第3話④
気を失っていたベネティスカが目を覚ましたのは二時間以上後のことだ。
数秒ほどのまどろみを経て瞼を持ち上げた彼女は、見知らぬ天井を映す視界と寝かされたベッドの不慣れな感触に固まる。
だが、意識を失う直前までの記憶からすぐに状況を理解したようで、慌てふためく様子は見せなかった。
戸惑う素振りすらなく、ひとまず冷静な判断力を取り戻すために細く長い深呼吸をつく。
「あら、起きたみたいね」
ベネティスカが起きたことに気づいた様子で、声が掛かる。
ここがどこの治療施設なのか考え始めていたベネティスカが振り向くと、部屋の壁際にいた二人がこちらに振り向いていた。
一人は克尊で、もう一人は面識のない浅黒い肌の男性だが、白衣を羽織っていることから医者だと推測はつく。
もっとも、その顔面に厚化粧をしていることが印象としてはあまりに強烈で、反射的に表情が強張る。
医療現場において化粧の濃い人間自体が稀有だが、それを男性がしているのは更に少ない。
思わぬ面に出てしまった反応に、しかし相手は気にした素振りなく、むしろ彼女に緊張をさせてしまったことを詫びるかのような雰囲気で近づいてきた。
「はじめまして。ここはとあるバーの裏にある診療所。そして私は、こんな顔だけども見ての通りのお医者さんの、丹波百世という人間よ」
やや冗談めかした名乗りを上げ、彼はベネティスカが疑問に抱いているだろうことを先んじて伝える。
強面にハスキーな声ではあるが、声色は不思議と相手を落ち着かせる感じがあった。
もしかしたら、オカマと呼ばれた者たち特有の優れた話術の賜物なのかもしれないが、それはさておき、ベネティスカはなおも疑問が残っているのか訝しんでいる様子を見せる。
それが何に対してのものかを、百世はすぐに見抜く。
「さっき、この子を追って着いた場所で大怪我したでしょう? そのまま気を失っちゃったからと、この子がここまで運んできたの」
「……ここは、正規の? それとも、一般人では利用できない場所でしょうか?」
「あらま、鋭いわね。確かに、普通の人間がここを使うことはないわ」
自身の説明に返って来た更なる問いに、百世は驚きと感心を浮かべる。
負傷による気絶から覚醒したばかりだというのに、ここまで頭が回るということは元から聡明かつ怜悧な頭脳を持っていることは他ならない。
克尊が運んでくれたということや百世の恰好、もしかしたら医務室内の内装なども含んだ上での推測があっての質疑で、隠す必要はないと考えた百世も素直に答える。
「私のことを判りやすく呼ぶなら、『闇医者』という奴ね。ちゃんと医師免許そのものは持っているけど、正式に病院を開いているわけじゃないわ」
「少なくとも腕は確かだ。自分の身体をみれば分かるだろう」
疑問に答える百世に続き、壁に背を預けたまま克尊も口を開いた。
そう言われてベネティスカが視線を落とすと、確かに身体の負傷部分はちゃんとした処置が施されている。
包帯と共に、身体の動きを多少制限するためか、サポーターによって負傷部位の周りが固定されていた。
説明に納得したベネティスカは、しかしすぐにとある異変に気付いて眉根を寄せる。
あまりにも自然で思わず忘れそうになるも、すぐには納得できないことがあった。
「私の腕は、折られていたはずですが」
「あぁ。それは私じゃなくて彼の処置よ。そういう魔術も習得しているから」
彼女の疑問に答え、百世は克尊の方を顎で示す。
雪地によって折られた左腕と右脚の骨を治したのは、百世の治療ではなく彼の魔術によるものらしい。
条件さえ揃えば、そういった芸当も可能な魔術が確かにあるとはベネティスカの見識にもあったが、実際に扱える人間の数はそう多くない。
治癒魔術は、創作などで便利な扱いで使役されるため簡単なイメージがあるが、実在するもののほとんどは治癒を促す程度のもので、大怪我を元通りにできるほどの腕前がある魔術師は極めて稀なのだ。
改めて、彼女は克尊の持つ技量の高さに驚きを覚えるが、当の本人は何を考えているのか無言のままだ。
