第28章 選び取る者たち



 満月が森の向こうに昇り、白く柔らかな光が屋敷の裏庭を照らしていた。私はひとり、静かに魔力の流れを見つめていた。

 《根律織》の準備を進めながらも、胸の奥にリルの言葉がずっと響いている。彼女の言葉には確かな信念があったけれど、私はまだ「それ」を解き放つことに恐れを感じていた。


 背後から、柔らかな足音と共に声が響いた。

「……ここにいたのね」


 振り返ると、リルが静かに立っていた。闇に沈む輪郭の中でも、その瞳は真っ直ぐで揺るがない。

「来てくれたのね」

「あなたがどう答えるのか、それを確かめたかった」


 世界樹の根の方角から吹き抜ける風が、二人を包み込む。


「リル……あのとき、私は拒んだ。でも今なら分かるわ。あなたも、この世界を壊したいわけじゃない。守りたいだけよね?」

「ええ。でも“封印”だけでは限界がある。……世界樹の意志に、もう一度触れて選びなおす必要があるの」


 私はゆっくりと息を吸い込み、義肢の右腕に視線を落とした。

「だったら──一緒にやりましょう。壊すでも封じるでもない、第三の道を」


 リルは驚いたように目を見開き、やがて静かに微笑んだ。

「……わかった。なら、あなたと共に進むわ。今だけじゃなく、これからもこの選択の先まで」


 その夜、私たちは屋敷の地下、結界装置の前に並んだ。

 リルは盟約の術式を静かに展開し、私は世界樹と繋がる術式の織り目を慎重に調整していた。


「私は、まだあの人の遺志に囚われているのかもしれない」

 リルの声は少し震えていた。


 私は言葉を探しながら、ただ頷いた。


 彼の存在――黒衣の魔術師。

 私にはまだ、彼の全てが見えていなかった。


 それでも今は、未来のために、共に選び、進むしかなかった。

 答えはこれから紡いでいくものだと信じて──。


 やがて、月が雲の切れ間から白く顔をのぞかせ、二人の詠唱が重なり始めた。

 世界は静かに揺れ動く。


 それは再開でも始まりでもない。

 “交差”──私とリルの意思が、ようやくひとつになった夜だった。


 ──そして、夜が明ける。


 かすかな地鳴りが屋敷の床を伝い、足元を揺らした。私ははっと目を覚まし、結界盤に手を伸ばす。


「これは……!」


 魔力の反応が異常な波を打ち、地下から低い唸り声が響いてくる。


 シロがすぐに魔力視を広げて眉を寄せた。

『瘴気濃度の急上昇……核の活動だ。間違いない』


 私は無言で立ち上がり、結界の起動盤へ魔力を流し込む。

 右腕の義肢が微かに震え、世界樹の根の奥から呼び声が届く。


 そのとき、リルが戦装束に身を包み、盟約陣の杖を手に現れた。


「……始まったわね」


 彼女の声は静かだが、その奥には揺るがぬ決意があった。


「ええ、行きましょう。あの根の底へ──」


 私はリルと目を合わせ、言葉少なに頷いた。


 これは、私たちが選んだ戦い。

 “創られた存在”ではなく、“選び取った者”として挑む、最後の決戦。


 そして、私たちは世界樹の迷宮「根脈の道」へ再び足を踏み入れたのだった。


 



 


 《1stゴーレム》《ゴンレム》《ゴンレムMk.II》《ニャグレム改》は、瘴気干渉の強い迷宮では稼働が難しい。そのため、屋敷の防衛にまわしてある。


 今回の戦いは、私とリル、そして三匹の猫たち──人と魔力だけで挑む戦いだった。


 



 


 根脈の奥、地熱と瘴気が混じる異界のような空間に、巨大な影が蠢いていた。


「これが……第三核」


 それは、人の形を模したような瘴気の塊だった。幾千もの声を重ねたような唸りを放ち、空間そのものを蝕んでいる。


 私は右腕の《魔導義肢》に魔力を流し込む。左手と義肢、両手の織式がようやく揃う。


「行くわよ……!」


 私は詠唱を始め、光の糸が空間に走る。リルは背後で盟約術式を展開していた。


「私が魔脈の封印を支える。あなたは結界の再構築を」


「了解」


 私は《織り直し》の構文を編み上げる。両手が魔法を織る軌跡となり、陣形が空中に浮かび上がった。


 


「《多層結界・再編型》──展開!」


 魔法陣が地を這い、根を包むように広がっていく。その瞬間──


 


「ネイア……」


 核が言葉を放った。


「お前は、私と同じ。創られたもの。拒絶するな、受け入れろ」


 黒衣の魔術師の声が頭に重なった。


「お前は私の誇りだ。私の最高傑作だ、ネイア」


 私は思わず一歩退いた。


 けれど──


「……違う。私は私の意志でここにいる」


 右手の義肢を握りしめ、私は魔法の糸を再び走らせる。


「私は“創られた”のかもしれない。けど、“選んだ”のは私!」


 


 《織り直し》が極限まで収束し、再構成された結界が根を貫き、核を封じた。


 瘴気の唸りが消え、世界に静けさが戻る。


 



 


「……終わった、のか?」


 リルがそっと私の隣に立つ。私は静かに頷いた。


「でも、奴の痕跡はまだ残ってる。これは始まりよ」


 私は根の天井に見える微かな朝日を見上げた。


「私の意志で、世界を守る。そのために──共に戦って」


 「ええ、ネイア。あなたとなら、私は戦える」


 三匹の猫たちが、私の隣に並ぶ。


 私たちは、ようやく選んだ。


 何者として生きるのかを。


 そして、何を守るのかを──

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