第3話①

「貴方、本当にデリカシーがないわねぇ」

 深々と、溜息混じりに言葉を漏らしたのは百世である。

 一昔前にオーソドックスであった姿と表現できるオカマが浮かべる呆れ顔に、その矛先にいた克尊は胡乱げに眉根を寄せた。

「いきなり何だ?」

「何だ、じゃないわよ。ここを連絡場所にするって言ったのは貴方でしょう」

 閉店中のバーは、当然として客の姿はない。

 時間帯はまだ午前中なこともあり、夜分が主戦場である店の性質を考えれば、部外者が店内に入れることの方が驚きだろう。

 克尊が『話がある』と真面目な顔で言ってきたため、厚意によって招き入れた百世ではあるが、肝心の用件を聞いた結果が今しがたの反応だ。

 どうも克尊は、自分の新しい仕事である魔導教との協同捜査において、このバーを情報交換の場と利用しようと考えていたらしく、その許可を百世へ伝えてきた。

 それに、百世はご覧の通りの難色を示している。

「ここは酒場よ。そんな所に未成年の女の子を連れ込むのが問題ないと本気で思っているの?」

「未成年とか関係なく、そいつも魔導教という組織の一員だ。そこの折衝役であるのだから、大した問題ではないと思うが?」

 反論を半ば不思議そうな様子で口にする克尊を、百世はじっとりとした瞳で見返す。

 自分を頼ってくれることに悪い気は全くないが、願い出に関していえば『こいつ正気か?』と考えていることが、発言からも表情からもはっきり伝わるだろう。

 実際に言葉にもしたが、問題なのは利用するための理由ではなく倫理的なことだ。

 克尊自身もそうだが、説明を信じるならば連絡役の相手も未成年、しかも少女であるという。

 そんな子を日中からバーに連れ込むなど人目につかないはずもなく、事情を知らない周囲から良からぬ風聞も立ちかねない。

 しかし、克尊はそんな懸念など構いもしていないのか、百世の苦言を軽く流す。

「それに、内容のことを考えても人目は避けるべきだ。開店前のここならその点の問題ない。アンタが情報を外に漏らさない限り、な」

「……貴方、人の嘘は見抜けても、人の心はまったく分かってないのね。相も変わらず」

 再び溜息をつきながら、百世がげんなりと告げる。

 対して克尊は訝しげに首を傾げる様からは、やはり何が問題だというのか分かっていない様子が窺えたため、百世はいい加減気に障ったのか鋭い眼光を浮かべた。

「あのねぇ、まだ若い女の子が、こんな地下の胡散臭いバーに連れ込まれ気分良くないでしょう。何かされるのではないかと警戒するだろうし、怯えられても仕方ないわ」

「自分で言うのか、胡散臭いバーだと」

「おだまり。大体、その子って普段は留学生として学校にも通っているのよ」

 相槌のように皮肉を口にする様が相変わらずの克尊に、百世は有無を言わさぬ調子で返す。

 彼の発言に、何故ベネティスカに関する情報を詳しく知っているのかという疑問も浮かぶところなのかもしれないが、今の会話の流れでわざわざ尋ねるようなことを克尊はしない。

 情報通な彼が、いつの間にか調べ上げていても不思議ではないからだ。

「事情を知らないだろう同級生や学校関係者に、もしもここへ入るところを見られようものなら、その子の風評や立場に問題も起こるのよ? 公私の両面で迷惑が掛かるという発想はないのかしら?」

「それは、今気づいた」

「貴方ねぇ……」

 素直に打ち明ける克尊に、百世はかえって呆れた様子で項垂れた。

 この少年が正直に答えることそのものが珍しく、それだけ自分のことを信用してくれていることは百世にとっても嬉しいことではあるが、今回に限っては多少罪悪感を覚えて誤魔化そうとして欲しかった方でもあっただろう。

 白状したことには面と向かって罵声を浴びせるような大人げない真似をしない人物でもあり、百世はほとほと呆れ果てながらも、気を取り直して克尊に提案する。

「少なくとも、ここではなくもっとそれらしい場所を選びなさい。魔導教の教会まで出向くのが遠出なのは聞いたけど、年頃の少年少女が一緒にいても不思議ではない所を選びなさいな。カフェとかカラオケとか、そういう場の方がごまかしも利くわ」

