3章-2
澄んだ空気の中、
冬が巡ってきたら、新しい外套をあつらえよう。きらめく光の中で映える装飾も裁縫師と考えよう。
そう思っていたあれこれが、全く実行できなくなった事実が、毎日アスリーアを苦しめる。
王子がいたらできた、あんなこと、こんなこと。そんなことばかり見つけてしまう自分に気が付き、頭を振って中庭で遊ぶ2人の王女――娘たち――を見やる。自分にはまだ、責任を持つべき者たちがいるのだ。
冬の日差しが似合う外套は、娘たちのために改めて考えよう。
そう思ったとき。侍女が中庭近くの回廊を通りかかったことに気がついた。
中庭のベンチに座っているアスリーアに気が付かないのだろう、声を潜めることもなく、歩きながら噂話をする。
「最近、ゼスリーア王妃殿下のところに、左大公若様がしょっちゅう来てるるわよね」
「御子を身籠ったって言うじゃない?」
「懐妊はともかく、生まれる前から、どうやって性別特定するのよ」
「ねえ。
「それって
なんてこと。
侍女の噂話なんて、よくあることで、アスリーアは聞き流すすべを身に着けているが、内容が内容だけに話の内容を拾ってしまう。そして、その内容に絶句する。
侍女の噂にのぼるほど、セザリアンは怪しげななにかやっているということ?しかも、セザリアンとゼスリーアが手を組んだとは……
弟は官吏としては有能だが、リーダーとしての資質に欠けることを思い出す。
しかし、左大公家の次期当主として道を踏み外すことはないと思っていたのに……
ゼスリーアと手を組んだとしたら、良い方向ではないだろう。
わたくしはどうしたら――
物思いに沈んでいると、侍女が声をかけてきた。
「右大公家三の姫殿下、お目通りを、とのことです」
なんという天の配剤。アスリーアはこの機会に飛びつくことを決めた。
「ちょうどよかった。居間にお通しして。人払いもしておくのよ」
侍女が遠ざかったのを見送り、二人の王女の乳母を呼ぶ。しばらく遊んだら、勉強をさせるよう指示を出し、居間に向かった。
居間にはすでにユーリが座って待っていた。とても美しい姿勢は、王女の風格を感じる。
アスリーアの姿を認めたユーリは、さっと立ち上がって礼をとった。
「ユーリさま。気楽になさって。礼などいりません。私たち、対等な立場だと思いますのよ」
結婚によって王妃となったが、元の出自は、筆頭貴族の嫡長女の自分のほうが低い。
「ありがとうございます。では、この居間では礼を取ることをやめますね」
そういうと、ユーリはいたずらっぽく笑った。
この姫は……人たらしだわ。
その笑顔を見て、アスリーアは感心する。この短い期間で、すっかり“右大公家の三の姫”として定着しているのは、この人を惹きつける表情の変化のおかげなのだ――アスリーアはそう認識した。
「ええ、そうして」
ユーリほどのひとたらしの笑顔は出せないが、精一杯の笑顔を浮かべて、着席を促す。
そこに腹心の侍女がお茶を持ってくる。ユーリはその侍女にも笑顔を向けたのち、表情を一瞬で引き締めるとアスリーアに向き直った。
「近々入宮される第三王妃殿下のことで参りました。お分かりと思いますが、入宮するのは右大公家第二王女、エリシアです。いろいろお思いのこととは思いますが……エリシアは、通常の王妃として入るつもりはありません。むしろ、女大公の右腕として入宮されるおつもりです」
「……ユーリ様。そのお言葉、どう信じればよいのでしょう。論理的には考えられなくはありません。でも、女としてそれは納得できかねるのです」
今までの自分だったら、承知しましたの一言のみつぶやき、後になって一人で堂々巡りの考えをめぐらしただろう、とアスリーアは思った。
おりしも、女大公の考えに沿って、左大公家の呪縛から離れて国を守る方向に進もうとしている。変わってみるには、よいタイミングだ。
ユーリが真心を込めて話している様子を見て、アスリーアは今までのように逃げの回答をすることをやめ、あらためて正面から向き合うことにした。
「それはもちろんです。わたくしには、エリシアをお信じくださいとは言えません。ですが、エリシアがお伺いした時は、決して悪いようにはしないという私の言葉を信じていただけますか。そしてエリシアと話をしていただきたいのです」
「なるほど。ユーリ様は誠実な方ね。わかりました。ユーリ様の言うことは信じられます。偏見を持たず、エリシア様と話してみますね」
誠実な方、と言ったが、同時にやはり聡明な娘だとも、アスリーアは思った。
ただ、自分の言葉だけを信じてほしい、と要求してきた。その後のこちらの行動については、なんの要求もしてこない。
そのように考えることは難しく、実行に移すことはさらに難しいことだ。
その思いを隠し、アスリーアは言葉をつなげる。
3
「エリシアとわたくしは従妹の間柄だけれど、歳が十歳も離れているから、あまりエリシアの人となりは知らないのよ。 でも、スーインとはほぼ同年代だけど、そういえばあまり交流してないわね。彼女の人となりはよく知っているけど。
下々のものたちだと、従妹って年が離れていても仲が良いことが多いみたいなのにね。王宮は息苦しいわ……」
ユーリの人となりへの感嘆のあまりだろうか?
