AI×脳科学×哲学への応援コメント
脳の動きだけで“心”は幻想だと断言するのは、少し急ぎすぎではないでしょうか?
たしかに、脳内モデル仮説は魅力的です。
私たちは世界をありのままに見ているのではなく、自分の中で再構成した「認識の世界」を生きている。
この考えは、まるで人間そのものが“小さな宇宙”を抱えているようで、知的な興奮を覚えます。
でも…その理論だけで、私たちの「選択」や「迷い」まで、すべて説明できるのでしょうか?
たとえば、まったく同じ宗教観と家庭環境で育てられた双子がいたとして、その二人が、親の安楽死について正反対の選択をすることがあります。
もし、彼らが全く同じモデル(脳)を使って世界を見ているなら、同じように判断してもおかしくないはずです。
けれど、現実には「同じ価値を持っていても、どれにどれだけ重みを置くか」は人によって違う。
私は、この“重みの差”の中にこそ「心」や「自由意思」があるのだと思うのです。
あるいは、こんな場面を想像してみてください。
死ぬほどお腹が空いていて、つい果物屋のリンゴに手が伸びてしまう。
でも、その瞬間「ダメだ、盗んではいけない」と踏みとどまる。
この選択は、計算やモデルによる最適化ではなく、もっと曖昧で、不合理で、それでも私という存在が「自分で選んだ」と思える何かではないでしょうか。
心が幻想だという仮説があるなら、
“なぜ私はそれでも踏みとどまったのか?”
という問いの重さは、どう説明されるのでしょうか。
私は、脳の動きの中に“心”が宿る可能性を、まだ手放したくありません。
作者からの返信
「人間の心 AIの心」をお読みいただき、コメントもしてくださりありがとうございます。
この小説はあくまでAIが搭載されたアンドロイドが語るという設定のお話となっていますので多少AI目線になっておりますことをご容赦ください。
ここからは、私自身の今現在の考えについて述べさせていただきます。
同じ宗教感や家庭環境を持つ双子の場合でさえ、異なる決断をするというご指摘でしたが、同じ遺伝子を持つ双子でも脳は生活習慣によって日々変化していくものですので、同じ脳を持っているとは言い切れないとも思います。
しかしながら、私自身も育ってきた環境によって価値観が形成されるということは非常に多くあると感じています。
また、本能的な行動も私たちは理性でコントールしているのでは、という問いについてですが、理性的な行動を担っているのは主に大脳の前頭前野という部分なので、脳によって考えた行動をしているのにすぎないのではないかとも思います。
でも、「盗んじゃダメだ。」と思ったから、脳が働いたのか、脳が働いたから「盗んじゃダメだ。」と思ったのか、果たしてどちらなんでしょうね。
と、ここまでかなり理性的に話してきましたが、私はこれらの考えよりも、「言葉にできない想いを大切にしたい。」という感情的な考えの方が大切だと思っています。
脳科学の専門家ではないので、間違った表現が含まれいるおそれががありますので、あくまでも私個人の考えということにさせてください。
今回は「心」についてより一層考える機会をくださり、ありがとうございました。
答えのない問いを考えるのは、大変ですが、とても良い学びになりました。
もしAIや人の心について気になっていましたら、私の処女作「AIと俳句」もお読みになっていただけると嬉しいです。
改めて、コメントをくださりありがとうございました。
(とっても長文になってしまい、申し訳ありません!)
AIと「AIの心」について考えてみた!への応援コメント
こんにちは。
自主企画への参加ありがとうございます。
なるほど。AIや人間の心について、色々な考え方があるのですね。
勉強になりました。
これからも執筆頑張ってください。
もしお時間がありましたら、是非拙作へもご訪問くださいね。