07 その日の夜のことです

「なあ、ロゼ。お前なんで店なんか開いたんだ? ほんとは料理、あんまりできないんだろ?」


 みなさんが帰ったあと、鼻歌交じりに食器を洗っていると、さきほどの質問をノルさんがぶつけてきました。

 振り向けば、勝手にヒトの日記を開いて、「うわ……幼児レベルの絵」とか呟いています。

 失礼なウサギさんですね。


 ノルさんが手にしているその冊子は、絵日記。わたしがいままで食べた料理などを記してあるのですが、ノルさんはそこに書かれた品数の少なさから、わたしの料理スキルの低さをいち早く察知したようです。

 めざといやつめ。


「それはですねー、内緒です」

「内緒かよ」

「ふふふ、魅力のある女性には、秘密の百や千個はあるもの、ですよ。ノルさん?」

「いいから。そういうのいいから早く言え。で、なに?」

「むぅ。……会いたい人がいるんですよ」

「会いたいやつ?」

「ええ。わたしの魔法の師匠です」


 かれこれ数十年以上も前の話になります。

 魔法をうまく使えなかったわたしはお祖父様──前長老の紹介で、当時森族しんぞくの里に滞在していた師匠から魔法を習うことになりました。

 ほんの半年足らずの師弟の関係。

 いえ、弟子というよりあくまで、でしたけど、わたしはあの方のことを心の底から尊敬しています。


 そして月日は流れ、たびたび森族の里を訪れていた師匠もお祖父様が亡くなってからはパタリと来なくなりました。


 最後に会ったときは、『また来るよ』と言ったのに。

 師匠は二度と来なかった。

 だからわたしは師匠を探してユーハルドまで来たのです。


「ほーん。だからわざわざ魔霧まぎりの森っちゅうド田舎からこんなところまで来たわけか」

「……む、ド田舎とは失敬ですね」

「事実だろ?」

「まあ……」


 否定できないところが悲しいところです。

 わたしはノルさんから日記を取り上げるとページをめくります。


「わたしの目標は、ここを誰もが知る料理屋さんにすることです」


 そう。どこにいたっておいしいと、あの人の耳に届くほどの評判の店を作りたい。


「これからこの国で、いろんなことを経験してさまざまな料理を知って、人を知って。この日記のページがすべて埋まる頃にはきっと、わたしの店はユーハルドで一番おいしいごはんを出す店になっているはずです。そうすれば、評判を聞きつけた師匠が店に来てくれるはず」


 だから、


「がんばって料理の腕を上げて、おいしいごはん作って、店を有名するんです!」


 気合い十分に拳を突き上げ、気持ちあらたにわたしが身を引き締めていると、ノルさんがものすごーく気まずそうな顔をして、


「……あの。だったら先に旅でもして、色んな町巡って料理集めて、修業やらなにやらでもしてから店を開いたほうがいいんじゃねぇの? そっちのほうがこうカリスマ的なはくもつくし、お前の料理スキルも上がるし、一石二鳥なんじゃあ……」


 と、タマゴの部分が破れたオムライス(失敗したのであしたの朝ごはん用)を見ながらノルさんは素直な感想を口にされました。

 ごもっともです。

 おっしゃる通りです。

 ええ、ノルさんのご意見が正しいですとも。

 ですが、こちらにも引くに引けない事情というものがありまして、それは──


「実は、ですね? この店を開くにあたって少々借金が出来てしまい、その、早く返さないと利子がですね? 大変なことになるんですよ……」


 そうなのです。

 実はユーハルドに着き、この物件を紹介され喜んだのもつかの間。

 その翌日のことでした。

 ベルルーク侯爵家の使いを名乗る方がやってきて、借用書やら契約書やらを机にずらりと並べてサインしろと迫ってきまして。

 そこに書いてあった金額がすごいのなんの……。


 金貨ですよ、金貨。

 リンゴの紋章が描かれたあの、光り輝く黄金のコイン!

 それがざっと百枚です。


 使いの方の話では、この物件を購入するときにいくらかエルフィードおじさまが出してくださったそうで、書面には『百枚』と書かれているものの、実際は侯爵家が肩代わりした差額分の返済だけで構いません、とのことでした。


 具体的には月々金貨二枚。

 それを向こう三年のあいだに毎月欠かさず支払うようにとのこと。

 そして万が一、二回滞納すれば即退去。

 さらに踏み倒せば利子がトイチで増えていくそうです。『トイチ』が何かは知りませんけど、危険な響きをビシバシ感じます。


 ノルさんに話すと青い顔で「逃げられないな……」と言われました。怖いです。


「それにほら、やみくもに探すよりも一か所に絞って待っているほうが会える確率が高いと思うんですよ。さいわいわたしの敬愛する師匠はこの国の出身ですし、そのうち里帰りとかするかもしれません」

「……うん。事情はわかった。お前の敬愛するお師匠さんに会えるかはともかくとして、ノルさんも手伝うからよ。ぱっぱと店人気して、借金返しちまおうぜ」


 じゃなきゃおまえ、漁礁ぎょしょうにされるぞ。

 と、恐ろしいことを告げてからノルさんはオムライス(失敗作)の前に移動しました。


「ところでこれ、食っていい? あいつら居たから、ノルさんニンジンしか食えなくてお腹ぺこぺこなんだわ」

「どうぞ。食べたらお皿をくださいね」


 前足で器用にスプーンを掴んでオムライスを食べるウサギさん。

 シュールですね。


「ひとまず、ここまで来ましたね」


 夜食中のノルさんの傍らで、わたしは絵日記に目を落としました。

 ほとんど白紙です。

 わざわざ書き留めるまでもない毎日を送っていたわたしは、いつしか日記をつけることをしなくなりました。

 ここに記されているのは二つの期間だけ。

 両親と過ごした遠い日々のことと、師匠にしごかれながらも楽しい修行に明け暮れていた、あのころのことだけです。


 それ以外はずっと、ひとりで森の奥にこもっていました。

 時々訪ねてくるエルフィードおじさまも。

 病気で歩けなくなったお祖父様も。

 叔母さまも。

 里のみんなもそうでした。


 わたしは一人だった。


 ですから、里を出たのです。

 あの時には果たせなかった手料理を。

 いつか師匠よりもおいしいごはんを作って振る舞うと、そう約束したから。

 

「──よし、あすからも頑張りますよ!」

 

 新しく更新された絵日記。ぱたんと閉じて、わたしは残っている片付けに戻ったのでした。

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