「そういう場所で、機密情報の交換をするというのもどうなんだ?」

「もしかしてだけど、そういう場所を普段利用しないからって避けようとしている訳じゃないわよね?」

「………………」

 疑いの目を向けられると、克尊は口を噤んで顔を逸らす。

 悪びれもおどける様子もなく、自然な所作で逃れようとする彼に、百世は内心にて『この野郎……』と湧き立つ感情が、ほんの少しだけ表情に浮かび上がる。

 が、それでもなんとか憤りを抑え込むと、落ち着きを払うように煙草を咥え直す。

「未だに友達もいないのね、貴方は」

「それは今の話と関係があるのか?」

「貴方ぐらいの年齢なら、友人や知人とそういう場を利用したことがある経験の方が多いもの」

「余計なお世話だ」

「ともかく、対面して連絡を行なうならば、もう少し場所を考えなさい。貴方のことだから盗撮・盗聴を警戒しているのでしょうけど、それぐらい事前に準備とか対策をしておけば、大概の場合は防げるはずよ」

「いっそ通話で済ませるのも有りか」

「――克尊。ちょっと今から説教するわ」

 未成年の前ということで煙草には点けなかった火であるが、代わりに百世の我慢の限界という意味で着火したようだ。

 強面という割にはあまり怖がられることがない人間だと、知り合いであれば多くは百世の人格をそのように把握しているが、今回に限っては、その容貌が効果的に発揮される形で迫力を伴っていた。

 常人であれば竦みあがるだろう圧が広がったため、克尊は動じた様子こそみせなかったが、面倒なことが起きそうなのは理解したようで、即座に逃亡の構えを見せる。

 が、行動の面でも発言の面でもみすみす逃がすつもりはなかったようで、百世はすぐに彼の肩を掴んで近くのカウンターの席に強引に座らせる。

 そしてその後、十数分以上にも及ぶ一方的な教育が幕を開けることになるのだった。


   *


「あの、急に場所を変更されましたが、何かございましたか?」

 本日も学校に通っていたのだろう、克尊の待つ指定場所に現れたベネティスカは制服の姿だった。

 魔導教の一員として動くのであれば修道服である方が適切かもしれないが、今後頻繁に連絡や情報を交換し合うことになると想定すれば、互いの服装はこだわるほどのものではない。

 盗聴などを嫌い、直接会って話し合うと決めた時点で自然と合意したことだ。

 学校帰りに直接やって来たのは間違いないはずの、ベネティスカの顔には少なからずの戸惑いが浮かんでいた。

 その理由は、今しがたの発言の通りである。

 当初に克尊が指定した場所は街中のとあるバーであり、ベネティスカもそれを了承していたのだが、昼間になって全く別の喫茶店――今こうして二人が合流している所へと変更したいとの連絡を受けたのだ。

 その時は特に不審感も覚えることなく快諾していたが、ここへ辿り着くまでの道中でようやくおかしいことに気づき、徐々に疑念や不審感を強めてきたのだろう。

 姿を見つけて声を掛け、半ば形式じみた挨拶もそこそこに、胸中に浮かびあがる余分な私情は先に処理しておくべきと考え、ベネティスカは訊ねていた。

 単なる疑問として触れただけだったが、それに対して克尊は、軽くだが頬を歪める。

 彼女に対してではないが、苦い心境を抱いているのが分かる反応ではあった。

「気にするな。こういう場所の方がごまかせると指導されただけだ」

 何か事情があるのは察しがつく、どこか辟易とした様子を滲ませながら克尊は答える。

 彼の様子に、それが自分に対するものではないとベネティスカも理解は出来たが、それでも気にならざるを得ない反応でもあった。

 待ち合わせ場所が地下にあるというバーという密閉空間から、テラス席がメインのカフェというまったく赴きの違う場所になったというのもある。大通りから外れているといえ、周囲と閉鎖された場所から真逆のオープンな場所という、全く異なる環境に変更されたことも、何かあるのではないかという疑惑に拍車をかける部分だ。

 ここのカフェ自体は、意外にも店前を行きかう通行人が少なく人目もつかない場所のようだが、それでも『ごまかせる』という彼の表現が、それを指しているとは思わなかった。

 彼女もまさか、それが年相応の男女が二人でいても目立たないという意味だとは、目の前の少年が触れてくる内容だと想像がつくまい。

「えぇっと……。指導、ですか?」

「あぁ。あまり詮索はするな」

「……承知いたしました。失礼いたします」

 淡白な返しのままを続ける克尊に、追及を続ければいい加減憤りを露わにするかもしれないと懸念を抱いたことから、ベネティスカも話を切り上げて対面の座席に腰を下ろす。

 客足もまばらなカフェテラスに陣取った二人に、店員がお冷のグラスを持ってやって来たために、ベネティスカはついでとしてアイスティーを注文する。

 前もって陣取っていた克尊にはすでにカフェオレが来ており、彼が追加で頼むものがないことを確認してから、店員はこの場を後にした。

 それからしばらく、二人の間で会話は途切れる。

 そもそも多弁ではないだろう克尊が自ら口を開く気配はなく、何を考えているのかカップに指を添えたまま机へと視線をじっと下ろしたままであったことから、ベネティスカは多少の躊躇いがあったものの、自ら話を振る。