特に反応も示さない彼に、百世が小さく微苦笑を浮かべてから視線を戻す。
「ただ、折れた骨や身体の傷は治したけれど、あくまで治癒には貴女の自己治癒能力を引き上げただけに過ぎないわ。その分のエネルギーは膨大に消費しているようだし、今は絶対安静にして頂戴」
「分かりました。あと、もう一つだけ」
百世からの指示に頷くと、また別の質問をベネティスカは持ち出す。
彼女は自分の身体へ再度視線を落とし、疑念を分かりやすく表情に浮かべる。
治療が施された彼女は、その衣服が修道女としてのものではなく、入院時の患者が身に着けているような治療服に変わっていた。
それへの怪訝を、相手も悟った反応を窺ってから、改めて尋ねる。
「この恰好になっているということは、その……」
「着替えさせてもらったのは私よ。元の服だと、汚いわけではないけど一応ね」
「いえ。それは、構わないのですが」
彼女の懸念を悟った様子で伝えた百世であったが、返って来た曖昧な否定の声に訝しがる。
それに対しては、ベネティスカ側もどう伝えたものかと言い淀み、しばし言葉を探す。
「聖衣のことか? 元々知っている」
彼女の考えに気づいて応じたのは克尊だった。
どこか会話における助け舟を出した形となった成り行きもあり、彼は振り向いた二人に対して続ける。
「魔導教の魔術師が着ているのはただの修道服ではない。戦闘時や魔術を使う際、防具や補助の役割を兼ねて身に纏う装飾だろう。それが解除されれば、元の服装に戻ることも知っている」
「そう、でしたか」
彼の言葉を聞いて、ベネティスカはやや安堵したように息をついた。
そう大した話というわけではない。
魔導教に属する人間が執務で身に着ける修道服は特殊な装備で、本来は実体を持って存在しているものではないのだ。分かりやすく例えるならば、変身ヒーローが戦う時に身に着けるコスチュームのようなもので、その場では確かに実物同様に存在をするが、使い手の意識が途絶えた場合や、意思一つで実体を無くしてしまうものである。
装着者などの魔力によって構成・維持されている者である特性から、その分防具としての性能は見た目以上に高く優秀で、戦闘や活動における難点はほとんどない。
ただし、先ほどのように気絶している最中に意図せず消滅することも多く、その様子を知らない人間に目撃されることには抵抗や不安がある。
単純な羞恥心を感じるだけの場合で済めばいいが、それによる様々なトラブルが発生して苦労した同輩の話を、ベネティスカは何度か耳にしていた。
幸いにしてそのような危惧が無用であることは、克尊の話から伝えられる。
「気絶して少ししたら、自然と消えた。元の服は、こいつが脱がせたそうだ」
「失礼な言い方ね。それについては今さっき言った通りでしょう」
言葉による表現が不満だったため、百世は克尊を睨む。
骨折などの大きな怪我こそ克尊が治したとはいえ、傷の数々や失血などに対する処置や治療に尽力したのは百世の方だ。
睨みつけられた克尊が軽く手で制しながらも顔を逸らすと、百世は憤りこそ収まった様子ではなかったものの、気を取り直すように咳払いをして、ベネティスカを見る。
「まぁ、細かいことは今はやめておくわ。質問があれば聞くけど、重要なのはしばらく絶対安静ということ。少なくとも二・三時間はここで横になってもらって、その後の経過で次の処置を考えるわ。その間、何かあったら彼をこき使って。警護も兼ねて、雑用も任せておくから」
この場ですべてのことを一気に説明するのは身体に障ると慮ってか、彼は手短に話を要点だけまとめて伝える。
受け答えの様子から心配はないと思ってはいただろうが、当初の怪我の状態からの寝起きでは、説明された情報の整理を行なうことにも負担があるという配慮が含まれていた。
説明にまぎれ、さらりと雑用係を押し付けられた克尊だが、彼はそれに対する不満を出すこともなく平然としており、他方、ベネティスカは謝意を示して小さく頭を下げる。
「すみません。いきなり、こんなにも気を遣わせてしまいまして」
