第5話④

「貴女が気に病むことはないわ、シスター・アザレア」

 教会に戻ったベネティスカは、ノアに克尊から呼び出された理由などを報告していた。

 彼との会話でどのような糾弾を受けたのかを中心に、その際起きた出来事をかいつまんで説明すると、それを聞き終えたノアは彼女を労わり慰めの言葉を口にする。

「禁書の盗難は、元々教会の警備が甘かったことに責任があります。批難されるのは私を始めとした担当の人間であって、貴女が責任を感じる必要はないことよ」

 断言する形に、ベネティスカは思わず口を開きかけたが、その眼前にノアの手が掲げられる。

 反論を事前に制すると、ノアは微笑む。

 その目は穏やかかつ優しげで、どこか哀しげだった。

「その様子から察するに、社城氏に手厳しいことを言われたのでしょ? 私こそ、ごめんなさい。矢面に立つべきは私であるべきだったでしょうに」

「いえ。あくまで仲介の役目は私でございます。彼からの苦情や糾弾を引き受けることも、その職責には含まれておりますので」

「生真面目ね。そこが、貴女の美点でもあるけど」

 勤勉な彼女に対し賞賛を口にしながらも、ノアの表情はやはり暗い。

 自分が負うべき責任への叱責を、ベネティスカのような落ち度もない娘に受け止めさせてしまったことに苦い心境を覚えているゆえだろう。

 同時に、彼女自身が責任をノアなどには転嫁せず、あくまで自分が咎められるべきと考えている様子には、不安や悲しみを覚える。彼女の身を案じているというだけでなく、自身の贖罪にさせてほしいことを含め、責任はノアにあるのだと割り切ってほしいのが率直な心情だった。

 ともかく、これ以上克尊との関係の亀裂を放置するわけにはいかないと、ノアは話を進める。

「彼への弁明は私が引き継ぐから。ちょうど今夜、彼の元へ出向く予定です」

「そうなのですか?」

「えぇ。向こうから、正確には彼の上司からの呼び出しがあったの」

 腕を組んだ上に持ち上げて手の指を頬に添える形で、ノアは事情を説明する。

「社城氏が発見した禁書の件も含めて話し合いがしたいそうよ。どうやら彼がこれを入手したのは、《復古》の行方を探っていた際に立ち寄った場所においてという話だから」

 そう言って彼女が指したのは、ベネティスカが持ち帰った魔導書だ。

 用向きを理解した反応を見せる彼女と、二人はお互い視線を相手に戻す。

「その発見場所というのは?」

「無人のはずの住宅だそうよ。彼独自の情報網を元に動いていた結果、発見したという話ね。その経緯についても確認しながら、改めて相談を行なうことになっている」

 ノアが語ると、それを聞いたベネティスカが今になって初めてその背景を知ったことに再び反省の表情を浮かべそうだったのを、ノアが「気にしないで」と宥め、話を続ける。

「貴女も一緒に来てください。彼との今後の連携のためにも貴女の同席は必要でしょうし、今日の件に関する蟠りだって早めに解消しておくべきだからね」

「お心遣い、痛み入ります」

 ベネティスカは、ノアに対して深々頭を下げる。

 言葉以上に、心から感謝を示している様はそこからもはっきりと窺えた。

 教会の長・修道院長という立場の面、組織も年齢も上との部分もあるが、それ以上にベネティスカは水木ノアに対しては常々敬意を抱いている。普段の言動の中では雑多な部分や感情的な態度を見せることも多々あるが、それ以上に自らの立場に奢ることなく、ベネティスカを始めとした周囲に気配りや親切に振る舞える人物だ。自身の労を惜しまずに芯を持って一貫している人となりを、ベネティスカも尊敬している。