「昨日は、あの後大丈夫でございましたか? 警察の方にかなり聞き込みをされていたようでしたが」

「解放された時も一緒だっただろう。特に、あれ以上は何もなかった。おかげ様でな」

 口も利きたくないというわけではないようで、克尊は素直に応じる。

 彼が無頼漢たちを返り討ちにした様は、贔屓目に見ても過剰防衛に取られておかしくない程度に凄惨なものであったが、ベネティスカも弁明に協力した甲斐もあってか、大した時間を要することなく事態は収束していた。

 とはいえ、彼女の弁護よりも遥かに大きな効果があったのは、その場での聴取の最中にかかってきた一本の電話に間違いないだろう。

 克尊曰く「上司かその関係者」からのものは、代わりに出た警官が話を聞き、その後に彼らが警察署へ折り返し確認をした結果、その場で克尊を解放することが決まる流れを作った。

 どのような連絡があったかの詳細は分からないが、それの中身については、権力側の対処などでのお約束からして想像に難くない。

 それに対しての個人的な感想はともかく、ベネティスカは克尊に安堵を示す。

「ならばよかったです。ですが、時折警察の方々は、釈放した後に尾行を行なうことや監視をなさることもございますから、充分お気をつけくださいね」

「言われるまでもない。その辺りは、今のところ大丈夫だ」

「なるほど。では、そろそろ本題に――」

「店員がそちらのものを運んできてからの方がいいだろ。念のため」

 前置きもそれなりにして本題へ入ろうとするベネティスカを、克尊が留める。

 場所が場所、周囲からの見晴らしも良い所だ。

 思いのほか人の気配が見受けられないことから盗撮・盗聴はしづらいが、可能な限り注意を怠らないことに越したことはない。

 警戒しすぎだと思う者もいようが、彼の考えも理に適ったもので、ベネティスカは頷く。

「とはいえ、あまりこちら側で目立った進展があった訳ではございません。新たに手がかりになるかもしれない要素が数点見つかったに過ぎません」

「そうか。こちらも同じだ」

 彼女のあらかじめの伝達に、克尊は言葉短く応じる。

 それだけで返すと彼は再び口を噤み、雑談すら交わす気もない様子で黙り込む。

 決して邪険にされているわけではないが、その態度にベネティスカは気まずさも覚える。

 留学生として来日してからというもの、海外からの来訪者の存在が目立ちやすいこの国の中においては、物珍しさから話しかけてくる人間に多く遭遇してきた。中には逆の人間、声を掛けづらそうに距離を置く人間もいないわけではなかったが、どこであっても必ずと言っていいほどに、自分に興味を持って近づいてくる人間がいたものである。

 そのため、面と向かってこうも無関心に放置されるのは久々で、彼女は戸惑う。

 幼少期ならばともかく、魔導教に属してからは滅多に経験しなかった状況だった。

 幸い、早い段階で店員がベネティスカの注文の品を持ってきてくれたため、両者の間の空気が重く沈みこむまでは至らずに済んだ。

 愛想を振り向いて品を差し出した店員が踵を返したのを見届け、同じく愛想よく応じていたベネティスカに向け、克尊が口を開いた。

「昨日も伝えたが、怪しい人間の名前だけは分かった。リーダーなのか、あくまで幹部なのかが不明で、そもそもそれが集団なのかさえ把握出来ていない」

「えぇ。それに対する私どもの見解も同様です」

 アイスティーを机に置く傍ら、ベネティスカは学生鞄の予備ポケットから、密かに仕込んであった資料を取り出すと克尊に手渡す。

「久吉なる者に関して調査しましたが、関連がもっとも疑わしいのは、かつてこの国に存在した魔術師の家柄の人間という可能性になります」

「俺も同じことを考えていた。とはいっても、あまりその一族に詳しいわけではない」

 ベネティスカが口にする推測に、克尊も賛同する。

 渡された資料に目を落とし、軽く眉間に皺を寄せながら、記された情報を読み取っていく。

 そこにあるのは、久吉家という家系の過去の業績や、善悪を問わず関係してきた事件の数々と概略、そして近年において最盛期から遥かに衰退を辿って没落を遂げるに至るまでの経緯に関するものだ。