「貴女が気にすることではないわ。反省しなきゃいけないのは、別のお馬鹿の方だから」
笑みを含んで告げる百世が、具体的に誰のことを指しているかは想像に難くない。
視線すら向けないが、背後のそいつのことを念頭に彼は言う。
「年頃の女の子を危うく傷物に、あまつさえ命の危機にも陥れたのだから。本来煮るなり焼くなりされて然るべきよ」
「俺はそこまでの過失を犯したつもりはない」
「あら? じゃあ彼女が悪いとでも言いたいのかしら?」
振り返って尋ねる百世に、克尊は何か言おうと口を開きかけるが、すぐに噤む。
ベネティスカには見えない位置から、百世が普段よりも鋭い眼光で貫いたためだ。
その剣呑さに尻込みした面もあるが、当人も自分に非がある自覚は一応持っていたのもあって、強くは言い返せない。
「あまり、社城さんを責めないでください。実際、悪いのは私の方ですから」
二人のやりとりに、ベネティスカが釈明する。
「私が黙って後をつけていた上、隠れていたところを敵に捕まったのですから。過失は、すべて私の方にございます」
「それは……。いえ、分かったわ。でも、あまり自分を責めないようになさい」
ややへりくだり過ぎているようにも思えるベネティスカの弁に、百世は何か思うところがあったように否定を口にしかけるが、止める。
今このような場で、そういった責任の所在について討議を続けることで得するものはないと判断したためだ。
過失が誰にあったかなど、そもそも個人間で行なうこと自体が無益である方が多い。
話を打ち切り、百世は壁に取り付けた時計の時間を確認すると、顎を引いた。
「悪いけど、私はしばらく外すわ。そろそろ開店だから」
「分かった」
彼の言葉に、克尊は頷く。
そろそろ、百世が本来営業しているバーを始める時刻であることは承知しており、それを引き留めるつもりは毛頭なかった。元々、いきなり押しかけてベネティスカの治療を頼んだことへの引け目はちゃんと持っており、相手の本業を妨害するような傍若無人な真似を行なうつもりはない。
百世はベネティスカにも断りを入れると、脱いだ白衣を壁際に掛けて医務室を後にする。
後に残され、二人の間にはしばらく無言が続くが、決して重苦しい沈黙が下りた訳ではない。
互いに思っていることはあっただろうが、先に口を開いたのは、何から話せばいいかを考えていたベネティスカの方だった。
「助けていただき、感謝いたします。それと、申し訳ありませんでした」
改めて、彼女は克尊に対して頭を下げる。
「勝手に尾行していたことは信頼を裏切る行為であり、しかも相手に人質となったことで戦いの邪魔をしてしまいました。これは、申し開き様のない失態です」
「そういうのはやめろ」
謝罪の言葉を紡ぐベネティスカに、克尊はどこか憮然としていた。
「本心であれ建前であれ、そういう文言は嫌いだ。まぁアンタの場合、それが本心からだと想像はつくが」
「お心遣い、感謝いたします。ですが、本当に――」
「やめろ、と言ったはずだが?」
「……分かりました」
やや強引さも含みながら留める克尊に、ベネティスカは引き下がる。
彼女からすればもっとちゃんと謝意を示したいところであったが、これ以上食い下がるのはかえって嫌がらせとなるだろう。
「しかし、それとは別に、こうやって治療していただいたことには本当に感謝しています。確かに今は動いてはならないと思いますが、これなら早々に動くことが可能になりそうです」
「日常生活の話か? それとも魔導教の職務としての話か?」
「正直に述べますと、魔導教の職務の方ですね」
「勤勉だな」
「賞賛と受け取らせていただきます」
克尊の評を、ベネティスカはクスリと笑って受け取る。
顔色などから、まだ万全の体調とは程遠いのだろうが、会話の様子から衰弱はおろか、不調そうな印象も見られない。
あるいは気丈に振る舞っているだけかもしれないが、克尊はそんな相手にしばらく黙り込んでから、天井に視線を逸らして口を開いた。
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