼が作ったと思しきツマミである。それはお馴染みの『TASTE GOOD!』に盛られていた。この皿何枚あるんだ。


「そんじゃ、乾杯」

「うい」


 適当なバラエティ番組を流しつつ、酒を飲む。ツマミは蒸したささみとキュウリをごま油で和えたやつだ。仕上げのラー油でちょっとピリ辛なのが美味い。


「なぁ、聞いても良い?」


 軽く酔いが回ったところで尋ねると、メシ氏は「投稿止めたこと?」と先回りして来た。


「いや、それよりも、そもそも何で飯を誘ってたんかな、って」

 

 止めた理由は何となくわかる。それよりは、そもそも何でそんなことをしていたのか、の方が気になる。


 するとメシ氏はぽつりぽつりと語り出した。


「俺んち、二年前まで下宿やってたんだけど」


 成る程、そりゃあ家もデカいわけだ。

 でも見たところ、ここに住んでるのはメシ氏だけだ。二年前までやってた、ということはもうやめてしまったのだろう。それからずっと一人で暮らしているのだろうか。


「母親が体調を崩してさ。とりあえず一旦下宿を閉めて、元気になったら再開すっか、って話してたんだけど駄目だったんだ。去年死んだ。ウチ、母子家庭でさ。でも俺、結構長いこと大人数で飯食って来たから、それが当たり前ってか」


 一人で食うの、なんか嫌で。


 そう言って笑う顔が寂しそうだった。


「あの投稿もさ、まさかあんなに食いつく人がいるなんて思わなかったんだよな。最初は冗談だったわけよ。だったんだけど、昔のクラスメイトやら元下宿のやつらが気付いて、それで食べに来てくれたりして」


 あの知り合いっぽいやつらはどうやらガチの知り合いだったらしい。そりゃそうか。


「だからほんとはまた前みたいに募集したいんだけど、ちょっと悪目立ちしちゃったから、どうすっかなー、って思ってたとこ」

「それで――……、こういう?」


 と卓の上を曖昧に指差す。『こういう』という短い言葉に「俺みたいにDMでやり取りする形式にチェンジ?」なんて意味を込めてみる。それが正しく伝わったか、メシ氏は「いや違くて」と苦笑しながら手をパタパタと振った。


「ゆきじさんだけだよ」

「え」

「あんな熱心なのゆきじさんだけだった」

「嘘だ。俺が送ったみたいなDMヤツ、ガンガン来てたんじゃないのか?」

「いや、DMは来るけどさ。ほぼほぼ誹謗中傷っつぅか」


 誹謗中傷って……。


「『いい加減そのだせぇ皿ヤメロ』みたいな」

「どんだけ嫌われてんだ、『TASTE GOOD!』……」

「使いやすくて良いんだけどなぁ。何でこんな不評なんだろ。まぁ、だからさ、ゆきじさんとはマジで飯食いたかった。食わせたかった」


 ニカッと笑ってそんなことを言われると、なんか心臓がもぞもぞしてくる。それはたぶん、これまでに『あなたに食べさせたかった』なんて言葉をもらったことがないからだ。


「……また食いに来て良い? メシ氏さんの飯、食いたいんだけど」

「もちろん。――あとさ」

「あ、金? 払う払う。五百円なんて言わず――」

「まぁ、金はとるけど違くて。『メシ氏』じゃなくて、名前で呼んで、って話。俺、多希たき

「多希君か、了解」

「良いよ、多希で。ゆきじさんのが年上でしょ」

「お前、年上ってわかっててタメ口だったんか」

「ごめんて」


 悪びれもせずににんまりと笑う多希に「良いけどさ」と返す。


 正体不明の謎アカウント『俺んちメシ』氏は、『多希』という名の、人懐こくなんだか憎めないキャラの二十五歳だった。


 学校の同級生でもない、同じ職場の人間でもない、下手したらすれ違うことだってなかったかもしれない、生活圏もギリギリ被らない人間と、向かい合って飯を食う。数ヶ月前の俺には考えられなかったことが起こっている。これが奇跡じゃなかったら何なのか。


 だけど奇跡はこれだけで終わらない。

 野郎が二人向かい合って、ただひたすら楽しく飯を食うってだけの話では終わらなかったのだ。ただのメシ友が、ただのメシ友じゃなくなるなんて、この時の俺には知る由もなかった。

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