 ここ最近では嫌となるほどに見かける文面は、今回もそこには存在した。

 自然と、克尊も僅かに頬を歪める。

「『AI魔法技術の利用に反対活動を事由に没落』――またか」

「同じ魔術の家系ということでの面識はなかったですか?」

 ベネティスカが訊ねると、克尊は一瞬だけ怪訝そうに顔を上げるが、すぐに質問の意味を理解した様子で「あぁ」と腑に落ちた反応をみせる。

「この国だと、魔術師に携わる家系は大なり小なり多岐に渡って存在していた。それぞれ専門が異なる形だ。だから、すべての魔術師一族が深い付き合いがある訳ではない。その点が、他国にはあまりない特異な部分でもある」

「なるほど。失念しておりました。申し訳ありません」

 解説してもらったことへの感謝と、わざわざ答えさせたことを詫びる返答に、微塵も気に障るようなことでもなかったことでもあって、克尊はわざわざ反応することさえない。

 その意図が伝わったのか否か、ベネティスカもすぐに話を戻す。

「しかしながら、資料にもあります内容からすれば、その容疑者が該当の出自であった場合、正体についてはだいぶ絞られると思います。これは、万国共通のパターンと存じますが」

「失墜した魔術大家としての抗議行動、延いてはテロリズムか」

 これもまた、近年ではよくある事例であり、克尊は辟易した様子をみせる。

 昔から、人工知能などに仕事を奪われた人間はどうすればいいのかという議論は盛んであったが、実際にそうなって役割と利権を奪われた魔術の分野においては、その反感や憤怒から権力者や組織への過激な攻撃行為に走る者というのが後を絶たなくなっていた。

 実際にその手の行為に及ぶ者たちの現場・事件に遭遇したことも少くないためか、克尊だけでなくベネティスカの表情も暗くなる。

「はい。もちろん、その人物が推測通りの出身かどうかまでは不明なので、断定はできませんが」

「しかし、可能性はかなり高いだろう。下っ端が未熟とはいえAI魔法以外の魔術を使っていた点から考えて、親玉が生粋の魔術師であることは想像に難くない。元々が魔術を生業としていた家柄の人間が、それ以外の出自の人間の下につくのはほぼありえない」

「魔術師の家系である矜持ゆえ、ということですね?」

 確認するように訊かれると、克尊は首肯した。

 現代において、AI魔法は様々な分野に利用されるほどに発展を遂げ、今世紀における最大の文明の利器として歴史に刻まれるだろうとまでいわれるまでに隆盛を遂げている。

 一方で、そのような形態の魔術が世に溢れたことにより、古くより才能を必要として研鑽を続けてきた魔術を家業とする者たちはその優位性を失い、一族の急激な衰退と滅亡などの事態に見舞われているのが大多数だ。

 先祖代々の苦難を経ての業績を無に還されたことに、魔術師の大部分は、AI魔法という技術そのものへの強い反感や憎悪を抱いている。

 そんな彼らが、その技術を扱う人間の下につくことは考えづらい。

 打算としてなら有り得るのかもしれないが、家業として代々受け継いできた技能や特権を持つ一門の者というのは、常識では測れないような『矜持』を持っているものである。

 時にそれは常軌を逸脱したもの、論理そのものが破綻しているのにさも絶対的真理かのように崇められているまでのもので、言うなれば宗教における信仰の対象そのものといえよう。