 やがて、ノアの指図を元に日没あたりに出発することが決まると、ベネティスカも万全を期すため準備に取り掛かるのだった。


   *


 洋館に着いた二人に出迎えはなかったが、すぐに敷地に入って屋敷へと向かう。

 インターホンを鳴らして訪問を伝えたところで、克尊が「早く上がれ」と促してきたためだ。

 その声から、彼が今なお不機嫌なのだろうと想像がつき不安も覚える中、ベネティスカとノアの二人は玄関へと上がる。

 そこでも出迎えはなかったが、どこに向かうべきかは何となく察しがついた。

 一階にある一室から、はっきりと人の気配が感じられたからだ。

 前に上がった際にも通された部屋だとベネティスカが伝え、二人は共にそちらへ向かう。

 開けっ放しになった扉の向こうでは、こちらへと目を向ける体勢でソファに座っている克尊の姿があった。

 何やら書類に目を通す彼は、おそらく彼女たちの存在にも気づいているのだろうが、顔を上げる様子はない。

 さてどうするべきかと考えていたところ、ノアが一礼してさっさと部屋入っていく。

 正直判断に驚きはしたものの、ベネティスカも頭を下げて彼女に続き、座ったまま見向きもしない克尊の正面で立ち止まった。

「ごきげんよう。本日もよろしくお願いします」

「その前に、何か言いたいことがあるんじゃないか?」

 勝手に入室してきたことを責めることはなく、しかし苛立っているのは伝わる硬い声を克尊は放ってきた。

 そこでようやく顔を上げた彼の目は、ベネティスカへと向く。

 思わず彼女の表情は強張るが、じっと目線を固定されたことで、意を決して口を開く。

「禁書の件、申し訳ありませんでした。事情を隠していたこと、改めてお詫びいたします」

「その話じゃない」

 即座に克尊が否定したため、これにはノアが不審がる。

 ただ、ベネティスカの方はすぐに何のことか理解した様子で、返答は早い。

「本日は大変不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。彼女たちならびに、その教育機関に対しては然るべき対処を求めていく所存です」

「……出来るのか?」

「分かりません。ただ……」

 思わず、ベネティスカは言い淀む。

 正直なところ、安易に確約することは出来ない。

 しかしながら、ここは自分の素直な心境や考えを伝えるべきだろうと、彼女も思った。

「私とて、ああいった使い方をされることには違和感といいますか、不信感を抱く気持ちはありますから。あれを一般的なのものにしてはならないとは、強く感じています」

「そうか」

 あくまで努力をする程度の表明、具体的な手段も示さず、効力すら何もない口約束の類であったが、彼女の言葉に対して克尊は不満をみせない。

 不快さすら見せる素振りはなく、相変わらずの不愛想な態度ではあったが、納得した様子を窺がわせていた。

 意外なほどあっさりと聞き入れたことに、ベネティスカは不審よりもまず安堵する。

 一方でノアは、二人のやりとりにその件の事情に関してはあまり把握していなかったこともあって怪訝な面持ちをしていたが、当人たちの間で何か他の事案があったのだろう程度のことは推し量れたようで、この場では静観を続けていた。

 ややあって、克尊は手にしていた書類を傍らに置くと、顎で二人に対面のソファを指し示す。

 座るといい、そんなジェスチャーだ。

「ここに呼び出した政府の人間、この前アンタらも会った濱とかいう奴だが、遅れてくるそうだ。本来ならしばらく待つべきだが、話だけならすぐに進めることも出来る。どうする?」

