“好き”って、「  」のことかも。―“好き”がわからない俺が、恋を歌うまで―

@tomori_mimo

プロローグ① “好き”がわからなくても、歌いたかった


――“好き”がわからない俺が、

恋の歌を歌うって、やっぱり矛盾してない?


大手芸能事務所Cotowaプロダクションの次世代ボーイズグループ発掘を目的としたオーディション。

朝倉陽あさくらはるは、その面接会場の片隅で、そっと息を吐いた。

朝から緊張でほとんど声も出なかった喉を潤すように、小さなペットボトルの水を一口だけ飲む。



(アイドルって、“恋しない”ってイメージなのに、歌うのはラブソングばかり)



扉の向こうのスピーカーからは課題曲のイントロが流れ、前のグループの審査が始まっていた。


「会いたい」「君が好き」

――そんな言葉が、耳に刺さる。


まるで“好き”という感情が万人にとって当然のように扱われていることに、少しだけ置いてけぼりを感じてしまう。


陽は、小さい頃からずっと、「誰かを好きになる」ということが分からなかった。

友人たちが盛り上がる修学旅行の夜、枕投げの合間に始まった“好きな子トーク”にも加われなかった。


「え、いないの? 一人ぐらい、いるでしょ?」と何度聞かれても、返せる名前が浮かばなかった。


人を好きになるって、そんなに簡単なんだろうか。

ある日突然、ふわっと現れて、何の根拠もなく確信できるものなのか。

陽には、それがどうしても信じられなかった。


(たぶん、俺には、その感情がないんだと思う)


高校時代、部活の後輩に恋愛相談をされたとき、陽は思わず言ってしまったことがある。


「別れた方がいいよ。メリットないなら、一緒にいる意味ないじゃん」


相手は、明らかに傷ついた顔で、こう言った。


「好きだから、それとこれとは別なんです。そんなに簡単な話じゃない!」


(“好き”でいるのは、やめようと思えばやめられるもんじゃない――?)


それは、陽にとっては驚きだった。

陽にとって“好き”は意思で操作できる感情だと思っていたし、そもそもそれを抱いた経験すらなかったから。

感情は、外からやってきて、自分をどうにかしてしまうようなものではないと思っていた。


「次のグループ、番号呼ばれた方はこちらへお願いします」


スタッフの声で現実に引き戻される。陽は、膝に置いて最後まで確認していたノートを鞄にしまい、他の4人と共に会場の中へ向かった。

指定された椅子に座るとき、隣にちらりと見えた男は、どこか落ち着き払っていて、自分とは正反対の印象だった。


(――なんていうか、オーラがある。意志の強そうなタイプ)


飲み込まれないようにしないと。陽は、目立たないように、深く息を吐き出した。


――――――


天井の高い会議室に、緊張が天幕のように張り詰めている。

面接官は五人。無機質なスーツに包まれた目線が、次々と向けられていく。

一人ずつ、名前と自己紹介。そして、課題曲の歌唱とダンス。

準備はしてきた。声も、体も、整えてきた。


でも、それよりも問題は――質疑応答だった。


「朝倉さん。あなたはラブソングは、得意ですか?」


陽は、少しだけ間を置いた。


「――恋愛感情が、よくわからないから。ラブソングは、ちょっと、苦手です」


ざわ、と空気が揺れたような気がした。正直に言いすぎたか、と心臓が跳ねる。


「けど、分からないなりに、努力で補おうと思ってます」


沈黙のまま面接官たちは待っていた。

陽は、視線を落とさずに続ける。


「歌詞と音符と、それぞれと向き合って、『なんでこの時、目を逸らしたんだろう?』『言葉に詰まるのは、泣くのを堪えてる?』『同じ言葉を繰り返すのは、強調?それとも恐怖?』……って、一つ一つ確かめながら、歌うようにしています」


その瞬間、面接官の一人が、わずかに頷いた気がした。


――――――


「次、お願いします」


曲が流れ始める。家でも控え室でも何度も練習した、あの課題曲。

陽はゆっくりと一歩前に出た。息を吸って、声を出す。


「――君に会いたい、理由なんていらないよ」


音程は正確に。リズムは、体の芯から刻む。

けれど、何よりも大事なのは、「この言葉は、どうして生まれたのか」を考えること。


(“会いたい”って、わがままじゃないよね?)


自分が心の中で何度も問いかけた疑問が、また頭をよぎる。


誰かに強く何かを伝えたくて、でもそれが届くかどうかも分からなくて、それでも“言葉”を使うしかないとき、人は、歌に全てを込めるのかもしれない。

陽はそれを、“わからない”なりに理解しようとしてきた。

毎日、ノートに向かって。


歌が終わった瞬間、しんとした空気の中に、少しだけ静かな息が生まれる。

拍手はない。でも、その沈黙は否定ではないことを、陽は感じていた。

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