 それだけもの、企図する大望があったとしても折り曲げる者は稀有といえる。

 魔術師の家系に生まれた者同士、そのことは二人も理解できる感性はあったが、その上でベネティスカは柔軟に推測を試みる。

「ですが、例外もあると思います。中には、そういった者につく場合もあります。まだ断言は出来ないことかと」

「その論拠は?」

「貴方自身、そうではございませんか?」

 指摘されるも、克尊は表情を変えず黙り込んだままだ。

 先ほどから時折げんなりと険しさが滲むことが多かった彼の顔は、今は完全な『無』となっている。

 ベネティスカの言葉が図星だったからというわけではないだろう。

 ただ、文字通りに何もないことによる顔つきでもない。

 むしろ、ありとあらゆる数多の感情を交え合って混合し、その全てを圧倒的な理性で潰して平らげた、そんな消し去らせたことによって生じた虚無と見るべきだろう。

 もう少し、人間味のある常識的な反発や受け流しが返ってくるのではと思っていたこともあり、ベネティスカは流石に自らの発言を省みる。

「……申し訳ございません。失言でした。深くお詫び申し上げます」

「いや、そういう訳ではない。ただ、別のことを考えていた」

「それは、どのような?」

 克尊の反応がごまかしの類、真意ではなく話を逸らすために接いだものだと気づいたが、そうとは言及せず、彼からの返答を待つ。

 対して、克尊は何やら考え込む様子で黙っていた。

 言葉が思いつかず迷っているように見えたが、ただ単にそれだけではない、言うこと自体を迷っているかのような雰囲気にもみえる。

 ただ、ベネティスカが大人しく言葉を待っていたこともあり、やや観念するかのような様子さえ滲ませて、口を開いた。

「こういった場所が不慣れだから、色々と迷っていてな」

「……?」

「あまり好きではない。外から見知らぬ人間も見える場所で話を交わすということが」

 恥ずかしいとまでは思っていないが、苦々しく告白しているような言葉が返ってきたために、ベネティスカも困惑が抑えきれずに表情に出る。

 そういった言葉が寄こされるのが想定外だったのは、やや固まりかける彼女の表情からは窺えた。

 ただ、やはり言葉よりも発言すること自体を迷っていたのかと心の隅で納得する部分もあったが、それにしても色々と指摘をすべき内容が多い発言だ。どう触れて、どう反応を返せばいいのかとかえって迷いも生じる中、彼女はなんとかして言葉を絞り出す。

「そう、なんですか? えっと、そうなると……話しづらいと、言うことでしょうか?」

「そんなところだ」

「あの……申し上げにくいのですが」

「なんだ?」

「こちらを指定なさったのは、貴方だと思うのですが?」

 早くも本質的に突かざるを得なくなり、ベネティスカは気まずそうな顔になる。

 それに克尊は口を噤み、また言うべきか迷う様子で黙り込む。

 繰り返される反応に、ベネティスカもどう対応して会話を続けるべきか、あるいは話を戻すか変えるべきかを思案した。

 ただ、彼女が打開策を思いつくより先に、克尊は目頭を指で押さえながら口を開いた。

「アンタの斜め後方、道路の端にある電信柱だ」

「?」

「さっきから、そこに隠れたつもりでこっちを窺がっている奴がいる。知り合いか?」

 指摘を受けると、ベネティスカは予備動作を悟られぬようにして振り返る。

 すると言葉の通り、喫茶店に面した道路の端にある電柱の陰からこちらの様子を窺がっている女子学生の姿が映った。

 距離は三十メートル以上といったところか、相手はこちらに振り向いたベネティスカに慌てて電信柱の陰へ身を潜めるが、遅すぎる。

 もうその姿も顔もしっかり捉えており、正体もベネティスカは確信していた。

 そこでようやく、先ほどから克尊が不自然な物言いをしていたこと、発言そのものを迷っていた真相を理解する。

 彼なりに、それとなく自分にこのことを勘づかせられないか考えていたということだ。

 おそらく、こちらに身を隠して窺っている不審な少女が、ベネティスカと同じ学校の制服であることから推測していたのだろう。

 二人が話し合っている内容とは直接関係ないと人物だろうとは思われたものの、盗み見されている以上は放っておけるはずもあるまい。

 様々な疑問が解けたところで、ベネティスカはやや表情が強張っているのを自覚した上で、克尊に視線を戻す。

 そして、分かりきってはいたが、念のため口に出して確認する。

「あの、ひょっとして彼女に気がついて?」

「そうだな。それで、知り合いか?」

「はい。その、クラスメイトです」

 素直に頷きつつ、ベネティスカは思わぬ部外者の登場に対して、たまらずに気まずさと恥ずかしさを覚えていた。

 とはいえ、克尊は不快そうな様子は見せることなく、彼女の反応にやはり偶発的な状況だったのかと、ただ率直に納得したようだ。

「そうか。知り合いならいい。ただ、このまま話し合いを続けるのは難しいか」

「……そうなりますね。申し訳ございません」

「謝る必要はない。アンタが言ったように、場所を指定したのは俺の方だ」

 当てつけでもなく単なる事実を告げ、克尊は席を立つ。

 こうして話し合いの現場を見られ、今なお電信柱の裏でこちらの様子を窺がわれている中では協議を続けるのは難しい。というより、それ以上にやりづらい。

 元々新しい事実や情報もなく、改まって意見交換する必要性も乏しかったことから、今すぐ済ませなければならない相談の内容もなかった。

「有難く、資料には目を通しておく。また次回、今度はまともな場所を指定しておく」

「はい。あっ、会計はこちらが――」

 克尊の言葉に頷いた後、ベネティスカは彼が自分の分のレシートも手にしていることに気がついて慌てて制止を試みる。

 だが、彼はそれを尻目にあっという間に会計まで行って支払いを済ませると、急いでアイスティーを飲み干そうか戸惑っていたベネティスカを置き去りにする形で、あっという間に喫茶店を後にしていくのだった。

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