気が付いたら、アスリーアは問わず語りをしてしまっていた。
「アスリーア様。王族、上級貴族は皆、そんなものかもしれませんわ。わたくしも、弟とは年に一度しか会わない間柄でした」
アスリーアは虚を突かれたように一瞬だまる。
「そうでしたわね」
ひと時、沈黙の帳が下りる。ユーリのこの人好きをする表情のつくり方は、難しい状況の中で自分の身を守ってきた結果なのかもしれない、とアスリーアは思い至った。
「でも、人はいつまでも同じ関係性を続けるものではございません。
女大公も、アスリーア様のご協力の件、快諾されました。これから交流が増えていくと思います。人は変われるのです」
「ユーリ様。ありがとう……」
「いえ、こちらこそ、お信じいただきありがとうございます。
わたくしは、これから政治の表向きの話をしに伺います。おそらく午後。
あまり怪しまれないよう、そう頻繁には参れません。そうですね、あの宴の後から体調をくずされている第二王女様の様子を見に、たまにお伺いするということにいたします。それでよろしいでしょうか?」
「承知しました」
「ではお伺いの前日に、私の侍女のアリスがご都合を伺いに参るよう、手配させていただきます」
アスリーアはまっすぐユーリの目を見てうなずいた。
そして一拍置いて、今度は今しがた聞いた噂について切り出した。
「ときにユーリ様。セザリアンとゼスリーアが手を組んで、何かたくらみごとをしているとか……ここの侍女が噂をするようになっています。後宮は噂に敏感なもの。まだ表には出ていないことかもしれませんが……」
「そうですか」
一瞬、ユーリは言葉にするかどうかを迷う。しかし、アスリーアを信じることにした。
「深いところでは噂になっているかもしれませんが、まださえずりとしては聞こえてはおりませぬ。しかし、我々右大公家では、そのラインの協力はあり得るだろうという考えには至っております」
「やはり……」
アスリーアは悲しげに目を伏せた。
「これは、逃げたわたくしの罪ですね。セザリアンはまじめで優秀な子ですが、信念というものがありません。伝統への妄執はありますけど……ですから、困難に出会ったら、易き方に流れるだろうとは危惧しておりました。危惧が本当になるとは…
ゼスリーアは、うまく言えないのですが、自分の欲望に非常に忠実な子です。そして、それを実現する実行力と発想力もあります。あの子に巻き込まれたら、ほとんどの人が染まってしまうか、逃げてしまうかのどちらか……」
自嘲気味に、アスリーアはふっと笑った。
「わたくしは、逃げました。――そして、セザリアンは染まりましたね」
罪の償いとして、わたくしは息子を犠牲にしたのだろうか。
あの日からずっと消えない、アスリーアの胸に根を下ろした疑念。
過去を後悔してもしても仕方がない。わかっているが、この疑念はもう消えることはないだろうとアスリーアは思う。少しでも軽くしたいなら、戦うしかないのだ。
左大公家の嫡長女として。
侍女たちの噂話を聞いてから、逡巡していた心が定まった。
「ですが先日言ったとおり、もう逃げません。
ゼスリーアに染まった以上、セザリアンももう国に対してお役に立てる行動はしないでしょう。右大公家には負担をかけて申し訳ないですが、左大公家はもう逆賊とみなし、断罪の対象としていただいて構いません。わたくしへの忖度はもう無用です」
アスリーアは大きく息を吸う。
「まずは、エリシア様です。信じるかどうかは、まだお会いしてはいないのでなんとも言えないところではありますが、ゼスリーアがエリシア様に危害を及ぼさないようには致します。もしも差し支えなければ、私の宮の近くをエリシア様の宮にしていただけると、ゼスリーアもやりにくいのではないでしょうか。右大公宮とは少し遠くなってしまい、そこは申し訳ないのですが」
「もったいないお言葉。女大公、エリシアとも話し合ってみます」
アスリーアは深くうなずいた。
その動作の中に、アスリーアの強い決意を見届けたユーリは、静かに立ち上がると一礼した。
「では本日はお
優雅に礼を取ると、背中を向けてユーリは部屋をゆるゆると退出していく。
しばらくすると、扉の前で待機していたであろう侍女を従え、回廊を歩くユーリの姿が見えた。
――ユーリ様の後ろを歩くあの娘がアリスね。覚えておかなくては。
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