 彼女たちが指図に従ってソファに腰かけると、入れ替わるように克尊が立ち上がる。

 そしてそのまま、部屋の入口へと向かったため、二人は思わず顔を合わせてから振り返った。

「あの、どちらへ?」

「必要なら、話し合いに使う予定のものを持ってくる」

「分かりました。ひとまず、よろしくお願いします」

 彼の意図を理解して承諾すると、立ち止まりノアたちの意思を確認していた克尊も頷き、部屋から出ていく。

 とはいえ、そこからあまり長い時間を待たされることはなかった。

 数分も経たないうちに、彼は話で触れた物を手に戻ってくる。

「気になっているだろう情報は書いてある。先に読んでおくといい」

 そう言って、彼は二人にそれを手渡す。

 受け取ったものは資料と察しが付く文書で、十数ページほどにまとめられている。

 所々で図解のようなものもついており、見やすいレイアウトで作成されていた。

 それを見て、ノアが少なからずの疑問から首を傾げ、克尊に振り向く。

「これは、ご自身で作られたものですか?」

「まさか。証言を元に用意されたものだ」

 意外そうに驚く相手に、克尊は微かな失笑を漏らす。

 勝手にそういったものを作るスキルがあるのかと疑われたことも含め、彼の言葉には自嘲めいたものが窺えた。

 軽く失言だったことを密かに自省しつつ、ノアはベネティスカと資料に目を通し始める。

「少し、質問をよろしいですか?」

 内容を読み進める中、ベネティスカが小さく手を挙げる。

 克尊が「どうぞ」と受け入れると、ベネティスカは文章の一部を指差した。

「ここに記されている、情報源の人物というのは?」

 彼女が触れたのは、魔導書があった場所に関する情報を克尊が入手した下りについて記している部分だ。

 それによれば、彼はとある人物の情報筋から、そこに《復古》がいたという証言を受けたと記されていた。

 彼女の問いに、克尊は少しだけ考える素振りを見せ、しかしすぐに結論をつけて答える。

「それについては秘匿にさせてもらう。そういう契約だからな」

「では、質問を変えましょう。その情報源の人物は、信頼に値すると判断できる御方なのですか?」

「時と場合による、としか答えようがないな」

 視点や切り口を変えて情報を探る相手に、克尊も多少なりはぐらかす。

 何か後ろめたい問題があってごまかしているように見えなくもないが、身分などを一切秘匿にすることを条件に情報を提供させたのだとすれば、そう答えるのも仕方ない。

 ただ、何があっても決して口にしてはならないという訳ではないと、すぐに克尊は明かす。

「それについては、あの男が来てからでもいいだろう。何度も同じ説明をするのは面倒くさい」

「なるほど。分かりました」

 やや自分勝手な主張のようにも聞こえるが、ベネティスカは異論を挟まない。

 実際、何か複雑な事情があるのであれば、何度も同じ内容を繰り返すよりも、一同が介したところで済ませた方が効率的である。

 質問した訳ではないノアも含め、二人は彼の説明に納得していた。


「濱晋十郎なら来ないようだよ」


 声は、三人の誰のものでもなかった。

 男の声だが、克尊のものではない。

 ただし全員、その声には聞き覚えがあった。

 その証拠に、声を聴いた瞬間にベネティスカとノアの表情が強張る。

 唯一変化させなかった克尊も、顔を横へと向けていた。

「勘のいい男だ。ここに来るといいながら、本人は別の手を打ち始めたようだ。ひょっとしたら、それなりの戦力を寄こすための手筈を模索しているのかもね」

 克尊の目線の先にある虚空から、嗤い交じりでそいつは姿を現す。

 蜃気楼のように揺らいだ空間から姿を見せた青年の姿に、ベネティスカとノアが思わず立ち上がり、全身を強張らせて警戒態勢を取る。

 彼女たちに、青年はにこやかに笑いかける。

「おやぁ、これはこれは。また会ったな、お嬢さん方」

 剣呑な視線など歯牙にかけない様子で、微笑と共に雪地要は手を振った。

 好意的な所作であるが、それに対する二人は対極的な態度だ。

 特にノアは、すぐにでも動き出せる臨戦態勢である。

 何とか浮かべただろう笑みも、その目は敵意ゆえに鋭く輝いていた。

「えぇ、お久しぶりですね。ご息災でしたか?」

「うん。元気も元気。そこの女の子から話は聞いているんじゃないか?」

 刃のような眼光で貫かれても動じることなく、要はベネティスカを示す。

 話に挙げられた当人は、ますます緊張を高めた様子で彼を見据えた。以前遭った時はかなりの怪我を負わされた相手ということもあり、友好的な態度など取れるはずもない。浮かぶのはあくまで警戒と緊張、胸に秘めている感情も怒気や不愉快さだけだろう。

 彼女たちの険悪な態度に、要は残念そうに肩を竦めた。

「怖いな。もう少し穏やかにしてほしい。それじゃあせっかくの美人が台無しだよ?」

「何故ここに? 随分と大胆な行動を取りましたね」

 挑発めいた態度に気を取られることなく、ノアは冷静に指摘していた。

 言葉の通り、ここは要たち《復古》からすれば敵の真っ只中だ。

 克尊が寝食の場としている場所であり、現在に限っていえばノアたちも来ている。

 そこへこうも堂々と足を踏み入れてきたのは、不敵とも迂闊とも表現できた。

「そうかな? ちゃんと対策をした上でやって来たわけだから、無謀ではないと思うけど」

「対策?」

 要の言葉に、ノアは眉を顰めた。


 直後、彼女は突然、その場に膝をつく。

 ベネティスカも同様だ。

 自らの意思ではなく、突然身体の自由が利かなくなったような感覚と共に、体勢を崩していた。

 

 予期せぬ出来事に二人は瞠目するが、流石は歴戦の魔術師だけあって、攻撃に備えて咄嗟に身構える。

「何が起きた、といったところかな? とはいえ、すぐに気づくと思うけど」

 二人の反応、取り乱しもしない態度に、要は感心した様子で微笑んでその姿を眺める。

 そして、何が起きているか分からない二人へのサービスとして、説明を始めた。

「ちょっとした呪詛の類だ。君たちが目にしたものには、金縛りの類を引き起こす仕掛けを潜めさせてもらった。短時間ではあるけど、魔術耐性が強くても関係ないレベルのものをね」

「――まさか」

 彼からの説明を受け、その中で覚えた言葉の違和感の正体を、ノアはすぐに理解した。

 思わず瞠目し、悄然と呟く彼女に、ベネティスカも続いて気がつき、彼女が何を悟ったのかを把握する。

 だが、ベネティスカは、すぐには信じられない。

 正確には、信じたくない事実だった。

 そんなことはありない――あって欲しくないというのが本音となるだろう思いが、ベネティスカの脳裏と胸中に駆け巡る。

 そんな彼女の思いを嘲笑うかのように、要は彼に歩み寄る。

「いやー、成功成功。ばっちり上手くいったね」

「気安く話しかけるな」

 親しげに笑いかける要に憮然として言い返す姿は、これまでの自分にも見せていた態度そのままで――


 克尊が自分たちを裏切り、《復古》の側に与した事実を証明するには、充分すぎる光景だった。

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